第79話 陽向ご乱心
キレ気味に答えた陽向が、突然グイっと胸倉を掴んで顔を寄せてきた。明らかに目が据わっている。
殴られるの俺、なんで⁉
「さっきの話」
「さっきの話?」
思わずおうむ返しにすると、陽向は一瞬無言になり、パッと俺から手を離した。そのまま手近にあったビール瓶を引っ掴み、自分のグラスになみなみ注ぐ。
待て待て、君さっき焼酎らしきもの一気したばっかだろ。
「陽向、それは流石にペースが速す――」
「先輩」
「はい」
トクトクトクトク。
俺のグラスにもなみなみと注がれるビール。
「乾杯」
「か、乾杯」
「先輩、杯を乾すと書いて乾杯です」
「乾杯!」
恐ろしい圧を感じ、俺は陽向と一緒にビールを一気に飲み干した。
「おーー、ユースケさん。それ一気っていうやつですよね」
「っぷは! そんなことばかり覚えるんじゃありません!」
とりあえず飲み切ったし陽向の気もこれで晴れるだろう。何に怒ってるのかはよく分からないけど。
いつの間にか松田まで総司と女子に囲まれてるし、俺もあっち行こ――、
トクトクトクトク。
「先輩」
「陽向落ち着け、なんで俺のグラスが満杯になってるんだ?」
「先輩」
「いいか、酒ってのは程々に」
「乾杯」
「はい」
有無を言わさず注がれた二杯目を、圧に負けて一気飲みする。
なんだ突然、何が起こってる。今までありとあらゆるアルハラを受けてきたが、こんな据わった目で酒を注がれたことはなかった。騎士団長よりも強い圧を感じる。
とりあえず二杯目飲み終わったし、流石に陽向も満足したろ。
「じゃあ俺はこれで」
トクトクトクトク。
「先輩」
「はい」
「乾杯」
「はい」
三杯目完飲。
おおぉ、と声を上げながらリーシャが拍手をしてくれる。違うぞ、これは褒められることじゃないからな。そんな無邪気な顔で拍手するんじゃありません。
「いいかリーシャ、一気なんてやるもんじゃ」
トクトクトクトク。
「先輩」
「待て待ていい加減にしろ陽向、そろそろ本当にきつい。さっきまで普通に飲んでたし」
「先輩」
「だからもう無理だって」
「乾杯」
「無理って言ってんだろ!」
「乾杯」
「はい」
いやマジで四杯連続は流石にキツイぞ。
元々俺そんなに酒強い方じゃないし、大分頭がクラクラしてきた。視界がぐわんぐわん揺れ、顔が火でも出るんじゃないかってくらい熱い。流石にこれ以上はやばい。
「‥‥」
トクトク。
「待て頼む陽向、ここまでにしてくれ。怒ってるなら謝るから」
機械的にビールを注ごうとする陽向の手首を引っ掴み、何とか連続乾杯を阻止する。
「‥‥」
「陽向?」
顔を俯かせる陽向は、前髪の向こう側から上目遣いというには迫力のあり過ぎる目で俺を睨みつけた。
「さっきの話」
「だから何だよさっきの話って。別に変な話してないだろ」
酒に酔って郷愁というか、昔の思い出に浸るなんておかしいことでもない。何、合宿でそんなセンチメンタルグラフィティになってるのが気持ち悪いとかか。
しかし陽向の口から零れた言葉は、全く予期せぬものだった。
「‥‥どうせ月子さんの話ですよね」
「は?」
本当に意味が分からず酒に焼けた喉から間の抜けた息が漏れた。
何の話? 月子の話なんて一回もしてないだろ。
しかし俺の呆けた返事が気に入らなかったのか、陽向は真っ赤な顔で俺を見据えた。
「さっきの、無くしたものに限って光って見えるって、月子さんの話じゃないですか」
「何言ってんだ」
いつ誰が失恋の哀傷に沈んでいたというのか。
俺とリーシャの話だろ、異世界に行っていた以外は至って普通な郷愁だ。
しかし陽向は俺の手を払いのけながら続けた。
