第205話 臆病な真実

 フィンはテラスに立ったまま、人差し指を立てた。


「その前に、一つだけ貴様の言葉に間違いがある」

「何?」

「俺は守護者ではない、『鍵』だ」


 ──なんだと。


 沁霊術式を用いていたから、勝手に守護者だと判断していた。考えてみれば、メヴィアも沁霊術式が使えるが、『鍵』として召喚されている。


 だとしたらこいつには守護者がいる。


白銀シロガネ、俺は今日という日を楽しみにしていたよ。勇者などと持てはやされてきた貴様だが、その本質は魔王や魔族を強襲する遊撃隊ゆうげきたい、あるいは暗殺者だ。貴様がやっていたのは、戦争ではない」


 フィンの言葉と同時、俺たちを囲んでいた壁の一部が動き始めた。


 まるで初めから扉でもあったかのように、大きく開いたのだ。


 そしてそこから整然とした動きと軍靴の音を鳴らし、それらは広場へと入ってきた。立っていることさえ難しい、地鳴り。


「いいか白銀シロガネ。戦争とは、優れた将と、調教されし猛獣──軍によって行われるものなんだよ」


 なんの冗談だよ、これは。


 俺たちの背後を十重二十重とえはたえに取り囲んだのは、数え切れない兵士たちだった。それも一人一人が鎧を身に纏った正規兵。


 動きを見れば分かる。張りぼてではない、訓練された屈強なつわものたちだ。


 しかも至る所に点在する、覇気をまとった兵士。あれは将軍だろう。


 どういうことだ? 『鍵』の守護者は一人だけ、それがルールのはずだ。確かに新たな戦士たちが参加してくるとは聞いていたが、これは明らかに度が過ぎている。


 頭の上からフィンの声が降ってきた。


「幻覚だとでも思ったか。そいつらは正真正銘サーノルド帝国が誇る最強の軍、『竜爪騎士団ドラグアーツ』だ。生憎あいにくと全軍を連れてくるのは叶わなかったが、たった数人を相手には過ぎた戦力だろう」

「どうやって、これだけの数を。守護者は鍵に対して一人だけのはずだ」


 軍から目を離さず、問う。

 それに対し、返ってきた言葉はシンプルなものだった。


「察しが悪いな。それが俺の魔術『我城がじょう』の力だ。物資も人間も、全てがこの城と町に収められ、それを持ってこの世界にやってきた。それだけのことだ」


 嘘だろ、なんだよその反則な魔術は。


 俺たちを閉じ込めたのは副次的な効果であり、その本質は物資の収納・・・・・なのか。一つの街を丸ごと収納できるなんて、戦争じゃチート以外の何物でもない。


 バランスブレイカー。


 こいつの魔術はそういうたぐいのものだ。


 俺の頭上からフィンの気配が唐突に消えた。


 代わりに軍の更に奥、反対側の城壁の上にフィンが現れるのが見えた。強化された視力でなければ、見るのも難しい距離だ。


 この空間の中じゃ、転移も思うままってことかよ。


 遥か遠くにいるはずなのに、フィンの声が明瞭に響いた。


「さて、話もそろそろ終わりだ。我が『竜爪騎士団ドラグアーツ』一万の兵士たちがお相手しよう。伝説の勇者がどれほどのものか、俺に見せてくれ」


 その言葉と同時に、兵士たちがときの声を上げた。


 コウゥゥウウウウウウウッ‼︎ と地面が揺れ、重厚な壁がきしむ。


 その圧はもはや物理的な暴力となって襲い掛かってきた。


「ぁ、あぁあ」

「ぬ、ぐぅぁあ」


 振り返ると、櫛名さんがうずくまり、オスカーさんも動けないでいた。それも当然だ。たった数人で、軍を前にしているのだから。普通の精神では意識を保つことも難しい。


「‥‥」


 しかしそんな中で、月子だけが俺を見ていた。


 その目にあるのは、恐怖ではない。もっと不確かで、揺れ動く、疑念。


「勇、輔‥‥」


 俺には彼女が何を言いたいのか分かった。


 何故なら俺は今まで、月子たちの前でフィンと話をしていたのだから。当たり前のように、アステリスの話を。


 月子は今にも槍を取り落としそうなぐらい震え、それでも言った。




「あなたたちは、何の話をしているの?」




 そうだな。


 ちょうど良かったのかもしれない。言葉で語るよりも、見てもらった方が早い。


 俺は背後の三人を守るように前に進んだ。


 一層声と圧が強くなり、俺を叩き潰さんとする。


 俺は上に着ていた学ランを脱ぎ捨てながら、月子に聞こえるように言った。


「ごめん月子。俺も君に話してこなかったことがある。どうせ信じてもらえないって。いや違うな、俺も怖かったんだ。この過去を知った君に、拒絶されることが」


「何を、言って」


 君の目を見て話せないことを許してほしい。それでも全てを見ていてほしい。


「俺はリーシャに言われてこの戦いに参加するよりも、もっと前から戦ってきた。異世界アステリスに勇者として召喚されて、魔王を倒すために」


「‥‥」


 月子は何も答えなかった。


 馬鹿なことを言っていると思われているのかもしれない。それでもいい。


「そして魔王を倒して帰って来た。いなかった時期は神隠しとして、記憶を失った振りをして生き続けたんだ」


 これが俺だ。


 今まで臆病な心の内側に隠してきた、本当の俺だ。


「それでも、過去は変えられない。あそこで鍛えられた俺の本質は、変わらずここにあった」


 これなるは知識の表顕ひょうけんおのが魂との対話。


 翡翠の魔力が全身を駆け巡り、つまらない常識から解き放たれる。




「『我が真銘』」




 俺の身体を白銀の鎧が包んだ。


 月子の前に降り立つのは、一つの真実だ。


 たとえ隠蔽力の高い『我が真銘』であっても、目の前で発動すればその効果は失われる。


 彼女の目には、どう映っただろうか。


「勇輔が、シロガネ──?」


 呆然とちからない声と、槍が地面に落ちる音が聞こえた。


 それでいい、大丈夫だ。君はそこで待っていてくれ。


 たった一人さえ、一つの魔術さえ君には届かない。


 この戦いが終わったら、もう一度話をさせてほしい。臆病者が隠し続けた荒唐無稽こうとうむけいな過去を。


 俺は精強なる軍を前に、剣を抜いた。


「『来いサーノルド。伝説などという曖昧なものではない、この剣の重さをその身に刻め』」


 そして理解しろ。


 お前たちが行おうとしていることの愚かさを。誰を敵に回したのかを。


 その言葉と同時、戦いの火蓋は切られた。

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