第377話 元カノ対魔官

    ◇   ◇   ◇




 カナミやシャーラたちが導書グリモワールと戦い始めている頃、月子も導書グリモワールを前にしていた。


「よお、久しぶりだな」


 月子が連れてこられたのは、荒野だった。いたるところで巨大な岩石が隆起して、小高い山のようになっている。


 そこで月子の前に現れたのは、因縁の相手だった。


 金髪のオールバックに、ジャラジャラと大量のピアスをした男。


 伊澄本家を襲った魔術師だ。


「そういやまだ名乗っていなかったな。俺はレオン・ハンネス・ボルツ。レオンでいい。知っての通り、導書グリモワールの一人だ」


 レオンと名乗った男は、そう言うと腰かけていた岩から立ち上がった。


 月子がここに来た時からレオンはここに居た。


 そしてつらつらとこの世界におけるルールを説明し始めたのだ。


「まあ、そういうわけだ。仲間を助けたいんなら、俺を倒せばいい。シンプルだろ」

「ええ、とても分かりやすい話ね」


 月子は金雷槍を構えながら、魔力を全身に満たした。金色の火花が散り、髪の毛が浮き上がる。


「倒す前に一つ聞かせてもらってもいいかしら」

「何だ?」

「どうして私の実家を襲ったの? さらに言えば、あの空間では殺しても現実では殺せなかったはず。どういう裏技を使ったのかしら」


 あの時とは違う。


 冷静に月子は聞いた。


 レオンは「あー」と視線を逸らした。


 まだ伊澄天涯は生きていて、あそこでは一芝居打ったのだと説明するのは簡単だ。


 しかしレオンの役目はここで真実をつまびらかにすることではない。伊澄月子がこれより先に進む資格があるかどうか、見極めるのだ。


「俺に勝ったら教えてやるよ」

「‥‥そう」


 初めから月子も答えを期待してのことではなかったのかもしれない。


 落胆らくたんした様子もなく言った。


「あの時とは違う。真相は地面に倒れたあなたから聞くことにするわ」

「言うねえ。手も足も出ずに負けたのを忘れたのか?」

「ええ、腹立たしいほど鮮明に覚えているわ」


 バチバチと金雷槍の穂先が雷光を放ち、二又に分かれる。


 言葉通り、月子はあの時の敗北を片時も忘れたことはなかった。何が起こったのかも分からない内に意識を失った。


 月子が今ここにいるのは、目の前の男に情けをかけられたからだ。


 これ以上の屈辱も、それを雪辱する機会も他にない。


 荒野に高くそびえ立つ岩の塔。そこには頑強な扉が存在している。あの先に勇輔たちがいるというのなら、ここでぐずぐずしている時間はないのだ。


「そういう目、嫌いじゃあないぜ。だがそう簡単にはいかねーよ。あの室内じゃ、俺も全力を出せなかったからな」

「なんですって」

「お前も知っての通り、俺の魔術は炎だ」

「‥‥」


 月子の頭に浮かぶのは、炎に包まれた家。


 確かに前に戦った時も、炎を使われた記憶がある。火を用いる魔術師や怪異は非常に多いので、それ自体は珍しくもない。


「ただまあ、俺の魔術は炎を操るってわけじゃない。先に教えてやるよ。俺の魔術は『精霊召喚マイエレメント』。自分だけの守護霊を召喚する最強の魔術だ」

「精霊の、召喚? そんなことが人に可能なわけがないでしょう」


 精霊という存在は魔術師の間では比較的メジャーだ。その存在を完全に認識、証明する方法が確立されていないため、半分オカルトのようなものではあるが、確かに存在していると考えられている。


