第20話 動くこと山の如し。山の如し!

「あの、ユースケさん、どうかしましたか?」


 気づかわし気に、リーシャが聞いてくる。


 おぉ、こんなどうしようもない屑にまでそんな慈悲深い声をかけてくれるなんて、まさしく聖女。


 そんな心優しい少女を容赦なく見殺しにしようとした俺。


「‥‥そりゃフラれるわ」


「? なんの話でしょう?」


「いや、なんでもない」


 俺はごろりと床に寝転がって、目を腕で覆った。


 今の時刻は既に八時を回ったくらいだろうか。リーシャと二人で夕飯を食べてから、何をする気もおきずに俺は寝転がっていた。


 授業も結局出なかったし。気付いたらリーシャを連れた陽向が帰ってきていた。


 どんな会話をしたかも覚えてないけど。リーシャは楽しめたらしい。


 魔族も姿を見せなかったらしく、それについては本当に助かった。


 今戦いになれば、どんな醜態をさらすか考えたくもない。


「あ、あの、ユースケさん」


「どうしたー」


 テレビなら勝手につけて見てていいぞ。ただパソコンは開けるなよ、聖女というか、十六歳の少女にエロ動画見つかったら本気で死を考えなくてはいけなくなる。


「いえ、テレビではないです」


「じゃあなんだ? 菓子なら買い置きがあるから適当に」


「お菓子でもないです」


 俺の言葉を遮って、リーシャが否定する。

 その直後、小さな手の感触が俺の肩を揺さぶった。


 なんだよ‥‥。


 重い腕をどかし、声の方を向けば予想以上にリーシャの顔が近くにあった。


「具合でも悪いのですか? それなら私の魔術で多少は緩和出来ると思いますが」


「‥‥いや、別にそういうわけじゃないから」


「そうでしたか、それならいいのですが」


 そこでリーシャは少しモジモジし始める。


 なんだ?


 しかし俺はデリカシーのある男なので、ここで「トイレか?」なんて言ったりはしない。

 野宿していた時につい言ってしまうと、女性陣から殺意の籠った目で見られるからな。あれは夢に出る。


 それにしても、十六歳の美少女が目の前でモジモジしているのを見ると、そこはかとなく犯罪臭がする。


「あの、こんなものでユースケさんから頂いた恩が返せるとは思っていませんが、せめてこれくらいはと」


「ん‥‥」


 俺は身体を起こして、リーシャが差し出したものを見る。


 そこには、飾紐を編んで作られた花のペンダントがあった。


「これは?」


「陽向さんと一緒に買ったミサンガを、私が編んで作ったものです」


「ヒューミル‥‥か?」


「? よくご存じですね。それも家に伝わっていたのですか?」


「えっ、あ、ああ! まあな!」


 俺は思わず頷いた。


 ヒューミルとは、アステリスで女神聖教会の人間が作っているお守りだ。飾紐を色んな形に編んで作るもので、アステリスの人間はほとんどが持っている程にメジャーだ。


「ヒューミルは一編み一編みごとに祈りを込めて作るお守りで、これは戦いの加護を象徴するアイリスの花を象ったものなんです。こんなものが戦いの役に立つとも思っていませんが、少しでも恩を返せないかと」


 リーシャはそう謙遜するが、その手に置かれたヒューミルは素晴らしい出来だ。何をどう編めばここまで綺麗な花が作れるのか、俺にはまるで分からない。


 俺も昔習って作ってみたことがあるんだが、出来上がった代物は四足歩行の怪物のようななにかだった。花を作っていたはずだったんだけど。


「いや、ありがとう。すげー嬉しい」


「本当ですか!?」


 パアァ、とリーシャの顔が輝いた。

 というか、こんなフラれて当然の屑男に、わざわざお守りなんてくれる必要はないというのに。

 心が弱っていたせいか、俺は思わずリーシャに問いかけた。


「なあリーシャ」

「はい、なんでしょう?」

「今更ながら、俺でいいのか?」

「俺でいいとは‥‥?」

「いや、だってリーシャの頼みを二回も断ってんだぞ? そんな奴を信頼してもいいのか?」


 普通は無理だ。


 俺なら、大事なところで裏切られるんじゃないかと思ってしまう。まともに話したこともないような人間を、そんな簡単に信用なんて出来ない。


 だがリーシャはキョトンとした顔で首を傾げた。


不躾ぶしつけな願いを頼んだのは私の方ですから、断られるのも当然かと」


「いや、それでもあんな断られ方されたら嫌だろ」


「それは‥‥」


 リーシャは少し言い淀んだ。


「確かに血も涙もない冷血漢だと思った時もありましたが」


 そこまで思ってたんかい。

 いや、まあ今思い返しても、取り付く島もない断り方だったからな。

 それから、リーシャは優しい眼差しで俺を見た。それは到底十六歳とは思えない程、慈愛に満ちたものだった。


「それでも、私は自分の目と感性を信じます。ユースケさんにならこの命を預けられると感じたから、願い出たのです」


「こんな、困っている女の子を見捨てるような奴だぞ」


「ユースケさんが断ったのも尤もな理由だと思います。何より、本当に見捨てるような方なら、私が魔族に追われていた時も、戦っていた時も、助けになんて来なかったのではないですか?」


