第420話 鏡合わせの二人
◇ ◇ ◇
「ここは――」
目を覚ました時、柔らかな光が顔を照らしていることに気付いた。
新緑の爽やかな香りが鼻を抜け、心の奥が澄み渡っていく。
ああ、夢だ。
ユリアス・ローデストはすぐに気付いた。
ここはリィラやグレンと共に過ごした街の近くにある丘。
リィラが抜け出してはよく日向ぼっこをしていた、思い出の場所。
日差しに手を伸ばし、その手がか弱い少女のものであることに気付いた。
どうやらアイリスの姿で横たわっているようだ。
立ち上がることはできない。立ち上がる気もない。
もう終わったのだと、理解していた。ユリアスの肉体は既に滅び、魂も消えていく。
最期の場所がここなのは、運命のいたずらなのだろうか。
どさりと、誰かが隣に座る気配がした。
「‥‥まさか、君に看取ってもらえるのかい」
「俺じゃ不満か?」
勇輔が座って空を見上げながら答えた。
「いや、あまりに
どこかで鳥の鳴き声がする。風の吹く音が、草の揺れる音が、街の人々の声が、聞こえるようだった。
どれ程そうしていただろうか。
勇輔がぽつりと聞いた。
「一つだけ、聞きたいことがあるんだ」
「なんだい?」
「どうしてアステリスから帰ってきたばかりの俺を、殺さなかった」
勇輔の疑問はもっともだった。
未来が変わってしまうから、異世界に行く前の勇輔は殺せない。しかし勇輔がアステリスから帰ってきた時なら問題はない。ぼろぼろの心で戻ってきたその時を狙ってユリアスが動いていれば、なすすべもなく殺されていただろう。
ユリアスがその考えに至らないわけがなかった。
「それは――」
「勝手に話すけどさ」
ユリアスの言葉をさえぎって、勇輔が言った。
「お前は、ずっと迷ってたんじゃないのか? 口では世界のためならなんて言いながら、そのためにどれだけの命が犠牲になるのか正確に予想できたから、迷ったんだ」
「‥‥」
「だから俺が戦えるようになったのを待って、裁定なんて始めたんだ。お前自身が、誰よりも迷っていたから」
勇輔は最後までユリアスの方を見なかった。空を見ながら、ゆっくりと語った。
「違うよ。ただの気まぐれさ」
「嘘つくのが下手なんだよ。もう少し練習しとけ」
心地よい風が、二人の間を吹き抜ける。
ここには二人しかいない。夢のような時間は、きっと泡のように消えてなくなるだろう。
だからだろうか。
ユリアスは口を開いた。この六千年、誰にも伝えてこなかった思いが、零れた。
「私は、この地に転生した時、思ったんだ」
「‥‥」
「私がこのアイリスという少女を、殺したのではないかって」
「私ではなく、アイリス本人であったのなら、未来は違ったかもしれない。リィラ様とグレン様を繋ぎ止め、人族も魔族も生まれなかったかもしれない」
それはユリアスが抱き続けた疑念。罪にすらなれなかった、罪悪感。
「私は未来を知りながら、どうすることもできなかった。多くの人が死ぬ運命を、見過ごした。だからせめてその先を、よりよいものにしなければならないと、そう思ったんだ」
腕を瞳に被せ、ユリアスは言葉を続けた。
勇輔は相槌を打つこともなく、ただ黙って聞いていた。
「結局、私には救えないものばかりだった――」
そう言った瞬間、ユリアスの額を衝撃が襲った。
目を白黒させて見ると、勇輔が腕を伸ばしていた。どうやら指で額を弾いたらしい。改めて真正面から見る彼の顔は、自分を倒したとは思えない程に平凡で、それでも勇者なのだと実感した。
「お前、馬鹿だろ」
「馬、鹿‥‥?」
「ああ、馬鹿も馬鹿だ。大馬鹿だね」
勇輔は座り直し、丘の向こうに広がる景色に目を向けた。
「この世界、俺たちにはどうにもならないことばっかりだ。それでも回ってんだよ。皆どうにもならないもどかしさを抱えて、それでも明日を迎えるために、戦ってる」
それはユリアスへの言葉か、それとも自分に言い聞かせているのか。
「一人で何でも抱え込みすぎだ。皆、俺たちが思っているより、ずっと強いよ」
「‥‥」
その言葉に、ユリアスは何かを返そうとし、口を閉じた。
ただ小さく頷き、目を閉じる。
穏やかな風が、懐かしい香りと共に、夢をどこか遠くへ運んでいく。それでも彼の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます