第145話 譲れぬ道

 このひとは‥‥あの時気絶させたはずだ。


 俺の見ている前で、彼女は血だまりに沈んだ。魔力を失った黒髪が土の上に散らばり、赤く染まっていく。斬った俺だから分かる、どうにもならない致命傷だ。あと数秒ともたず、彼女は死ぬ。


 まさかリーシャの聖域を貫いてここまで来たのか。


 なんて強固な感情の励起れいきだ。この魔族はラルカンを救う、そのために全ての魔力と命をしたのだ。


 顔を上げれば、ラルカンは倒れた女性を見つめていた。


「‥‥ロゼ」

「勝って、勝ってくだ、さい。私の望みは‥‥貴方様が――」


 ロゼと呼ばれた女性は、残った命をかき集め、言葉を振り絞った。しかし最後は言葉の代わりに血がこぼれ、瞳から光が失われていく。


 戦場では見慣れてしまった、命の終わり。


 ラルカンが顔を上げる。視線が合わさっただけで、俺たちは互いに何を言いたいのか理解した。


「‥‥恩に着る」


 ラルカンは一言だけ呟くと、空折ウォーゼを使って女性の遺体を背後に転移させた。


 また一つの命を奪った。獣の慟哭どうこくが内で響き渡り、新たな剣が心を突き刺す。

 

 そうであったとしても、俺は。


「白銀、たゆむな、迷うな。ここは戦場だ」


 声が聞こえた。冷たく、血を吐くような声が。ラルカンの魔力が波打っていた。今にも暴れ出しそうな青い光が、恐るべき精神力で彼の周囲を流れる。


 分かってるさ。


「『無論だ。彼女の命も背負って俺は先に進む』」

「そうか、ならばいい。‥‥最後に一つだけ聞かせろ」


 なんだ、あのラルカンが俺に聞きたいこと。

 沈黙をと受け取ったのか、ラルカンは問うた。


「俺は貴様との決着をつけるためにここまできた。白銀、魔王様亡き今、貴様が戦う理由はなんだ。未だ人族の救済を試みるか」


 それはもしかしたら、彼の中でずっとくすぶっていた問なのかもしれない。


 自分の我を押し通したからこそ、聞かずにはいられなかったのか。


 俺の戦う理由。


 昔はエリスと仲間たちのために。


 地球ではリーシャを守るために。


 そして今は。


「『神魔大戦そのものを終わらせる。二度と戦禍せんかに泣く者が生まれないよう、人族と魔族が互いを受け入れられるように、俺は戦う』」 


 それが獣の腹の中で俺が見つけた理由だ。


 世界の構造そのものを変えようというのだ、どれ程難しく、果てのない道かは分からない。


 それでもやると決めた。


 そのためならどんな障害も越えていく。


 しばらく黙っていたラルカンは、小さく息を吐いた。


荒唐無稽こうとうむけいだな。できるはずもない。しかし貴様が言うと、不思議と実現させてしまうような気さえする」


 させるさ。そう誓ったんだ。


 もはや俺とラルカンの間に和解の道はない。


 誰にも理解されずとも、俺たちの理解は剣の中でしか生まれないのだ。


 互いに無言で武器を構える。


 言わずとも分かっていた、次の一撃が最後になる。


 俺の前に道が浮かび、沁霊が腕を伸ばした。


『――我、騎士なり。背に守りし者は見えず、進むは赤き一本道。誰がこの歩みを止めようか、誰がこの誇りを砕こうか。国に捧げし我が心こそまことつるぎなり』


 胸の内から聞こえる声は、幻想だろうか。


 それでもいい。グレイブ、見ていてくれ。


 ラルカンの槍斧ハルバードが限界まで捻じれ、青い光をたたえた。


 既に両者必殺の間合い。


 俺たちは踏み込みと同時に最強を振るう。




「『勇騎邁進ナイトグローリー‼』」

「『重天握アクスコラプス狂刃レイジ』‼」




 槍斧ハルバードの刃が光となって爆ぜた。これまでの中で最も荒々しく、どこか流麗にさえ見える斬撃の津波。


 俺も同時に赤き矢となって放たれていた。全身が魔術と化し、肉体が思考さえも振り切る程に加速する。一振り一振りが必殺の斬撃を双剣で弾き、火花咲き乱れる中、前へ、前へ――。


 拮抗きっこうは一瞬にも満たない間だった。


 俺は歪曲を貫いた。音無き咆哮と共に立ちはだかる沁霊をバスタードソードで両断し、大剣を振りかぶる。


 ラルカンは防がなかった。


 斜め一閃。


 剣は肩から骨を断ち、心臓を斬って抜けた。


「『っ――!』」


 崩れ落ちるラルカンと目が合った。どこか満足げに、彼は膝を着く。


 まるで世界が息を吹き返したかのように衝撃が駆け抜け、音が夜に木霊こだました。

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