「‥‥本当にいい奴なら、積極的に助けに行くさ」


「私は、この世に真なる善人はいないと聞かされて生きてきました。信頼出来る人は、悪いことと善いことを自分で考えて、後者を選べる人間だと。ユースケさんは、それが出来る方です」


「買い被りすぎだ」


「なら、このまま買い被っておきますね」


 俺はニコニコ笑うリーシャの顔をなんだか見ていられなくて、目を逸らした。

 箱入りのくせに、いや箱入りだからこそか、リーシャは世界を純粋な目で見ている。

 汚れた心に光が突き刺さってくるようだ。


「あっ、でもやっぱり報酬に身体を求めるというのは‥‥その‥‥出来れば遠慮していただけると‥‥そういうのはふしだらですし」


「いや、俺一回もそんなこと頼んでないよな? それ全部お前の妄想だからな?」


 俺はため息を吐きつつ、ヒューミルをリーシャの手から受け取ると、財布を取り出して入れておく。これなら失くすこともないだろ。


 そして姿勢を正した。


「さて、リーシャ」


「はい、なんでしょう?」


「真面目な話をしようと思う」


「分かりました」


 そう言っていそいそとリーシャも姿勢を正した。元々綺麗な姿勢だからする必要もないと思うが。まあいいか。


「ちょっと昨日から色々考えてたんだけどな、俺たちも待ってるだけじゃ駄目だと思うんだ」


「と言いますと?」


「ああ、来る敵を撃退しておけば半年間くらいどうとでもなるかと思ってたけど、もしあの大学に魔族が来たら、やっぱり大変だからな」


「‥‥はい」


 俺は今日リーシャと陽向と回った構内を思いだす。最初は昼なら襲撃に来ないだろうとたかをくくっていたが、もし魔族があそこに現れたら。


 そう考えた時、万が一の可能性でもあってはならないと、そう思った。


 月子が、総司が、陽向が、松田が、俺の大事な友達が、あそこにはたくさんいる。


 ほんの少しでも、大学じゃなくても、この近辺でも、突然どこかが戦場になって、誰かが傷ついたら、死んでしまったら。そう思ったら、どうしようもなく心臓が暴れるのだ。


「だから、こっちから打って出る」


 そう言うと、リーシャは驚きに目を大きく見開いた。


「魔族に、戦いを挑むということですか?」


 半年間、常に追手から逃げ続けた彼女にとって、その考えはなかったんだろう。それ程までに、魔族は強い。


「ああ、幸いにも今回の神魔大戦ってのは、戦う相手が限られているんだろ。だったら一人削れば大きく脅威は減る。そしてそのためには」


 そこで俺はリーシャを真剣な目で見た。


「リーシャ、お前の力が必要だ」


「私の力、ですか?」


「ああ、昨日見た感じだと、リーシャの魔術は何かを守る魔術領域を作るものだな?」


「はい、その通りです。‥‥ですが、ユースケさんの魔術とは、その、あまり相性がいいとは」


 そう、リーシャの言う通り、彼女の魔術と俺の魔術は相性がよくない。何故なら俺が得意とするのは白兵戦。リーシャの魔術と相性がいいのは、長い時間をかけて強力な魔術を発動する遠距離タイプの魔術師だ。


