第144話 灯火

     ◇   ◇   ◇




 強すぎて嫌になるな。


 沁霊術式でこちらを狙っているラルカンを見ながら、しみじみとそう思う。魔力が痛むほどに熱を帯び、もはや身体のどこに傷があるのかもよく分からない。頭が自分の意志とは無関係に加速して、少しでも集中が途切れれば制御できなくなりそうだ。


 こちらが死ぬ気でパワーアップしたっていうのに、それでも届かない。


 これが魔将だ。グレイブをも殺した最強の戦士。


 立ち上がり、視線を横に逸らす。聖域の外でリーシャが舞っていた。囚われた疲労もあるだろう、聖域の外とはいえ、いつ攻撃が飛んでくるかも分からない。


 そんな中でも、彼女の舞いには一片の迷いもなかった。


 真摯しんしな祈りが伝わってくる。


 そうだな、大丈夫だよ。


 君がくれた言葉が支えになる。祈りが力になる。


 俺は満身創痍の身体でラルカンを見据えた。


 深紅のコートが揺れ、魔力が脈動する。


 『無限灯火フレム・リンカー』は俺も初めて使う術式だが、その基本的な効果は理解している。


 身体能力の向上は副次的なものでしかない。


 この術式の本質は、別の部分にある。


 魔力が一際大きく燃え上がり、外套の端から紅い光が俺の手の中で鍛えられていく。


 右手には銀のバスタードソードを、左手に紅き大剣を。


 今までも魔力で武器を作り出すことはあったが、これは根本的に次元が違う。


 俺の様子を見たラルカンが、驚きに目を見開いた。


 そうか、これを見ただけで気付くのか。


「貴様、まさかその魔術は」

「『そうだラルカン。これが無限灯火フレム・リンカーの力。俺の中に眠る人々の力を、ここに灯す』」


 彼らは言った。俺の歩む道は孤独ではないと。


 俺からラルカンへと、輝く道が示された。それは決して折れぬ騎士の矜持。俺に背を見せ続けた男が歩み続けた栄光の道筋だ。




灯火リンク――騎士道ナイトプライド




 この魔術は本来不可能な、『他者の魔術の再現』を可能にする。

 代わりにその魔術への深い理解が必要とされるが、幾度となく見てきたグレイブの魔術だ。脳に焼き付いている。


 ここから先は不退転ふたいてんだ。


 ただ進み、貴様を打ち破る。


 俺が一歩を踏み出そうとした時、ラルカンは外套を脱ぎ捨てた。


 過去の傷が月光に晒され、青く光る目には荒ぶる海のような激情が見えた。


「これ以上の高揚はない。戦いの中でより高みに昇る感覚はいつぶりか。その剣と打ち合えることに感謝しよう」


 ラルカンの言葉に嘘はなかった。


 彼は既に最強でありながら、止まらない。俺の『無限灯火フレム・リンカー』を前に臆することなく、魔力を放出する。


 青い魔力はラルカンの背後で渦を巻き、形を得た。


 心臓がすくみ上り、血も凍るような重く冷たい気配。超次元の存在を目前にした時、人は畏怖いふと共にこうべを垂れるしかない。


 ラルカンの後ろに現れた存在は、そういうものだった。


 体長は三メートル近いだろうか。蒼に金糸の刺繍が入った貫頭衣のようなものを身に纏い、その細い体を自らの腕で抱きしめている。二本ではない、複雑に絡まり合う何百本という腕が巻き付いているのだ。


 顔は分からない。どこか獣のように見えるが、長い黒髪がその相貌そうぼうを覆い隠していた。


 見るのは二度目だが、あの時よりも遥かに色濃く、それは顕現した。




「『沁霊顕現しんれいけんげん――真理へ至る曲解アンロスト』」




 全ての魔術師が目指す極致きょくちがそこに完成した。


 これが沁霊。


 ラルカンの魔術の根源。自己の最奥に住まう可能性の権化。なんという圧だろう、これが神だと言われれば信じてしまうかもしれない。それ程の異質な存在感だ。


 俺は両腕を広げ、双剣となった銀と赤の剣を構える。


 上等だ。


 お前の全てを受け止め、その上で越えてみせる。


 万感の思いを乗せた一歩が塵の大地を踏みしめる。身体中を駆け巡る熱と力の奔流がまぶたの奥で散った。


「『これが最後だ、ラルカン‼』」

「その覇道、捻じ曲げてみせよう白銀‼」


 前に進んだ瞬間、沁霊が腕を広げた。


 黒い腕の群れは、さながら空間に亀裂が入ったかのようだった。


 それを悠長に見ていられる暇はなかった。数えきれない程の手が距離という概念を無視して迫ったのだ。


 この一つ一つが、ラルカンが使っていた五壊指アッシュと同じ力を持っている。


 つまり触れられれば終わり。


 地面、空中、ありとあらゆるものを足場にラルカンへと駆ける。紙一重で通り抜ける手の群れは、すぐさま切り返して殺到してくる。


 明らかに避けられないものは『星剣ステラ』で分解した。


 どれだけ動こうと、決して後退はしない。わずかな前進が、確かな力となって積み重なっていく感覚。


 五壊指アッシュは俺を掴むために様々な手段を用いる。時に空間が歪み、渦廻スペルが浮かび、動きに制限をかけようとしてきた。


 その全てを捌き、進む。


 俺が憧れた人は、もっと強かった。


 双剣がまたたく。指を切り飛ばし、曲がった空間を正し、道を切り開く。


 青い魔力の中を赤い閃光が加速して駆け抜けた。


 もっと、もっと速く。


 ついにラルカンを間合いに捉えた時、沁霊の腕が転移した。上下前後左右、見渡す限りの全てが手に囲まれる。


 ラルカンもまた機を見据えていたのだ。確実に殺せる瞬間を。


「『重天握アクスコラプス』」


 歪曲が歪曲を生み、崩壊が全方位から押し寄せた。回避も防御も不可能な死の牢獄。


「『――』」


 神経が研ぎ澄まされ、視界から余計な情報が消えていった。闇の中で青くきらめく魔力は満天の星空だった。


 方向感覚が失われ、自分が立っているのかも分からない。そんな中で、握った剣の感触だけが確かだった。


 俺の道をさえぎるな、ラルカン。


 考えるよりも先に両手が動いた。『騎士道ナイトプライド』によって強化された剣閃が星と星を繋ぎ、世界に切れ目を入れていく。


 斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。


 流動する魔力の流れを完全に見切り、俺は刹那の間に『重天握アクスコラプス』の牢獄を斬り裂いた。


 目の前にラルカンがいる。


 沁霊が腕を伸ばし、槍斧ハルバードが振るわれるが、遅い。

 俺の剣はそれよりも速く到達する。


 双剣は首と胴を同時に薙ぎ、確実にその命を絶った。


 血が切っ先の後を追うように弧を描き、華奢な身体が糸の切れた人形のように力を失う。


「『なっ――』」

「――」


 荒れ狂う世界に静寂が舞い降りた。


 それは俺とラルカン、両方にとって予想外の出来事だった。

 いや、考えれば不思議な話ではなかったのかもしれない。彼女はどんな状況であれ、同じように動くだろう。


 二人だけの世界で戦っていたから、それに気づかなかった。


「ラルカン、様‥‥」


 魔族の女性が、崩れ落ちた。

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