第119話 現れる過去

 進んだ先に合ったのは、周囲を真っ黒な林に囲まれた学校だった。


 設備の風化具合を見るに、廃校になったまま手つかずの高校か、中学校だろうか。東京とはいえ、都心から大きく離れているおかげで校庭は広々として、それを囲う校舎はまるで壁のようだった。


 魔力は感じられない。


 にも関わらず心臓が焦るように鼓動を打ち、筋肉が硬くなる。得体の知れない重圧に凄まじい緊張感が全身を走っていた。


 ――いる。


 ここにリーシャが、そしてそれを攫った魔族が。

 俺は校庭の真ん中まで進み出た。恐らくリーシャがいるのは校舎の中だろうが、俺が今立つべきはここだろう。


 そして、解は示された。


 月光の下で魔力が美しく歪んだ。


 瞬き一つする間に、不規則な青い光の捻じれは消え去り、代わりに一人の男が現れる。


 数メートルの距離を離し、俺の前にそいつは悠然と立っていた。


 青黒い外套で首から膝までを覆い、左腕には銀のガントレットを着けている。


 鼻から上の見た目は年若い男だった。体格も並程度で、一見戦闘ができるようには見えない。その尋常ならざる魔力を目の当たりにしなければ、多くの人間はこの少年を侮るだろう。


 だが、俺は違う。


 一目見た瞬間から脳の奥で爆発したように溢れ出る記憶の洪水。魔力が鎧の上で弾け、掌が勝手に拳を握りしめた。


「『――何故』」


 あり得ない。そう理性が叫んでいる。

 こいつがここにいるはずがないのだ。


「『何故貴様が』」


 俺が勇者としてセントライズ王国を旅立って一年が経とうという頃、俺たちの目前に、こいつは忽然と現れた。


 そして、旅立ちの日から共に戦い続けた俺の仲間――グレイブを殺したのだ。


 俺にそれを止める力はなく、情けなくも盾となった命を後に逃げることしかできなかった。


 今でもありありと思い出すことができる。あの時の後悔と、屈辱と、悲しみと、怒りを。


 勇者として初めての、最悪の挫折を突き付けた男。


「『何故貴様がここにいる‼ ――ラルカン・ミニエス‼』」


 言霊による砲撃が大気を震わせ、林をざわめかせた。


 それを正面から受けながら、男は微塵も揺るぐことなく静かに俺を見つめている。青く燃える瞳はまるで海の底で揺らめく幽鬼のようだ。


 変わらない。


 頭では否定しようとしているのに、男の圧倒的な存在感が理屈をねじ伏せて告げている。こいつはラルカン・ミニエスだと。


「‥‥久しいな、白銀」


 ラルカンが落ち着いた声で言った。数年ぶりだというのに、その声は鮮烈なまでに記憶を揺さぶった。


「『質問に答えろ』」」


 もし目の前にいる魔族が俺の知るラルカン・ミニエスだとしたら、聞かなければならないことがある。


 本来こいつはこんなところにいるはずがないのだ。いや、たとえアステリスであってもあり得ない。


 忘れるはずがない、あの日の情景。数え切れない魔術と魔術がぶつかり合う嵐の中で、鋼が血の線を後に乱舞する。一秒を数える間に数多の命が引き千切れ、悲鳴と怒号が重なり合う。


 グレイブが以前に団長を務めていたセントライズ王国第三騎士団。彼らの力を借り、俺たちは再びラルカンに向かい合った。


 そして数多の犠牲を払い、俺がこの手でラルカンを討ち果たしたのだ。


 全ての人間が死力を尽くしてこじ開けたか細い道筋を俺は駆けた。隙を突き、受けに回った左腕を切り落としながら、首を断つ一閃。


 その生々しい感触まで、俺は思い出すことができた。


「――そうだな」


 ラルカンもそれは分かっているのだろう、口元までを覆う外套を下げた。


 闇の中で隠されていた真実が露わになる。

 その首から口に掛けて、巨大な裂傷が入っているのが見えた。


「あの日、俺はお前たちに敗れ、魔術の余波で渓谷へと落ちた。貴様の一撃は間違いなく俺の命を断ち切るものであったが、魔神の加護か冥神の気まぐれか、俺は生き延びたのだ」