 だが、見方を変えればリーシャの魔術は俺と最も相性がいいとも言えるのだ。


「いいかリーシャ、俺は一対一の戦いならほとんどの奴に負けない自信がある。だけどな、俺にも苦手な物があるんだ」


「なんでしょう?」


「多くの物を守ることだ」


 そう、それは俺が常に抱え続けた弱点。


 白兵戦においてはそうそう遅れを取ったりはしないが、その分守れる範囲というのはとても狭い。


 なにかを守るということ、もしくは傷を癒すという点では、俺の魔術は大して役に立たないのだ。


「だからリーシャ、お前が守るんだ。ここに生きる人たちの命を、生活を、環境を。そうすれば、俺は全力で相手をぶっ飛ばせる」


「‥‥私が、守る」


 リーシャは呟き、胸のところで拳を握る。


 まだ十六歳の少女に無茶難題を吹っかけている自覚はある。けれど、やってもらわなければならない。


 魔族と俺が本気でぶつかれば、余波だけでも町は簡単に壊滅する。人払いの結界程度では、全ての人を守り切るのは無理だ。


 それが出来るのは、リーシャしかいない。


 リーシャは一度深呼吸をすると、顔を上げた。


「分かりました。ユースケさんの大事なものは、必ず私がお守りいたします」


「ああ、頼んだぞ」


 リーシャになら、任せられる。


 俺だってリーシャと会ったのはほんの二日前だというのに、なんでこんな信頼しているんだろうな。これが聖女パワーってやつか、勇者パワーと是非交換して欲しいもんだ。


 そんなことを思っていたら、リーシャが「あの!」と声をあげた。


「どうした?」


「その、私は今ほとんど魔力が無い状態なので、暫くは回復に努めさせてもらえると‥‥」


「ああ、それか」


 そういや、魔族はそれで夜間の行動が基本になるんだった。

 そして、それは同じく魔術を扱うリーシャとて例外ではない。

 いや、でもな。


「リーシャ、魔力を回復させる呼吸法は知っているよな?」


「え? あ、はい。循環式呼吸のことですよね」


 それはアステリスで魔術師が行う、いわば意図的に多くのエーテルを体内に取り込んで、魔力を回復させる方法だ。


 俺なんかは常に呼吸でそれを行っている。というか、俺の魔術を日常的に維持しようと思うと、そうする他なかったから癖になっているのだ。アステリスで勇者でいられるのは魔術を発動している時だけだからな。


「それじゃ、この部屋でやったことは?」


「? まだありませんが」


「じゃあやってみ」


「は、はい」


 リーシャは目を閉じると、循環式呼吸をはじめた。

 直後、弾かれたように目を開いて俺を見た。


「ユ、ユースケさん! この部屋、すごいエーテルが濃いのですが!」


「むしろ、なんで今まで気付かなかったのか不思議なんだが。俺が住んでるせいか、この部屋こんな感じなんだよな」


「‥‥てっきり、ユースケさんの身体から溢れている魔力のせいだと思っていました」


「いや、普段俺魔力出してないから」


 だから魔術を解くと一般人にしか見られないんだし。


 そう、この部屋は俺が普段から循環式呼吸を行っているせいか、はたまた仮にも勇者が住んでいるせいか、一種のパワースポットのようなものになっている。


 ここで循環式呼吸をしっかり行っていれば、魔力もそれなりには回復するはずだ。


「居るだけでエーテルが濃くなるなんて、まるで伝説の精霊か神獣のようですね‥‥」


「俺は間違いなく人間だぞ」


 そういえば精霊とか神獣とかが居る場所はエーテルが濃かったな。あいつらが居るから濃いのか、あいつらが濃い場所を好んで住んでいるのかは知らんが、まあ両方だろう。


「とりあえず、今日は寝るまで循環式呼吸を続けておいた方がいいぞ。出来ることなら寝ながらもやった方がいい」


「あの、循環式呼吸って寝ながら出来るものなのですか?」


「少なくとも俺は出来る」


「私に教えてくれた方も、一緒にこちらの世界に来てくれた方も、そんなことは出来ませんでしたよ‥‥」


 そうかなあ、慣れれば案外いけるもんだけど。


 とはいえ流石に今日からやれと言われて出来るもんでもない。


「仕方ない、俺も付き合うからしばらくは続けるか」


「はい、分かりました!」


 俺もリーシャの対面で胡坐を組むと、意識を落ち着かせようとする。

 リーシャは既に目を閉じて、深い呼吸を繰り返し始めた。


 大きく息を吐いて、大きく息を吸う。その動きは普通の人がやる分にはなんの問題もないわけだが、ことリーシャに関しては状況が大きく変わる。


 何故なら、呼吸に合わせてリーシャの胸が動くのだ。動かざること山の如しとは一体何だったのか。動いてるから、山。超動いてるから。しかも二つ。


 俺はむしろ普段から行っている循環式呼吸が乱れないように気を付けつつ、つい開きそうになる瞼を閉じた。


 ‥‥なんだろう、目からの情報がなくなったせいか、リーシャの呼吸音がやけに大きく感じる。考えていれば狭い部屋に二人きり、向かい合っている状況というのは、ヤバいんじゃなかろうか。 


 なにがヤバいかって言葉にするのは難しいが、とにかく俺はリーシャの存在を意識し過ぎないように全力を注ぐのだった。

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