第204話 欲望の渦

 それは自意識と理不尽の顕現。


 己の思うままに世界を改変する魔術の深奥。

 

 男が発動したのは、沁霊術式だった。


 あらゆる物質、現象を問答無用で捻じ曲げるラルカンの沁霊『真理へ至る曲解アンロスト』も無茶苦茶な魔術だったが、こちらもそれに引けを取らない。


 なぜなら今俺たちが立っている場所は、既に大学ではなくなっていたのだから。


「何が、起こっているんだ‥‥?」


 オスカーさんの呆然とした声が石畳の上を転がった。


 そう、俺たちが立っているのはアスファルトで舗装された構内ではない。


 俺にとっては懐かしい石畳。


 そしてその周囲を覆うのは、精緻な彫刻が施された巨大な白亜の壁。


 俺たちは四方を壁で囲まれた、広場に立たされていた。大学の競技場など比較にもならない、それこそ東京ドームがいくつか入るだろう。


 そして壁の上部に設置されたテラスから、男は俺たちを見下ろしていた。


 魔術領域まじゅつりょういきか。


 本質的には内と外を区切る結界の魔術、それこそリーシャが使う『聖域せいいき』と同じ分類の魔術だ。


 だがその練度は比べ物にならない。リーシャは舞を踊り、集中力を高めてあの規模の魔術を発動しているが、この男はそんな必要もなく、リーシャの『聖域』を超える魔術を発動したのだ。


 天に広がる空と太陽すらも、男の魔術によって成り立っている。


 『サイン』の一人なのか? こんな魔術を使う『サイン』がいるなんて、聞いた事がない。


 どちらにせよ、こちらがとらわれたことは事実。


 俺は即座にカナミから渡されていた通信用の魔道具を起動した。


「リーシャ、カナミ、聞こえるか?」

『あ、はい! 聞こえてます!』

『ご無事でしたか、リーシャはわたくしと共におりますが、どこかの城下町のような場所に飛ばされたようですわ』


 二人の声が聞こえ、ひとまず胸を撫で下ろす。


 どうやら彼女たちもこの世界に一緒に囚われているようだ。最悪、この空間ごと斬る・・・・・・ことも考えたが、とりあえずは大丈夫そうだ。


 カナミの言葉からして、一般人は来ていない。魔術師を判別しているのか、それとも男が個別に指定したのか。どちらにせよ、尋常ならざる規模の魔術だ。


「二人とも、俺の方に来れるか? 厳しそうだったら俺が行く」

『今のところ行動に問題はありませんわ。ユースケ様の通信機を辿ります』

『大丈夫です、何かあったら私の魔術で時間を稼いで、ユースケさんに連絡しますね』

「ああ、頼んだ」


 本当なら俺が二人のところに行くのが一番なんだが、この場にはオスカーさんや櫛名さん、月子もいる。シャーラだけなら俺と同じ速度で脱出も可能だが、三人を抱えて移動するのは少し厳しい。


 何より。


「もう相談事は終わりか?」


 俺たちを睥睨へいげいする男が、どうにも逃してくれそうにない。


「お前は何者だ? ただ話をするだけにしては、ずいぶん物々しい登場だな」

「不敬──と言いたいところだが、そうだな。俺ばかり知っているというも公平な話ではないか。何より今の俺は気分がいい。少しばかり、話に興じてやろう」


 男は鷹揚おうように頷き、よく通る声で言った。


「我は誇り高きサーノルド帝国が第七王子、フィン・カナティーリャ・サーノルド。原始の衆愚、四英雄、勇者よ、我が拝謁はいえつの栄によくすることをこうべを垂れて喜ぶがいい」


 俺を勇者、シャーラを英雄と知りながら、どこまでも堂々とフィンは名乗った。


 『サーノルド帝国』。俺が拠点にしていたセントライズ王国と長い歴史の中で戦い続ける大国だ。


 アステリスでの旅の間にも、何度か不穏な響きと共に名前を聞いたことはあったが、深く関わったことはなかった。


 エリスやセントライズ王国の重鎮たちが、帝国と関わることをよしとしなかったのだ。


 セントライズ王国やファドル皇国と違い、サーノルド帝国は魔族の侵攻とは反対側に位置し、前線に立つことが少なかったのも理由の一つだろう。


 正体は分かった。話してくれるというのなら、聞かせてもらおうか。


「サーノルド帝国の王子が守護者として召喚されたのか。であれば、『鍵』はどこだ。そして何故こんなやり方で俺たちの前に立った」


 それに対し、フィンは笑った。俺たちをあざけり、見下す視線のまま。


「知れたことよ。俺はこの戦争に勝つためにここに来た。ただ人族が勝利するだけでは、サーノルドの勝利にはならない。分かるか白銀シロガネ、これ以上セントライズやファドルの無知蒙昧むちもうまいなるやからに図に乗られるなど、あってはならないことだ」


 フィンの言っていることが、一瞬理解できなかった。


『愚かな』


 通信機の向こうで、話を聞いていたカナミが吐き捨てるように言った。


 つまりこいつは、自分の国が一人勝ちをするために、俺たちの前に現れたのか。


『ユースケ様、サーノルド帝国は第一次神魔大戦の後、苦しい立場に立たされているのですわ。仇国きゅうこくであるセントライズが勇者をようして多くの戦果を上げたのに対し、サーノルドは資金援助のみに徹していましたから。兵力を有していながら動かなさなかったために、国際的に非難の目を向けられていますの』


「それで、こんな真似を」

『考え難いことですわね』


 丁寧な口調なれど、カナミの言葉には激しい怒りが込められていた。


 無理もない。幼い時分でありながらランテナス要塞攻防戦に参加し、今こうして戦士として戦うことを選んだカナミにとっては、同じ王族としての血が流れているからこそ、許せないのだろう。


 フィンはそんな俺たちの様子を鼻で笑った。


「まるで度し難いとでも言いたげだな。しかし戦争など、結局はそういうものだ。貴様も、守護者たちも、皆なんらかの欲望を抱いて戦いに参加している。世界のためなどと大義を掲げたところで、結局それは己の持つ欲に過ぎない。俺は俺の目的のためにこの戦いの場にいる。そこに貴様らとなんの違いがある」


 詭弁きべんだな。そのような身勝手な論を振りかざせば、法や倫理など、なんの意味も持たなくなる。その先にあるのは、獣の荒野だけだ。


「もういい。貴様と相入れないことだけは分かった。やりたいことがあるなら、さっさと始めろ」


 言葉を重ねて理解が得られるのは、双方にその気がある時だけだ。現状、こいつに俺たちの話を聞く気はない。


 だったら話は簡単だ。ぶっ潰してから、言い聞かせる。






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サーノルド帝国の初出は第31話です。

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