第62話 感情の励起
魔力を流して鎧を強化し続け、更に体内にも魔力を纏わせて内臓や骨、筋肉を保護するように鎧を生成する。
言ってしまえば外部ではなく内部から支えるための鎧。普段も肉体強化は行っているが、それとはレベルが違う。ただあまりにも繊細な魔力操作が必要になるため、完全に受ける時専用の使い方だ。
昔は相手の攻撃に合わせて一瞬だけ発動、動きながら発動なんて芸当もしたものだが、戦いから離れていた今の俺には到底できない。
痛みで頭がボーっとする。脳が揺れて上手く思考がまとまらない。気を抜けば今にも意識を失いそうだ。
‥‥そういえばそうだった、アステリスにいた頃はそんなこと当たり前で何度も痛みで失神しかけた。
そんな時決まって思い出す言葉があった。普段の生活では全く忘れていたのに、こんな時になると鮮やかに浮かび上がってくるのだ。
身体は砂埃にまみれ、全身は痣だらけで鈍く痛み続ける。指一本すら動かせず、握れなくなった模擬剣が近くに転がっていた。荒い呼吸を繰り返しながら目線だけを動かすと、白髪交じりの男が近くでしゃがみ込んでいた。そいつは指先で模擬剣を揺らしながら言った。
『いいかクソガキ、魔術も剣術も、結局のところ最後は気合いだ。気合いと根性がある方が勝つ』
今思い返してもふざけた理屈だ。世の中そんな簡単なことで勝敗が着くなら誰も鍛錬なんてしない。そういったことを俺は言い返したんだ。
『そりゃそうだ。俺が言ってるのは大前提の話よ。どんな魔術も技も使えるだけじゃ意味がねえ、芯のねえ技は通らねえもんさ』
芯――それは一体どうしたら通るものなのだろう。確かに技術は多少身に付いたが、俺は周りの騎士にも負けてばかりだった。あいつらの攻撃は重いんだ。どんだけ模擬剣で殴ってもビクともしやしない。
俺にはきっとそれが足りなかった。
男はクルリと模擬剣を回し、その切っ先を倒れている俺に向けた。正確には俺の胸に。
『何単純な話だ。それこそが気合い‥‥感情の励起だ。何を為すがための力なのか。それさえはっきりしてればどんな技にだって芯は通る』
それは俺の師の教えだった。アステリスに来て戦闘技術なんて全くない素人だった俺を戦士にまで鍛え上げた師匠。どうしようもない飲んだくれで女好きで、驚くほどに強かった。
そうだった、こういった根競べこそ師匠の言う状況そのものだ。
タリムの攻撃に芯――あるいは信があるのか。ただ自分に陶酔し、自分の欲求のためだけに他人を利用するこいつの攻撃が、俺に響くのか。
倒れた陽向の顔が思い浮かぶ。
戦いなんて全く無縁で、ただ幸せに大学生活を謳歌していた彼女が不当に虐げられていい道理はない。それは今道路に倒れている人たちも同じことだ。皆が皆、当たり前に明日を謳歌する権利がある。
心臓が脈打つ。全身を流れる魔力が熱くなり、身体が燃えているようだ。これこそが感情の
乱打を続けるタリムが不思議そうに言った。
「‥‥貴方、不死身ですか?」
は、不死身なわけないだろ。そんな人間は存在しないのだ。つまり返答は一つ。
「『お前の拳が温いだけだ』」
「っ! 減らず口を!」
ついにタリムの口調に苛立ちが混じった。
俺を倒しきれないことが予想外だったんだろう。確かにこいつの魔術を使えば並みの相手ならすぐに潰せるはずだ。
だが俺にも潰れられない理由がある。いくらでも打ってこい。
地に根を張る大樹のように脚を地面に着け、筋肉を絞り上げる。乱打は一層勢いを増して叩きつけられた。どれ程の豪雨であっても翡翠の光は消えない、灰色の拳は全てを押し潰さんと振るわれるが、鎧は決して砕けなかった。
そしてついにその時がやってきた。
灰色の肉体の隙間から見える夜空、それを切り裂いて流れ星のように光が駆け抜けた。
それも一本ではない、数えきれない程の光条だ。
――ついに、やったのかカナミ!