 精霊とは自然界に満ちるエーテルの塊。


 精霊の力を利用したり、多少の操作をしたりすること自体は可能だ。実際に人間は自然の力を利用してここまで発展してきた。精霊術はその延長線上にある。


 しかし自分だけの精霊を召喚となれば、話は別だ。


 個人が津波や地震を起こせないように、精霊を作り出すことなど出来るはずがない。


 レオンは月子の言葉ににやりと笑うと、拳を掲げて見せた。


「信じられねえのも無理はねえ。論より証拠だ。見せてやるよ、俺の最強の精霊、炎と共に生き、灰の中からよみがえる伝説の幻獣、不死鳥フェニックスをよぉ‼」

不死鳥フェニックスですって⁉」


 不死鳥フェニックスと言えば、世界的にも有名な伝説の存在である。炎の中で死に、灰の中からよみがえる、自然の摂理を超えた幻想種。


 多くの魔術師や錬金術師たちが、生み出そうとして失敗してきた。


 そもそも不死鳥フェニックスが精霊であるのか、生命であるのかさえ判別していないが、元々命を持たない概念的な存在である精霊だったとすれば、納得はいく。


 しかし人の手でどうこうなるようなものか。


「っ‥‥!」


 月子は思い出す。


 箱庭の中ではあるが、神をも顕現させた榊綴さかきつづりを。勇輔をして化物と言わしめたシキンを。


 長い歴史の影で牙を研ぎ続けた導書グリモワールは、まっとうな常識では計れない。


「さあ、始めようか伊澄月子。これが俺の、最強の精霊だ‼」


 レオンが高らかに言い放ち、魔力を突き出した手のひらに集中させる。


 距離は離れているのに、肌を焼く熱量。とてつもない炎の魔力が、レオンの手に圧縮されていく。


 現れるのは煌々と輝く光の球体。


 炎を纏ったそれは光という概念から、確かな形を持って生れ落ちる。


 炎よりもさらに赤い翼と尾羽、天を突くとさかは雄々しくたくましい。そして豊かさを象徴するような丸々としたシルエットは、まさしく不死鳥フェニックス


 レオンが拳を突き上げ、精霊は空に鳴いた。


「こいつが俺の不死鳥フェニックス、ピィちゃんだ‼」


『コケェェエエエエエエ――――‼』


 物理的にも精神的にも熱い二人に対し、月子はどこまでも冷めた目を向けた。


 見るもの全てを凍てつかせるような、絶対零度の視線は、相手が勇輔であれば一撃でノックアウトしていただろう。


 ふざけているのか。


 いや、自分たちの世界に陶酔しきっている二人の姿は、ふざけているようには見えない。


 本気で、言っているのだ。


「‥‥」

「は、ピィちゃんの威容いように声も出ないか」


 威容。


 まあ確かに見ようによっては貫禄のある姿だ。しかしそれは神々しさではなく、力士に近いものだ。


 月子は突っ込むかどうかしばらく悩み、言うことに決めた。



「それ、にわとりよね」



「‥‥」

『‥‥』


 レオンとピィちゃんが顔を見合わせる。


 そして月子を見た。


「お前、これが鶏に見えるのか? 見ろこの鮮やかな赤い翼と美しい尾羽を。こんな鶏がいるか?」

『コケェェエエエ‼』


 心外だとでも言いたげに、ピィちゃんが鳴いた。


 言いたいことは分からないでもない。確かにその姿は鶏とは違う。


 しかし全体的なシルエットが、炎と共に空を飛ぶ不死鳥フェニックスではなく、食欲を刺激するような丸々としたものなのだ。


「丸いわよね」

「これは筋肉だ。あまり大きすぎても俺とのバランスが取れないからな。ピィちゃんはあえて、身体を圧縮させることでこの黄金比とでも呼ぶべきサイズを保っているんだ」

「じゃあ、飛べるのかしら」


 鶏かそうでないか。


 その判別方法はいたってシンプルだ。


 家畜ではなく野を生きる鳥として生まれたのならば、できて当然。その翼が飾りでないことを証明できれば、月子も百万歩譲って納得しよう。


「お前、本当にピィちゃんが鶏だと思っているのか? 不死鳥フェニックスだぞ。飛べないわけないだろうが」

『コケ!』


 ピィちゃんはおのを示さんと、翼を広げた。


 丸っこい姿にふさわしい、小さめな翼。


『コケェェエエエエエエエ‼』


 ピィちゃんはそれを懸命に羽ばたかせると、空に浮かんだ。


 そして綿毛よりもゆっくりと浮上し、レオンの手の上に乗る。


「見ろ!」

『コケェ!』


 ドン! と背後に擬音でもつきそうな勢いで、二人は言った。


「え、嘘でしょう?」


 これが精霊、伝説の不死鳥フェニックスだというのなら、探求を続ける世の魔術師たちが浮かばれない。


「‥‥まあいいわ。あなたの精霊が不死鳥フェニックスであれ鶏であれ、私のすべきことは変わらない」


 月子は槍を構え直した。抜けそうになる戦意をたぎらせる。どんな姿だろうと、導書グリモワール。油断できる相手ではない。


「まだピィちゃんを不死鳥フェニックスだと認めない気か。外見に囚われ、本質を見失うとは、魔術師として無知蒙昧むちもうまいと言わざるを得まい。見せてやれピィちゃん、あの愚かな女に炎の鉄槌てっついを下そう」


 レオンの言葉に呼応するように、手の上のピィちゃんが炎をまとった。


 それはすぐさま鶏の姿を飲み込み、炎の化身となる。


「っ⁉」


 月子は金雷を自身の周囲に展開し、バリアを張る。


 ただそこにあるだけで、熱波が襲い掛かり、雷を圧迫する。少しでも気を抜けば、押し潰される。


 熱量だけではない。圧倒的な魔力の塊が、そこにあった。


「受けてみろ、我らが聖炎せいえんを」


 レオンは静かに告げると、手の上の太陽を放った。




「『隕ちる陽ブレンエスニーダ』」


 


 速度がどうこうではない。


 大地を蹂躙じゅうりんし、大気を食らいつくす壁が迫る。


 月子はその瞬間、意識を手放していた。


 鮮明な死のイメージが、彼女からありとあらゆる思考力を奪い去る。


 直後、荒野を光と炎が塗りつぶした。

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