 滔々とうとうと夜に声が響く。


「しかし意識を取り戻した時には、魔王様は貴様に討たれ、神魔大戦は終わっていた」


 ここまで来れば疑う余地はなかった。あの傷は俺が付けたものだ。


 まさかラルカンが死んでいなかったとは‥‥。


 確かにあの時は互いが放った魔術のせいで辺り一帯が吹き飛び、そのせいでラルカンの死体も確認することはできなかった。


 だが俺の剣は確実に首を切り裂いていたし、近くにいた第三騎士団の団長もそれを見ていた。たと

え魔族であっても死は免れないだろうという傷だった。


 ラルカンが生き残ったのは奴自身の恐ろしい生命力と、そして奇跡。


 俺たちからすれば悪夢以外の何物でもない。

 だが、ようやく腑に落ちた。わざわざカナミを殺さず、リーシャを連れ出してまで俺を誘い出した理由が。


「『復讐のために舞い戻ったか』」


 俺の身体中に纏わりつく死人の手。

 打ち捨ててきたはずの過去が、最悪の形で現れたのだ。


 だがラルカンは外套を戻しながら目を伏せた。


「それは違う」

「『――何?』」


 だったらどうしてリーシャやカナミを殺さなかった。今行われている神魔大戦では、彼女たちを生かす意味がない。


 ラルカンは再び俺を正面から見返すと、続けた。


「確かに俺は貴様に一度敗北し、生涯の主をも殺された。そこに怒りや怨讐がないかと言われれば嘘になろう」

「『‥‥』」

「しかし敗北は弱き俺の責任。そして魔王様の仇を討つなど、そんな傲慢が俺に許されるはずもない」

「『ならば、何故ここに現れた。この戦いで今度こそ魔族に勝利をもたらすためか』」


 そう問うと、ラルカンは眼を細めて鼻を鳴らした。


「それこそあり得ぬ話だ。魔王様が亡くなられた時点で既に勝敗は決した。それを今さら盤台をひっくり返すようなやり方がまかり通るはずもない。もしそれが道理だというのであればそれは――」


 そこでラルカンの雰囲気が変わった。大木のような老練な雰囲気が、猛々しく火を灯す。


「散っていった兵士、そして魔王様に対する侮辱だ」


 魔力が、雪崩打つ。


 立っていることさえ難しく感じる程の強烈な魔力の波動がラルカンから放たれた。


 鎧に魔力を流し、真っ向からそれを受けて弾く。


 死に掛ける程の傷を負ったにも関わらず、この魔力。あの時と同等か、下手をすればそれさえも超えるかもしれない。


「『それこそ道理に合わぬ話だ。そう思うのであれば静かに余生を過ごせばいい、カナミを襲ったのも貴様だろう』」


 その言葉に、ラルカンは暫く押し黙った。


「あの娘には悪いことをした。戦士として立ち塞がった故、俺の道のために叩き潰した」

「『道だと』」


 怒りを抑え、聞く。仇討ちでもなく、神魔大戦のためでもない。

 だとすれば何のためにお前は俺の前に現れた。カナミを傷つけた。


「俺の道はただ一つだ」


 ラルカンは左腕を持ち上げる。この手で切り落としたそこには銀の義手が着けられ、月を映す指先が俺を指した。


「この命をもって白銀、貴様との決着を着けに来た。どちらかの死をもって、俺たちの戦いは終わる」


 どこまでも真っ直ぐに。

 ラルカンの宣戦布告は俺に叩きつけられた。


「『――』」


 呆気に取られる他なかった。こいつは大義も使命も何もなく、ただ自分がそうすべきという思いに従ってこの戦いに参加し、異世界にいる俺にまで辿り着いたのだ。


 ――そうだ。こういう男だった。


 ラルカンという魔族を端的に表すのであれば、武人という言葉が一番当て嵌まる。


 魔王への揺るぎない忠誠心と、清廉なまでの戦いへの信念。


 そんな男がリーシャという人質を取ってまで俺をここに呼んだ。決着を着けたいなんて、ただそれだけのことかと嘲るのは簡単だが、俺は笑う気にはなれなかった。


 本気なのだ。


 既に仕える主も守るべき者もなく、ただ唯一の決着を求めて冥府から蘇り、こうして俺の前に立った。


 その覚悟に、俺は怒りを忘れて震えた。


 これが、ラルカン・ミニエスだ。


 『蒼槍』、『将軍殺し』、『魔王の矛』――。


 数ある異名の中で、誰もがまず思い浮かべるものは一つだけだ。魔族の中でたった七人だけが名乗ることを許された二文字の称号と、将の証を併せた二つ名。




歪曲の魔将ディストル・ロード』――ラルカン・ミニエス。




 当時の俺がエリスやリスト、第三騎士団の力を借りて奇跡的に倒すことのできた化け物が、今度は挑戦者として牙を研ぎ、目の前に立っている。


 久しく感じていなかった首に刃を押し当てられるような緊張感に、喉の奥が乾いて貼り付き、全身が震えた。


 しかし敵が誰であろうと関係ない。


 過去が迫るというのであれば、未来のために斬り捨てよう。俺は震えごと握りつぶさんばかりに剣を握り直した。


「『望み通りの終わりをくれてやる、ラルカン』」

「ああ、決着を着けよう、白銀」


 翡翠と青の魔力が弾け、俺たちは互いに地を蹴った。

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