第243話 恥じるものなし

 四辻千里は、土御門とある契約を交わした関係だ。


 普段は会うこともなく、お互いに別の生活を送っている。


 しかし彼女ほど土御門の力を知る者は、他にいないだろう。


 飄々ひょうひょうとした見た目からは想像もつかない、魔術師としての腕を、彼女は身をもって知っている。彼を超える魔術師は日本にはいないだろうと、そう思ってさえいた。


 だからこそ、目の前の現実を中々受け止められずにいた。


「『想像以上に時間がかかった』」


 そう言いながら、魔術の発動を解く山本勇輔。


 彼の周囲には、おびただしい数の獣のむくろが転がっていた。ただの獣ではない、一体一体が凶悪な怪異、ぬえなのだ。


 千里の知る鵺よりも遥かに強力な個体。


 それの群れを相手に、勇輔はまるで害虫を駆除するような淡々とした動きで、一体ずつ沈めたのだ。


 千里自身、一度勇輔と戦ってその力は認めていたが、その認識が圧倒的に間違っていたことに今更ながら気付かされた。


 これが異世界の勇者。


 土御門が日本最強であるのに対し、勇輔は魔術世界において最強の存在だったのだ。


 知識が目前の現実とつながり、めまいがする。


 新世界トライオーダーもシキンも脅威だが、目の前の存在にすれば些細なものなのではないか、そんな風にさえ思えてくる。


「まあ、それでも生き物じゃないだけマシか。罪悪感がなくていい」

「罪悪感とか、感じるの君?」


 混乱する頭のまま、頭に浮かんだ言葉がそのまま口から出た。失言に気づいたのは、勇輔が千里を振り向いた時だった。


 彼は笑うでも怒るでもなく、いつもと同じ顔で言った。


「あ、ごめん」

「いや、謝らなくていいよ。実際いろんなものを斬って、殺してきた。それでも罪悪感は感じるよ。昔はわずらわしかったし、見て見ぬふりをしてきたこともあった」


 勇輔は昔を思い出しているのか、千里を見ているようで見ていなかった。


「でも最近は大事だと思ってる。道を見失わなくて済むし、罪悪感を感じるっていうのは、俺がこの国できちんと育てられてきた証拠だからな」

「そっか、きちんとした親御さんだったんだね」

「息子はろくなもんじゃないけどな」


 勇輔はそう言って笑った。


 そう笑えるようになるまで、どれ程の苦労があったのか、千里には分からない。彼女自身、家族との愛情には疎い。


 だからできるだけの笑顔で返した。


「女の子五人はべらせてるもんね!」

「おい待てやめろ。なんかすごい語弊を生む言い方だろそれ」

「そんなに間違ってないと思うけどなあ」

「間違ってないから問題なんだろ!」


 勇輔の魂の叫びを聞きつつ、千里は鵺を避けて歩き始めた。


「戦ってくれてありがとう。さあ先に進もうか。ここにいると何だか呪われそうだよ」

「それは同感だな。というか、怪異って死んだら消えないのかよ」


 二人は数多の鵺を後に、部屋を出た。

 



     ◇   ◇   ◇




 何とか鵺の群れを殲滅した俺たちは、最初の目的通りシキンがいる部屋を目指して進み始めた。


 あの鵺は本当に何だったのかってくらい強かったし、数も多かった。ただ納得できたこともあって、あのふざけた質量の落雷とか、鎧をぶち抜く声とかは、数が多かったからこその威力だったようだ。


 複合術式とはまた違うが、怪異があのレベルの連携を取ってくるなんて、思いもしなかった。


 新世界トライオーダー


 シキン。


 四辻の言う通り、舐めてかかれる相手じゃなさそうだ。


 それでもここで新世界トライオーダーに深く切り込まない限り、この神魔大戦は常に後手に回り続ける。


 そういう予感があった。


 ただの勘だが、今ここで土御門から提案があったのは、波だ。それが好機を呼ぶか災いを呼ぶかは分からないが、少なくとも乗らなければ、飲まれるだけだ。


 俺たちの前に、一つの扉が現れた。


 鵺たちが待ち構えていた扉よりも遥かに大きく、細部にいたるまで舌を巻く装飾が施されている。


 地を這い苦悶の表情を浮かべる人間。その下には炎が渦を巻き、上に行くにつれて人の顔は安らかに、装飾は絢爛になっていく。そして特徴的なのは、空から下へと伸ばされた二つの巨大な手だ。


 まるで蜘蛛の糸だな。


 その手を伸ばしている主は垂れ幕に隠れて見えなかった。あるいは元々彫られていないのか。


 神仏が救済してくれるというのなら、そんな幸せな話はない。当然、そんな都合のいい話もない。


 勇者だろうが魔王だろうが、結局は盤上にいる者が動くことでしか、現実は変わらないものだ。いくら女神に懇願しようと、剣を握らない限り誰も守れはしなかった。


「開けるよ」


 黙って扉を見つめていた四辻が、覚悟を決めたように扉に手を置いた。


 直後、巨大な扉は誰かが動かしているかのように、ゆっくりと開き始める。


 踏み込んだ部屋は、半球型の巨大な空間だった。壁から天井にかけて、扉と同じような人の彫刻がおびただしい程に彫られている。


 この観衆たちからは、あまり気持ちのいい声援は聞こえて来なさそうだ。


 そんな部屋の奥で、そいつは俺たちを待っていた。


 一段高くなっている場所で胡坐あぐらをかき、入ってきた俺たちを見つめている。


 不思議な男だった。


 目の前にいるのに、気配がほとんどしない。鵺の使っていた隠形とはまた違う。視線は引き寄せられるのに、その実体をとらえ切れない。


 それほどまでに、静かなのだ。


 数々の暗殺者に狙われてきたからこそ分かる。彼らの気配を消す技術とも完全に別。


 だがそれ以上に、不思議なことがあった。


 多くの強敵、難敵と戦ってきたが、ここまで初見で度肝を抜かれた奴は初めてかもしれない。


 男は気負うこともなく立ち上がると、堂々とした立ち振る舞いで俺たちを見下ろした。


 人間が到達できるとは思えない、完成された肉体美。ただ筋肉量が多いとか、体格がいいとか、そういう次元ではない。隆起、しなやかさ、バランス。その全てが完璧だった。


 そして長い黒髪に、少年にも青年にも、あるいは老人にさえ見える整った顔立ち。


 男の俺でさえ見惚れてしまう姿だ。


 しかし、今はそれよりも気になることがあるのだ。


 四辻は雰囲気にのまれているのか、あるいは俺と同じことが気にかかっているのか、目を白黒させてフリーズしていた。


 シキンが鷹揚に口を開いた。


「よくぞ我が煌夜城こうやじょうへ参られた。歓迎しよう。我こそがこの城の主、シキンである」


 心地よいバリトンボイスに流されそうになるが、まずは聞かなければならないことがある。


 シキンの正体とか、何のために俺を呼んだのかとか、そんなことよりもまずは問いたい。


 俺は意を決して言った。


「お前‥‥その、なんで裸なんだ?」


 そう、シキンは裸だった。そりゃ美しい肉体美にも見惚れてしまいそうになるさ。何せ上から下まで丸見えなのだから。


 今どきのアニメなら、不自然な光が乱舞しているところだぞ。


「ふむ」


 シキンは自分の身体を見下ろし、再び顔を上げると、腕を組んで上体を反らす。


「我が肉体に一切恥じるものなき故に」

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