第202話 嫁取りの儀

 後ろが、振り向けない。今振り向いたら殺されると、元勇者としての本能が警告を告げていた。


 これはあれだ、覚えがある。ガチギレした時のエリスと同じだ。


 一つ選択肢を間違えただけで、魔術が飛んでくる。誰だ地球のツンデレは魔術が飛んでこないとか適当なこと言った奴。いや、月子がツンデレかどうかは知らんけど、素直になれないところはあるよね。


「誰――?」


 言葉の後に続く不思議な威圧感はなんなの、死ぬ。


 しかしシャーラについての説明が難しい。きちんと説明しようと思ったら、俺が勇者をやっていたところから話す必要がある。


 いや、元々その話をするつもりだったからそれは全然いいんだけど、今の月子がその説明を待ってくれる気がしない。


 時間と共に苛烈になる紫電がそれを物語っている。 


 全力で頭を回せ山本勇輔。ここは死地だ、本気で切り抜けれなければ、未来はない。


 ふう。


「聞いてくれ月子、この子は」

「婚約者」


 ‥‥ワッツ?


 何故か俺の言葉を遮ってシャーラが答えた。


 振り返った先で、ポカンとした顔の月子がいる。


「え、え?」

「伝わらなかった? ユースケの婚約者。というより、妻?」

「‥‥妻?」


 待て待て待て待て。ステイステイ。


「いや違うだろ⁉」


 ここは駄目だ、黙っていたらろくでもない結果になる。違うことは違うと言える勇気が大事だと思います。


 清い身である俺は、勿論結婚なんてしてないし、婚約者もいない。薬指は常にフリーの状態だ。


 俺の渾身の否定に、シャーラは不思議そうな顔で言った。


「どうして? 私とユースケは婚約しているのだから、何も間違っていない」

「何もかも間違ってるだろっ‥‥。そもそも婚約なんていつしたんだよ」

「‥‥」


 シャーラはぷっくりと頬を膨らませた。


 な、なんだよ。


「した。私が冥府を出るときに、あなたを夫として愛すると冥神様の前で誓った」

「冥府で? 何の話――」


 そこまで言ったところで、頭に電流が走った。あるいは月子がまき散らしている紫電に頭を焼かれたのかもしれない。


 その衝撃で思い出した。


 そうだ、確かにした。本当の婚約というよりは、形だけのものだが。


 シャーラは冥府を出たがったが、それは叶わない夢だった。何故なら彼女は、冥神の妻の一人・・・・だったのだから。


 国によって冥神に捧げられた花嫁、それがシャーラなのだ。


 そんな彼女が冥府を出るには、それ相応の理由が必要だった。そこでシャーラが案じた一計が、『嫁取り』だ。


 自分を俺と冥神の賭けの対象にし、我が儘を押し通したのである。


 実際は既に多くの妻を持つ冥神も、シャーラの処遇に困っており、願いを叶える落としどころを探していたようだけど。


 いきさつはどうあれ、確かに俺はシャーラを婚約者として認め、試練を受けた。


 あれか。


「いや、ごめん思い出した。確かにした‥‥けど、あれは冥府から出るための形だけのものだろ」

「私はそんなつもりはなかった」


 シャーラは言い切った。彼女の振るう剣と同じように、躊躇なく果断に。


「私はユースケに人生を預けて戦ってもらった。あの誓いがなかったことにはならない」

「そんなこと、今まで言ったことなかったじゃん」


 だからてっきりあの時だけの話だと思って、記憶の底にしまわれていた。


 シャーラは今度はそっぽを向いた。


「あれはエリスがいたから。第一夫人を立てるのは、第二夫人の義務」

「なんでそんなところばっかり律儀なんだよ‥‥。あと、エリスは妻じゃなかったから」


 彼女はそっぽを向いたまま、俺の言葉を黙殺した。シャーラの生い立ちを考えると、そのへんの妻の序列には敏感なのかもしれない。


「婚約者‥‥妻? エリス?」


 そして当然ながら、月子は混乱した様子でうわ言を繰り返していた。


 そうなるだろ。しかしここまでショートしている月子は珍しかった。いつもなら取り繕うぐらいはしただろうが、それすらもできなくなっていた。


 どうやら死地は抜けられたらしいが、根本的な問題は解決していない。説明をしようにも、シャーラのせいで余計にとっ散らかってしまった。


 まずは俺がアステリスに行っていたところから話さなきゃいけないんだけど、今の月子がそれを受け止めるだけの余裕があるだろうか。


 零れそうになるため息を押しとどめ、とりあえずシャーラはステイ。後は月子を落ち着かせて話をしよう。


 そう思っていたら、今度は別の乱入者が突っ込んできた。

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