第419話 最後の役割

    ◇   ◇   ◇




 気付いた時、俺は白い部屋の中にいた。


 どういうことだ?


 ユリアスを斬ったせいで、『昊橋カケハシ』が崩壊でもしたのか。やばい、そこまで考えてなかったんだけど、空間の崩壊に巻き込まれて生きていられるものなのかね。


 そこまで考えて、目の前に二つの椅子が置かれていることに遅まきながら気付いた。


 玉座のような大きな背もたれで、随分と厳めしい作りだ。


 それが背を合わせるように二つ、置かれているのだ。


 違うな。


 背を合わせているのではない。背を向けているのだ。


 背もたれが大きく頑強なのは、決して視線が合わないようにするためだ。


 そこに座る二人が、それを示していた。


「あー、初めまして、でいいのか」


 二人ともこちらを向きもしてくれないものだから、仕方なく声を掛けた。


 やめてくれよ、どっちに話しかけていいか分からないだろ。


 そんな俺の複雑な心境を察してくれたのか、一人がくすくすと笑いながら答えた。


「あら、初めましてではないでしょう」


「同感だ。一度は会っているぞ」


 りんりんとガラスの鈴を鳴らすような軽やかな声に、男の俺でも聞き惚れてしまう低い声。


 だからやめてくれって。二人同時に話されたら、どっちに答えていいか分からないだろって。


 仕方なし。二人ともに返す。


「リィラ様と、グレン様。‥‥それとも、女神様と魔神様って呼んだ方がいいですか?」


「やめてよ、リィラでいいわ。それに敬語が下手ね、それならやめた方がマシよ」


「俺もお前に様付けされる理由がない」


 そうかい。


 案外神様ってのはフランクなものらしい。


 背を向けた椅子には、聖女リィラと魔将グレン・ローデストが座っていた。


 互いに視線を前に向けたまま、あるいは動くことができないのか、どちらにせよ俺の方を見ることはなかった。


「二人が俺を呼んだのか?」


「違うわよ」


「お前が勝手に入って来たんだろう」


 え、そうなの?


