第78話 青春の狂騒
「さて、じゃあ読み合わせ再開するか」
「それより大丈夫か勇輔、おでこ真っ赤だぞ」
「何とか軽傷で済んだ」
「そ、そうか」
勇者じゃなければ即死だった。
お茶を片付ける陽向は相変わらず冷たい目線で俺を見下ろす。
「まったく一瞬でも目を離すと碌なことしませんよね、先輩」
「ただマッサージ受けてただけじゃん‥‥」
「リーシャちゃんにやらせてることが問題なんですよ」
基準が厳しい。
これ以上この話を続けても陽向が不機嫌になるだけなので、切り替えて読み合わせするか。
「皆さん、頑張ってください」
リーシャに励まされながら俺たちは再び原稿に向かった。
俺が今読んでいるのは総司の作品だ。大学を舞台に小さな謎を解決するミステリー小説である。
消えた本を探して構内の人々から話を聞いて回るという話なんだが、想像以上に読み応えがある。自分でも考えれば解けそうで、中々答えまでたどり着かないところが、読んでいて楽しい。
今年の文芸部のテーマは星なので、きちんと推理に星座を使っているところもポイント高い。
いつも思うけど推理小説書ける人の頭の中ってどうなってんだろう。頭の構造が根本的に違う気がする。
そんなことを思いながら付箋をぺたぺた張り付けていく。
「もう少しヒロインの胸は大きい方が好みです」と。よしこれでオーケー。後はいくつかの文章の違和感を書いておく。
そうやって俺たちは長い時間をかけて読み合わせを続けた。
陽向が書いた作品は星をテーマにした短歌。申し訳ないが古典なんて受験の時にやったきりでさっぱり分からないので、「古文がかっこいいと思いました」と付箋に書いて貼っておいた。
そして鬼門たる松田の作品である。
その内容はまごうことなき純愛小説、タイトルは『星に惹かれて』。息もつかせぬ怒涛の展開に、それを無理矢理に感じさせない巧みなストーリー構成。揺れ動く登場人物の微細な変化を表現する情景描写。書いているのが松田という一点を除けば感動できる作品だった。
マジで直すところが見当たらないので、既に三枚付箋が貼ってある著者名の『あなたの豚です』にそっと付箋を貼っておいた。残念だよ『星に惹かれて』。君は生まれてくる場所を間違えてしまった。
最後に回ってきたのは、黒井さんの書いた小説だった。内容はゴシックホラーというのか、
洋館に踏み入った男性が様々な怪奇現象に見舞われるものだ。
こういう小説はあんまり読んだことなかったけど、とりあえず夜に読まなくてよかったと思うくらいにはクオリティが高い作品だった。何というか黒井さんの愛が溢れているというか、念が籠り過ぎているというか、読んでいるだけで背筋が寒くなってくる。ある種の魔道具だろこれ。
しかしあれだな、霊体とも戦ったことがある身からするとヤキモキするというか、そこだよ斬れ! やれ! と主人公に向かって叫びたくなる。そういう楽しみ方をする本ではないと思うけど。
そんなこんな、気付けば日もとっぷりと暮れ、窓から差し込む光も橙色から灰色に変わっていた。
机の上には散乱したシャーペンと消しゴムのカス、折れ曲がった何枚もの付箋に破れた原稿。まるで机の上で戦争でも起こったような有様だ。机に突っ伏す死屍累々の人々がそのイメージを助長させる。
喧々諤々の討論を終え、全員の体力は底を尽きていた。
「おーい、読み合わせ終わったかー」
「皆様、読み合わせとやらは終わったのでございましょうか」
立ち上がる気力もなくぐったりとしていたら、バタンと扉を開けて会長とカナミの二人が入ってきた。
視線だけを向けると、入ってきたカナミがうたた寝しているリーシャを突っつき、会長は総司や松田を蹴り起こしていた。メンバーに対する扱いが雑ぅ。
「この程度で軟弱だな。さっさと起きろ、夕飯の時間だぞ」
「軟弱って‥‥なんで会長はそんなに元気なんすか」
「むしろ本を読んでいただけで何故そこまで疲弊する」
いっそ筋トレの方が疲れないと思います。
これ以上待たせても会長が怒るだけなので、なんとか痺れた足に力を込めて立ち上がる。他の面々もぶつくさ疲弊を口にしながら立ち上がった。
リーシャはといえばカナミに首根っこを掴まれて立たされているところだった。
邪魔なところで昼寝していた猫みたいだ。
会長にせっつかれ、俺たちは昭和のゾンビみたいな足取りで食堂へと向かった。
◇ ◇ ◇
古今東西天国地獄、現世から異世界に至るまで、戦場の傷を癒す薬といえば相場が決まっている。
グラス一杯元気百倍、十杯超えれば夢見心地。最も多くの人間を文字通り天へと送り続けた劇毒であり百薬の長。
即ち、酒である。
京都在住のとある黒髪の乙女などはカクテルを宝石に例えたものだが、サークルの飲み会にそんな上品なものは出てこない。
言うなれば黄金。
グラスの中で泡立つ金色はかのミダス王よろしくあらゆる人を狂わせる。
特に今日みたいに散々頭を使った後の酒は阿呆程効く。というより阿呆になる。それもただの阿呆ではない、加速度的に進化する阿呆だ。
つまるところ文芸部の面々は平素の何倍もの速度で酔っていった。