「確かに月子さんが来れなかったのは残念ですけど、そんなに落ち込まなくたって‥‥」
さっきから妙に話が嚙み合わない。ちょっと待て、状況を整理しよう。
月子がいたはずの合宿で、酒に酔って物思いにふけり、無くしたものに限って光って見えるなんて、何番煎じかも分からない台詞をキメ顔で言い放った。
ついでに俺はこないだ振られている。
「ああ、なるほど!」
「なるほどじゃないですよ何言ってんですかふざけてるんですか?」
「待て陽向、その酒瓶は既に空だぞ。あと持ち方が逆だからな、とりあえず下ろせ?」
明らかに違う用途で使われようとしている酒瓶を何とか確保し、陽向の手の届かない場所に避難させる。危なかった、酒瓶を持つまでの流れが自然すぎて恐ろしいわ。
にしても、そうかそうか。何の話かと思ったら、確かに陽向から見れば俺が月子との蜜月を懐かしんでいるように思えるのも仕方ない。
いつまでも先輩が元カノを引きずってクヨクヨしていたから腹が立ったんだろう。陽向とか、そういうのさっさと切り替えそうだもんな。
「いいか陽向よく聞け、俺は月子の話をしてたんじゃない。昔旅で行ったところのことを思い出してたんだよ」
「旅ですか? 先輩のそんな話聞いたことないですけど」
胡乱気な瞳が向けられる。確かに旅好きな人間なんて大体が社会にとって有為な人間足ろうという本物の意識高い人種か、あるいは自分探しに耽る探求者かといったところだろうが、生憎俺はそのどちらにも見えないらしい。実際違う。
「色々事情があって、随分飛び回ってたんだ」
「ふーん、先輩が。自分探しの旅ですか?」
「そんな思索に耽る人間に見えるか?」
「中二病になると旅に出たくなるって言うじゃないですか」
さらりと人を中二病患者だと決めつけるな。
「なんだ、月子さんじゃなかったんですね‥‥」
間違いを恥じるように陽向が頬を赤らめて呟く。
「まあ先輩が月子さんと付き合えていたこと自体が奇跡みたいなものですし、夢から醒めたと思えばそんなに落ち込まなくて済みますよ」
「うるさいわ、こう見えて俺だってそれなりにモテたんだからな」
「‥‥先輩、酔ってますね。水飲んだ方がいいですよ」
確かに酔ってるけど、酔わした本人に言われると甚だ遺憾だ。
「あのなあ、その旅の中でだって何人もの女性から言い寄られてきたんだぞ」
「先輩に限ってそんなことあるわけないじゃないですか」
こいつ舐めてるな。俺は今でこそこんな感じだが、腐っても勇者。救国の英雄であり、鎧姿の時には多くの女性から黄色い歓声を浴びたもんだ。
「いいか陽向。あっちの女性はどの子もスタイルが良いし、凄い積極的に迫ってくるから自制するのが大変」
「は?」
まるで大河を凍てつかせるような絶対零度の声が響いた。
何だろう、意図せず敵地に踏み込んでしまったかのような悪寒がする。三十六計逃げるにしかず、勇者だって時には背を向ける時があったっていい。
「よしリーシャ、そろそろカナミを救出に――」
トクトクトクトク。
背後から聞こえる音を無視して立ち上がろうとしたら、むんずと手首を掴まれた。
何だこの力は‥‥っ! 俺が全く振りほどけない。
「わ、私はカナミさんの方に行きますね」
「馬鹿待てリーシャ、普段そんな気の利かせ方したことないだろ!」
「先輩」
背中を貫く獄卒の刃。彼女は話したいなら聞いてやろうとばかりに、手首を強く握りしめた。本来なら嬉しいはずのスキンシップが、今はひたすら怖い。
そのまま逃げることもできず、俺を冷たい地獄へと引きずり込む言葉が滑り込んできた。
「乾杯」
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