第255話 血の盟約

 カナミは両腕を広げ、前を見据えた。


「さあ、行きますわよ」


 その言葉は自分への激励であり、鵺に対しての挑戦であり、同時にまったく別の者に対しての呼びかけであった。


 カナミは魔道具使いだ。


 月子のように訓練を積んだところで、劇的に強くなることはない。



 では強くなるためにはどうするか、単純な話だ。


 魔道具ぶきを強くすればいい。


 その発想自体は地球に来た時からあり、カナミは常に知識を収集、魔道具の改造を行っていた。


 それは対魔官と正式に協力関係になったことで、より加速することになった。


 事実フェルガーもアルファニールも、イリアルと戦った時よりも性能は上がっている。


 しかし、それでもラルカンには手も足も出なかった。


 より根本的な部分で、カナミは強化を行う必要があった。


 それこそ、悪魔にも魂を売る覚悟で。




『ああ、ようやく出番ですか。随分待たされましたねぇ』



 

 カナミと鵺。その両者だけの空間に、新たな声が響いた。


「ヒョロロロロロ!」


 何かに気付いた鵺が、即座にいかづちを撃った。これまでのカナミにはない、得体の知れない空気。それをかき消すべく、雷鳴がとどろいた。



 カナミの身を焼いた雷光が、四方から襲い掛かる。もう一度受ければ、確実に命を絶つ攻撃。


 闇を真昼のように照らす火花が炸裂した。


『一度見せた技が、この私に通じるとでも?』


 焼け付く閃光が薄闇に溶けると、そこにはカナミが変わらず立っていた。


 いな。変わらず、というのは正確ではない。


 何故ならカナミを守るように、漆黒の盾が二枚浮かんでいるのだから。


「流石ですわね。機構の方もきちんと再現されているようですし」

『当たり前でしょう。私を誰だと思っているのですか?』


 声はカナミ自身から聞こえてきていた。


 カナミの首には、いつの間にか黒いチョーカーが巻かれていた。チョーカーの表面は液晶画面のようになっており、その光の点滅に合わせて声が出ているのだ。


「ええ、あなたの力はよく分かっていますわ。だからこそ、こうして契約をしたのですから」

『私もこれまで何人もの異常者を見てきましたが、あなたはそれの何をも超える』


 声は笑いながら答えた。


 そう、彼は本来ならここにいるべき者ではない。カナミと共に手を取り合うなど、あり得ないはずだった。


 人族にあだなし、イリアルとユネアをもてあそんだ外道。


「安心なさい、あなたほどではありませんわ、タリム・・・


 カナミにそう言われたタリムは、喉を鳴らして笑った。


 セナイのタリム。


 過去に卑劣な手段を用いて勇輔やカナミを追い詰めた魔族の一人である。その正体は、魔術によって魂を定着させたゴーレムだ。


 彼は勇輔に敗れたものの、命だけは奪われず、吸魔の檻に閉じ込められていた。


 そんなタリムが何故カナミと共にいるのか。


 それはラルカン戦の後、カナミからもたらされた一つの提案によるものだった。





     ◇   ◇   ◇




「タリム、あなたはこのままいけば、戦いに参加することもなく、その愛玩動物のような扱いのまま、一生を終えるでしょう」


 檻の中で眠るように座っていたタリムは、その声に顔を上げた。自分の分体を全て撃ち抜いた、魔弾使いがタリムを見下ろしていた。


「‥‥何が言いたい?」


「取引をしましょう。あなたは向上心に満ち溢れている。神魔大戦の結果など二の次にして、あの魔王さえも越えようという、貪欲な野心がある。私の提案を飲めば、それも叶えられるかもしれませんわ』

「馬鹿なことを。貴様程度にそれ程の力があるものか。そもそも我々魔族が、下等な人族と取引などするはずがない」


 吐き捨てるようにタリムは言った。


 確かに彼の本質は利己主義。戦争の結果などよりも、自分の魔術がどこまで強くなるのか、それこそが第一だった。


 しかし魔族と人族は不倶戴天ふぐたいてんの敵同士。利益のために利用することはあっても、対等な取引などあるはずがない。


 それが地球の戦争とは異なる部分だ。


 そんなことはカナミとて百も承知。むしろ皇女であるカナミは、一般的な人族よりもその意識は高かった。


 しかもカナミの祖国は魔族の侵攻によって大きな被害を受けているのだ。彼女の親しい人も、多くが殺された。


 もしも彼女の家族が、あるいは近しい人がこの話を聞けば、気でも狂ったのかと思うだろう。下手をすれば、皇女であっても裁判にかけられ、終身刑、あるいは死刑の可能性もある。


 人族が魔族と取引をするということは、そういうことなのだ。


 『裏切り者には死を』。


 イリアルに向けた銃口は、嘘ではない。


 カナミは覚悟を決めてタリムの前に立っていた。皇族としての立場、人族としての尊厳、誇り、その全てを捨てる覚悟を。


 戦いの後に戦犯として吊し上げられようと、家族に憎悪の目を向けられようと、惨めな最期を迎えようと。


 思い出すのは、『ガレオ』の前に立つ白銀はくぎんの鎧。カナミに笑いかけてくれる、優しい笑顔。


 あの人の隣に立てるというのなら、その程度のリスクは、なんの障害にもなりはしない。


 それを示すように、カナミは手をタリムの方に向けた。そこから血のように赤い粒子がこぼれ落ち、一枚の羊皮紙になる。


「貴様、それは‥‥」

「魔族の間でも有名でしょう。我々皇族や王族の血筋では、発現することの多い魔術ですから」


 カナミが発動したのは、彼女の魔術だった。


 魔道具使いであるカナミであるが、当然、固有魔術も持っている。それは普段の戦闘ではまるで役に立たない、皇族としての魔術。


 『血の盟約ブラッドロール』。


 この盟約を交わした者たちは、互いの命を懸けてそれを守らなければならない。もしも敗れば、血の制裁によって命を奪われる。


 本来は孤高なる皇族が、真に信頼できる者を作るための魔術。


 カナミはそれをタリムに持ちかけたのだ。


「‥‥正気か?」

「勿論ですわ。契約の内容は、単純に言えば互いの目的のために全力を尽くすというもの。細かい内容はありますが、それはご自身で確認してくださいませ」

「私は、命を捨てて貴様を殺すこともできるのだぞ」


 一度盟約を結んだとしても、決死の覚悟があれば、裏切ることも可能だ。この魔術は強力だが、万能ではない。


 カナミは平然と頷いた。


「そうなった時は仕方ありませんわね。あなたを納得させられなかった私が無能であったという、それだけでしょう」

「──」


 タリムは完全に言葉を失った。


 目の前にいるのは、人族の英雄のはずだ。誇り高く、信念を持ち、女神を崇拝する者。


 カナミの目は、正気を保ったまま、爛々らんらんと輝いていた。


 あるいはタリムが気づかないだけで、それは既に狂っていたのかもしれない。


「さあ、どうしますか。誇りのために退廃の死を受け入れるか、わたくしと共に背信の道を歩むか。一つだけ保証できるとすれば、あなたの魔術と私の知識は、相性がいい。この手を取ってくれるのであれば、あなたを高みに導くことを約束しましょう」


 その目を見た時から、結果は決まっていたのかもしれない。


 タリムはこれまでに感じたことのないひりつきに、口角を上げた。


「いいだろう。足手まといにだけはなってくれるなよ」

「ええ、それはお互い様でしょう」


 『血の盟約ブラッドロール』に署名が行われ、ここに人魔の共闘関係が生まれることとなった。

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