その異変にタリムが気付いたのは数瞬後だった。
突然拳の乱打を止め、顔を上げて周囲をも見回す。まるで遠くの様子を探るように。
「‥‥馬鹿な」
この反応、間違いない。カナミが頼んでいたことを成し遂げたんだろう。
タリムは俺の身体を腕で掴み、涎をまき散らしながら叫んだ。
「貴様! 私の分体に何をした‼」
「『俺がしたわけじゃない。貴様が見くびっていた守護者の力だ』」
「守護者だと――? まさかあの小娘が!」
驚くよな。俺だって頼んだ時はまさかという思いがあった。分体、寄生体全ての位置を把握し、それを同時に撃ち抜いてくれなんてな。
守護者が敵に回り、陽向を操られた時から、人質を使われるという予想はカナミも俺もできていた。人質を見付けようとすれば、タリムは次の手を打っただろう。タリムに気付かれず、全員を同時に解放する必要があった。
はっきり言って無茶苦茶なオーダーだ。準備の間俺がタリムを引き付けるとはいえ、カナミだって守護者を相手にしているのだ。
しかしカナミは頷き、見事にやり遂げた。
「『お前如き三流を相手に、俺たちが少しの犠牲も払うと思ったか? 何一つとして、お前の思い通りになどなりはしない』」
「‥‥!」
怒りに震えているところ悪いが、これでようやく動けるようになった。
「『いつまで掴んでるつもりだ?』」
「ぐっ⁉」
人質が解放された以上、無抵抗で殴られるいわれはない。がら空きの腹を渾身の力で蹴り飛ばす。
魔術を過信するから、思考が停止する。人質という安易な盾に頼り、こちら側の動きを軽視した結果がこれだ。
俺自身を囮にし、カナミに分体の処理を任せる。俺は大して頭が良くないし、時間も人も足りないせいで、作戦と言えるほどのものでもないが、油断している相手ならこの程度でも十分刺さる。
にしても、乗せるために仕方なかったとはいえ、好き放題殴ってくれたもんだ。俺じゃなかったら死んでたぞ。
タリムは腹を再生し顔を上げると、再び笑みを浮かべた。
「驚きですよ。認めましょう、確かに私はこんなやり方で分体を倒されるとは思っていなかった。しかし結局何も変わらない。私を倒すことができない以上貴方たちには勝ち目がない」
「『ついさっきまで攻撃を当てられなかったことも忘れたのか?』」
「ええ、ですが今の私は先ほどの私とは違う。何より」
そこでタリムは目を歪め俺をねめつけた。
「そんな傷で私と戦う力が残っていると?」
「『‥‥』」
確かにタリムの言う通り身体はボロボロだ。一見鎧は無事に見えるが、その中身は度重なる攻撃に悲鳴を上げている。直接的なダメージだけじゃない。俺の魔力はほとんど無制限だが、それを使う集中力、流れる肉体は常に負担がかかっているのだ。
だが分かってない、
さっきも言っただろうが、てめえの攻撃じゃ芯の芯まで響かない。
俺は右手を上に持ち上げ、五指を広げた。
タリムはそれを訝しげに見つめた。
「なんです? まさか待ったとでも?」
「『五秒だ』」
「‥‥何?」
何だよ、これじゃ分からないのか。察しの悪い奴だな。
「『五秒でお前をぶちのめす、そう言ってるんだ』」
そう言った瞬間、タリムの全身で筋肉が隆起した。頭にも太い筋が入り、魔力が迸る。
硬く握りしめられた拳に更に力が込められ、何かが潰れる音がここまで聞こえてきた。
「私を、この
それは静けさだった。
嵐の前の、あるいは津波の前に波が引くように、タリムの怒りが体内で沸々と燃え上っていくのが分かる。
「調子に乗るなよ劣等種がぁぁぁああああああああああああ‼」
尾も交えて三本の脚がタリムを弾き飛ばす。
摩擦熱で後ろに橙色の残光を引きながらタリムは俺に肉薄した。
その寸前俺も声を上げていた。今も周囲に被害がいかないように聖域を発動しているリーシャに向けて。
「『リーシャ! 俺たちを囲んで聖域を張れ! 全力でだ‼』」
不安そうな顔をしたのは一瞬、リーシャは頷いた。
「はい、ユースケさん‼」
その返事と同時、俺の目の前にはタリムが到達していた。四本の拳は既に振りかぶられ、そこからは膨大な熱量と炎が溢れ出している。
俺を殴り続けた拳は混生万化によって更なる進化を遂げ、より人を壊すことに特化した形に変わっていた。巨人すら殴り殺さん殺意の権化。
俺はそれに対し防御姿勢を取ることもせず、両腕を腰のところで構えて魔力を流す。
間髪入れず、爆炎が咆哮を上げて拳を撃ち出した。
「『
全てを破砕する鉄槌が視界を埋め尽くした。頭から胴までを挽き潰す威力。
もはや何発殴られているのかも分からない。一発一発が城壁すら打ち砕く威力、音と衝撃で平衡感覚がなくなり、もはや自分が立っているのかさえ定かではなくなっていく。
まさしく手も足も出ない案山子だ。
「アッハハハハハハハハ! あの大言はどこに行ったのですか‼ 剣すら持たず、満身創痍! 何をしようと全てが無駄! 無駄なんですよぉおお‼」
うるせぇな。
剣は必要ないから
「『‥‥』」
脳裏を過るのは今も舞を続けるリーシャ、俺の頼みを想像以上の形で完遂したカナミ、そして笑顔で俺を慕ってくれる陽向。
感情の
てめえは自分の欲望のために多くの人を傷つける。ここで放置すればどれ程の犠牲が出るか分からない。
だからここで確実に終わらせる。再生も進化も知ったことか、俺を超えようってならやってみろ。
拳の圧を全身で受けながら、一歩を踏み込む。視線を上げてタリムの単眼を見据えた。
――本当の拳の打ち方を教えてやるよ新兵。
「『
魔術は成され、俺の両腕は嵐と化す。
幾千、幾万、幾億の拳が翡翠の光を炸裂させながらタリムの拳を迎え撃った。
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