第201話 シャーラという女性

     ◇   ◇   ◇




 アステリスでの神魔大戦後半、俺は一度死にかけた。


 半死半生とか、瀕死とか、そういう話ならわりとよくある話なのだが、その時は本当に死にかけた。


 というか、ほぼ死んでいた。


 最強の魔族が一角、『ガレオ』との戦いで、最後の一撃が互いに致命傷を負わせたのだ。


 結局『ガレオ』はその攻撃では死なず、しばらくした後にファドル皇国のランテナス要塞攻防戦で再び戦うことになるのだが、それはまた別の話だ。


 そうして一度死んだ俺は、『冥府』に落ちた。


 『冥府』とは、アステリスで死に、女神や魔神に救われぬ魂が落ちる場所だと言われている。


 そんな場所に何故俺が落ちたのか。勇者は女神の寵愛を受けた人族だ、本来なら落ちるはずがない。



 冥府の神である『冥神』様から説明された気はするが、まあ異世界人というイレギュラーな要素が引き起こした事態だったらしい。


 まあそんなこんなあって俺は冥府に行きついてしまった。


 そこで出会ったのが、シャーラだ。


 黒いドレスを身に纏い、サーベルをたずさえた彼女は、美しき死神に見えた。月光の如き碧い光だけに照らされた冥府の中で、シャーラの紅い瞳は妖艶に過ぎたのだ。


『あなた、強い人?』


 シャーラはそう聞くなり、いきなり切りかかってきた。


 しとやかな動きからは想像もできない、洗練された殺しの剣筋。戦闘直後でなければ、切り伏せられるところだった。


 それからまあ色々、本当に色々あり、俺は冥神の出した試練を乗り越え、現世に戻ることができた。


 その時にシャーラも一緒に冥府を出たのだ。


 シャーラはとある事情から、十代の時に冥府に迎えられ、そこから一度も現世に出ることなく生き続けた。具体的な年数は本人も分からないそうだが、少なくとも俺たちが生きている時代に、彼女が生まれた国は既に滅んでいた。


 そんなシャーラの望みは、外の世界を見ること。


 暗く停滞した冥府を出て、太陽の光が見たいと彼女は言った。


 その願いのためにシャーラは冥神に弓引き、俺と共に魔王を討つ旅に出た。


 思い返してみると、旅の中でも俺にぴったりくっついていることが多かったが、こんなキスをされたのは初めてだ。


 確かに俺のこと好きなの? と思ったこともあるけれど、俺が地球に戻る時も引き留められなかったから、「あぁ、勘違いだったんだな」と落ち込んだりしたものだ。


 あれ、女の子のスキンシップとか優しさとかに触れると、勘違いしちゃうやつ。


 その、はずだったんだけど。


「ん」


 シャーラがなまめかしい声を出しながら唇を離した。どちらの唾液か、薄い色の唇が光っている。


 落ち着け、落ち着け。キスくらいで動揺するなんて、そんな童貞じゃないんだから。


 いや俺はまだ純真無垢な身体だったわ。違う違う、キス自体は経験があるのだ、こんなものは気持ちが伴ってなければただの接触に過ぎない。


 何の問題もない。きっと地球に来てキスが挨拶だとか、そんなけしからん常識を誰かに吹き込まれたんだろう。だからこれは事故だ。


 しっかりと、そういうのは好きな相手と段階を踏んでするものだと教えてあげなければ。


 真剣な目でシャーラの方を向くと同時、彼女の両手が俺の頬を挟んだ。


「‥‥ん」


 再びくっつく唇と唇。湿った柔らかい感触に、頭がとろける。


 ‥‥っは、違う違う。


「離れなさい!」


 鋼の理性で俺はシャーラを引きはがした。腕力が強すぎて中々離れないが、魔力で身体強化をしてひっぺがす。


 やべぇ、キスに頭を破壊されるところだった。


 なぜ離すのかと首を傾げるシャーラに説教しようと顔を上げた時、俺はあることに気付いた。


 魔力が渦を巻いている。俺の背後を中心に、濃密な魔力が大蛇のように這いずっているのだ。同時に鳴り響く火花の弾ける音。


 違う、それは紫電が空気を焼く音だ。


 誰がなんて考えるまでもない。


 俺はさっきまで月子と話をしていたのだ。それもとても大切な話を。


 気のせいでなければ俺たちの関係性を見直す、そういう時だったはずだ。


 それを突然現れた女性に邪魔され、その上二度もキスをするという意味不明な行為イチャイチャを見せられれば、誰だってキレる。


 それがいい雰囲気になっていた相手となればなおさらだ。


「何、しているの――?」


 背後で鬼のような声が聞こえた。

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