 全然そんなつもりなかったのに、勢いあまって他人様の空間に転がり込んでしまったらしい。迷惑。


 ただまあ、折角入ったのだから丁度良い。聞きたいことがあったんだ。


「勝手にお邪魔してすみませんでした。すみませんついでに、一つ聞いてもいいか?」


「何かしら?」


 リィラだけが反応してくれたが、まあ沈黙は肯定ってことでいいだろ。


 俺が二人に聞きたかったことは一つだ。


「神魔大戦を無くしたい。どうしたらいい」


 単刀直入に問う。


 この二人が神としてまつられてしまったがために始まった戦い。


 無くす方法も二人なら知っているんじゃないか。


 すると、リィラとグレンは少しの間押し黙り、ゆっくりと口を開いた。


「その答えは、もう分かっているんじゃない?」


「そうだな。くだらない問いだ」


 当たり前のように、二人は言った。


 何言ってんだ、と思いたいところだけど、今の二人の言葉で、どうにも心当たりができてしまった。


 考えないようにしていたのに、二人はそれを許さない。


 目を逸らすなと、言外に言われている。


「それしかないのか?」


「ええ、そうね」


「後のことは冥界の神を頼れ。不必要なものがなくなれば、世界は正しく回る」


「そう‥‥か‥‥」


 それしか方法は、ないんだな。


 ユリアスと話す中で、どこかで考えてはいた。荒唐無稽こうとうむけいな考えではあるけれど、もしもの可能性を無視できずにいた。


 リィラが幼子おさなごさとすように、優しい声で言った。


「本当はね、もっと早くそうすべきだったの。けれど私たちの弱さ故に、ここまで来てしまった。だからあなたが気に病む必要はないわ。本来の形に戻るだけ」


「そいつの言う通りだ。俺たちは長くりすぎた。もはや後戻りできなくなる程に」


 二人の言うことは分かる。


 だからやるべきことも分かっている。それが正しいということも。


 人族と魔族は女神と魔神を創り上げ、神魔大戦の術式を構築した。


 ではその中核たる神が消えれば、どうなるのか。


 きっと神魔大戦は形を維持できなくなり、霧散するだろう。


 そして神がいなくなれば、死した人々の魂は冥界へと招かれ、そこでゆっくりと自然界にエーテルとなって溶け出していく。


 そうやって、魂が循環する。


 そのためには、神がいなくならなければならない。


 女神と魔神、リィラとグレン。


 すんなりと俺の問いに答えた二人が、試さなかったはずがない。


「辛い役目を押し付けてごめんなさい。私たちには、できないの」


「俺たちは願いで創られている。願いに反することはできない」


 だから。


 だから、俺がやるしかないのだ。


 神を殺し、神魔大戦を無くす。


 ここまで戦ってきて、最後の役割がこれってところが、本当に救えない。


 救えないけれど、救うしかないのだ。


 リィラもグレンは、ずっと人族と魔族が争い続けているのを見てきた。自分たちが原因で、どうすることもできず、ただ見てきた。


 それをどんな思いで見てきたのか、ただの人間である俺には分からない。


「分かった」


 せめて、最大の敬意をもって、終わりにしよう。


 手に剣を顕現けんげんさせる。


 その時、リィラが言った。


「一つだけお願いがあるの」


「お願い?」


「私たちがいなくなれば、間違いなく世界は混乱におちいるわ」


 そりゃそうだろう。何せ種族全体で信仰していたはずの神が突然いなくなるのだ。


 その混乱は計り知れない。


 リィラの言葉をグレンが引き取った。


「俺たちがいなくなれば人族と魔族が手を取り合えるかっていうと、そういうわけでもない。種族の血に刻まれた意識は根深い。下手をすれば、新たな神が生まれる可能性さえある」


「‥‥俺にどうしろと?」


 悪いが神になってくれとかそういう話ならお断りだ。


 勇者でさえもう既に肩が重く感じている。


 それ以上なんて潰れる未来しか見えない。


「あなたには、調停者バランサーになって欲しいの」


調停者バランサー?」


「人族と魔族が和解し、手を取り合って過ごせるその日まで、見守って欲しいってことだよ」


「‥‥それはそれで、荷が勝ちすぎているな。買い被りすぎだよ」


 そう言うと、リィラとグレンが笑った。


 何だよその反応。いじめか? 神様が個人をいじめるなんて何ハラだよ。


「地球にもアステリスにも、あなた以上の適任はいないわ」


「辞めたいと思ったら、いつでも辞めたらいい。また戦争を始めるのなら、それは奴らが決めた道だ。重く考えなくていい。旅をしながら、目に余る事態は手を貸してほしい、それだけだ」


「それ、給料出るのか?」


 どこの所属でどういう勤務体系で、給与と福利厚生についても教えてほしいです。


 待遇良かったら考えるよ。


 リィラが笑うのをやめ、暖かな声で問いかけてきた。


「お給料は出せないけれど、私たちに出来ることなら、どんな願いも叶えてあげるわ」


「――願い?」


「そう。きっとあなたが一番初めに聞きたかったことよ」


 俺が本当に二人に聞きたかったこと。


 そんなことは最初から決まっている。


 神魔大戦よりも、世界中の人々の運命よりも、俺が守りたいと思うもの。


 あまりにも身勝手で、傲慢ごうまんで、恥知らずな願いだ。


 この願いを口にするのは、これまでの戦いで散っていった者たちへの背信だ。


 そう思ってしまった。


「あなたは変なところで真面目なのね。願っていいのよ。それだけのことをあなたはしたの。誰もあなたの選択を否定しない。そんなことは、あなた自身が、一番よく分かっているはずよ」


 リィラの言葉がじんわりと心にみる。


 俺は。


 俺は――。




「            」




 その願いを口にすると、リィラもグレンも深く頷いた。


「任せなさい。これでも女神様なのよ」


「誇れ。これが叶うのは、お前が何もかもを諦めず、繋ぎ止めた結果だ」


「私、リィラは」


「グレン・ローデストは」


 その声を聞くのがあまりにも嬉しく、悲しい。




「山本勇輔を祝福します」

「山本勇輔を祝福する」




 喉から叫びがほとばしった。


 何かを考えるよりも先に、身体に命令を叩きつけて腕を振るう。


 そうしなければ、きっと躊躇ちゅうちょしてしまうから。


 願わくば、この二人に永久とわの幸福を。


 剣を振る重さが、彼らが背負ってきたものだと実感しながら、俺は祈った。神様のいないこの場所で、誰に届くのかも分からないまま。


 それでも祈らずにはいられなかった。

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