第169話 サービスサービス

 曇りガラスの向こうから見えるシルエットは、明らかに女性のそれだ。


「‥‥」


 リーシャか? カナミか?


 なんか気のせいじゃなければ服を脱いでいるように見えるんだけど?


 思考停止していた時間は結構長かった。


「ちょっ、待て! 入ってるから!」


 俺がいるのを知らずに入ろうとしてるのか⁉ こんな狭い家でそんなことある⁉


 叫びもむなしく、ドアが開いた。


「お、お邪魔します‥‥」

「キャァアアアアアア!」


 リーシャ、なんでリーシャ⁉


 入ってきたのはバスタオルを身体に巻いたリーシャだった。普段は隠されている真っ白な肌の大部分が露出され、視界をジャックする。


「な、ななななななんでなに⁉」

「お、お背中を流そうかと思いまして」

「今までそんなことしたことなかったでしょ!」


 そういうオプションは求めたことないから!


 俺は慌てて狭い湯船の中リーシャに背を向けて心を落ち着かせる。 


 一瞬だけ見えたリーシャは、湯気か羞恥か赤く火照り、普段とは違う蠱惑的な魅力を放っていた。


 あれはやばい。一瞬で視覚から脳を破壊する圧倒的暴力を叩きこまれた。


 確かにここ最近のリーシャは料理とか頑張ってたけど、こういう頑張り方は予想外だ。


 待て落ち着け、慌てるな山本勇輔。


 俺は百戦錬磨の元勇者。風呂に突撃されるのもベッドに潜り込まれるのも、既に経験済み。大体皆俺の素顔を見ると「勇者様じゃない!」と逆ギレしてくる追撃付き。動揺せず事を続けようとするのは九割暗殺者だ。


 ‥‥ふぅ。


 ちょっと涙が出てきたが、おかげで平静を取り戻せたぜ。


 相手はたかだか十六歳の箱入り娘。技術も色気もまるで足りていない。


 そんなもので俺をどうこうできると思うなよ、大人の対応で退出してもらおう。


「リーシャ、いいか――」

「どうしました?」


 意を決して振り向くと、目の前にリーシャの顔があった。


 湿気で頬に張り付いた金色の髪、いつもよりもつややかな唇。


「ふんっ!」

「何やってるんですかユースケさん⁉」


 俺は即座に自分を殴って視線を横にずらした。

 やばいやばいやばい。どんなハニトラよりやばいぞこいつ。肌色に殺される。


「とりあえず、お背中流しますよ?」

「どう考えてもタイミング遅いだろ! もう俺の身体は全身ピカピカです」

「自分では洗い残し出ちゃいますよ」

「俺は赤ちゃんか。というか君的にこの状況はあれじゃないの? ふしだら判定出るだろ」


 あるだろいつもの。間接キスでふしだら判定出るなら、これは完璧にアウトでしょ。


 ところがリーシャはぽけっとした声で言った。


「ふしだらですか? 確かに脚が出てるのはちょっと恥ずかしいですけど、その、水着よりも露出度は低いですし、湯浴みで身体を洗ってもらうことはよくありましたよ」

「ふーん、そっか」


 いやそうはならんやろ。


 確かに水着よりは露出度低いけど、そういう問題じゃないよね。こいつの恥じらいラインが未だに分からん‥‥!


「ユースケさん」

「分かった、分かったからとりあえずタオルを一枚取ってくれ。君が良くても俺が良くない」


 これ以上ここで押し問答していたら、本気で体温が天元突破して死んでしまうかもしれない。


 とにかくリーシャを満足させて早く出てもらおう。


 俺はタオルを腰に巻き、椅子に座る。


 背後でリーシャがボディソープを泡立てているのが分かった。本当に背中を流すつもりらしい。神殿の中なら、そりゃ湯浴みを手伝ってくれる人もいただろうけど、ここは狭い一人暮らしようの浴室だ。


 当然だが距離感が近い。


 リーシャの気配が手に取るように感じ取れる。感覚の鋭さが今は恨めしい。


「じゃあいきますね」

「お、おう」


 背中に柔らかな泡とタオルの感触が触れ、上下する。ゆっくりと優しい動きは、どこかむずがゆく、それ以上に気持ちが良い。


 考えてみれば、誰かに背中を流してもらうなんていつぶりだろう。


 王宮や貴族の屋敷に宿泊する時は、湯浴み専用の従者の人たちがいて、手伝ってくれることもあったが、あれは正直慣れなかった。


 リーシャの手つきはその人たちに比べれば拙いが、身体がリラックスしていくのが分かった。


 洗い始めて少しすると、リーシャが言った。


「‥‥ユースケさんはアステリスでいろいろな所を旅したのですよね」


 水の音に紛れた小さな声。


 ラルカンの一件が終わってから、リーシャには一通りのことを説明した。ただ彼女自身、勇者時代のことをあまり踏み込んで聞いてはこなかった

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