「おいおい酒が足りねえぞ、すぐ次のを持ってこい!」
海賊か山賊かとばかりに手近な部員に命令するのは我が文芸部の会長様である。
口ではあーだこーだ言いつつ疲れが溜まってたんだろう。無事読み合わせが完了して大分はっちゃけていらっしゃるご様子だ。
基本的に文芸部としての読み合わせは今日で終了。明日は一日フリーで、夜に飲み会をしたら次の日に解散となる。だから今日はいくら飲んでも大丈夫。
その影響からか、松田は半裸だし総司は後輩女子に囲まれてるし、何がなんだかである。
「ねえねえ、私泳ぐの苦手だから教えてよ」
「え、俺だってそんな得意じゃないけど」
「いいじゃんいいじゃん」
「私新しい水着買ったんだよねー」
「私も私も、見せる相手もいるわけじゃないけどさ」
更に至るところでグループができ、明日の予定を楽しそうに喋っている。
いつもの俺なら酔った勢いでそこらのグループに突入しているところだが、どうにも今日はそんな気分になれなかった。
徐々に混沌と化していく宴会を、隅っこでなんとなしに眺める。別に飲み会が嫌なわけじゃない、ただ今日はぼんやりと何も考えずに飲みたかった。
アステリスでは旅をする生活が長く続いたけど、大きな戦いの終わりや祭りの時には皆でこうやって時を忘れて飲み明かした。過去を振り切り、明日への希望を乗せて歌い踊る。
人の死があまりに身近にある戦国の世。故に人は大声で笑い、生きていることに感謝する。
淡く揺れる魔動灯の明かり、途切れることなく聞こえてくる楽器の音色。そしてそれをかき消す人々の賑わい。
無理だって分かってるけど、またあいつらと飲みたい。こうして酒に溺れれば、せめて夢の中で会えるんだろうか。
「ユースケさん?」
感傷に浸りつつ部屋の隅っこで飲んでいたら、素面のリーシャがひょこっと顔を出した。
未成年の彼女の手にはオレンジジュース。例の一件で酒への憧れはきれいさっぱり消えたらしい。
「あれ、カナミは? さっきまで一緒にいたろ」
「カナミさんならあそこに」
リーシャが指さした先では、カナミが多数の酔っ払いに囲まれていた。
ああ、ご愁傷様である。普段は話しにくい彼女も、酒の力を借りた今なら、という感じだろう。しかしカナミも歴とした未成年、酒は飲まされないだろうし、リーシャと違って心配する要素もない。
というかちょっと待てよ。
「よくリーシャは捕まらなかったな」
「あ、それはですね――」
「私が引っ張り出したんですよ」
ひょいと茶色い頭がリーシャの後ろから現れた。
気付かなかった。いたのか陽向。
珍しく少し酔っているのか、顔を紅潮させた陽向が頬を扇ぎながら俺の隣に座った。微妙に距離が近くて甘い香りがする。赤くなっているせいか、横顔も妙に色っぽい。
「そ、そうか。ありがとな」
「先輩がリーシャちゃんの保護者なんですからしっかりしてください。カナミさんが受け持ってくれたので大分楽でしたけど、引っ張り出すのも大変だったんですよ」
「すまん、ちょっとぼーっとしてた」
普通に夕飯を食べながら総司たちと駄弁っていたところまでは覚えているんだけど、その後はうろ覚えだ。
気付いたら一人で酒を呷っていた。
そうですか、と頷く陽向。しかし聖女の反応は違った。
「なんだかユースケさんずっと心ここにあらずですよね。何かあったんですか?」
リーシャは相変わらず恐ろしい切れ味で斬り込んできた。間合いも何もあったもんじゃない。
毎度毎度テレパシーでも使ってるのかこやつ。近寄ってくるリーシャの頭をどかしながら答える。
「別に大したことじゃないぞ。少し昔のことを思い出してさ」
「昔のことですか?」
「まあな」
電車でうたた寝している時に見た夢。こんなに感傷的になってしまうのは、あれのせいだろう。
あの時失いたくないと思ったものは、命懸けで守ったはずの場所は、二度と見ることさえ叶わなくなった。決して美しい思い出だけじゃない、むしろ血に濡れた絶望と怨嗟の道だったはずなのに、今思い出すのは輝かしい人々の姿ばかりだった。
「無くしたものに限って光って見えるんだよ、人生ってさ」
「なる、ほど?」
「絶対分かってないだろ」
「分かってますよ! あれですよね、もう一回カナミさんのお弁当食べたいなあっていう気持ちですよね」
「掠ってるようで全然掠ってないぞ、それ」
俺のセンチメンタルな気持ちを君の食い意地と一緒にするんじゃありません。いつからそんな食いしん坊キャラになっちゃったの?
――はぁ、まったく。
リーシャとそんな話をしていたおかげで、感傷的な気分もどこかに行ってしまった。
酔いも醒めてきちゃったし、飲み直そ。
そう思いテーブルのグラスを取ろうとしたら、陽向がグラスを一息に呷っているのが見えた。え、それ透明だけど絶対水じゃないよね。
「おい陽向、その酒一気するタイプの酒じゃないだろ。何やってんだ」
「はぁ? 何やってんだじゃないですよ」
何々どうした突然。
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