第402話 雷対炎 三

 不死鳥が炎に巻かれて落ちた。


「‥‥嘘」


 燃える翼も、炎を吐き出すくちばしも、全てが真っ赤に染まって崩れていく。


 あれだけの力を持った精霊を、一撃。月子は自分の見ている光景が信じられなかった。


 レオンはそんな相棒を一瞥いちべつすると、シルグエラを挟んでルイードを見た。


「どういう理屈だ? もはや魔術はまともに使えないって聞いてたけどな」


「戦争でいつまでも自分が持っている情報が正しいと思わないことだ。常に時は流れ、世界は変化している。私もまた、そのうちの一人だということだ」


 火球を撃ったグレンの腕に、真っ赤な魔力の光が走る。壊れた魔力回路ではあり得ない、濃密な魔力だ。


 月子と戦った時よりも、更に密度が高まっている。それはつまり単純に魔力量が増えただけではない。コントロールも、格段に向上している。


「私は魔王様の腕を触媒しょくばいに魔術を行使し、限界を超えたことで魔力回路は崩壊した。しかし不思議なものだ。時間が経つにつれて、異物であったはずの触媒が、馴染なじんだ」


「魔王様とやらの魔力を使えるようになったってことかよ」


「さてな。これがあの方の魔力なのか、自分のものなのか、今後どうなるのか、何も分からない。ただ重要なのは、私がお前を越えるだけの力を持っている。それだけだろう」


 シルグエラがうなり、筋肉が気炎を上げて隆起する。


 レオンの魔術はピィちゃんの召喚だ。そのピィちゃんが死んだ時点で、彼の戦闘力は無いに等しい。


 それにもかかわらず、レオンは鼻で笑った。


「お前が俺を超えるか。大きく出たなジルザック・ルイード」


「勝敗は決した。燃えろ精霊使い」


 シルグエラが四本の大剣を振り上げた。そして叩きつける。


 大河すらも干上がらせる炎剣を見上げ、レオンは呟いた。


「聞いてなかったのかよ。ピィちゃんは、不死鳥だぜ」


 ──灰より生まれしものはない。


 それはルイードが過去に使用した詠唱だ。


 そう、灰は終わりの象徴。退廃の風に運ばれ消えゆく存在。


 ただ唯一、灰から生まれる命が存在する。変化を許さない白の中で、確かな熱と光を放ち、それは産声を上げる。


「さぁ、リベンジだぜ」


 灰をヴェール代わりに、光の鳥が翼を広げて飛び立つ。


 そこにはこれまでの鶏らしいフォルムからはかけ離れた、神々しい姿。尾羽おばねを虹にきらびかせ、再誕したピィちゃんは、真っ直ぐにシルグエラへと昇り、ぶつかった。


 灰から生まれた不死鳥に、炎は通用しない。


 怪物を、翼の生えた槍が貫いた。


 その一撃は天地を揺るがし、地面に這いつくばるだけの月子たちを吹き飛ばした。


 そしてピィちゃんはそのままレオンに向けて一直線に降下した。


 術者すら焼き尽くさんとする熱量を、レオンは片手で迎える。




沁霊武装しんれいぶそう──『栄光放つ聖剣グローリア』」




 それは武器と呼ぶにはあまりにも鮮やかで、美しかった。


 完成された美術品ではない。一秒一秒呼吸をし、炎を生み、姿を変える命の芸術。


 しかしそれは紛れもなく武器なのだ。


 金色のも、翼を模した片刃の刀身も、柄尻から伸びる飾り羽根も、全てが戦いのためのものだ。


 それが一目でわかる。


 空から雪のように舞い落ちる火の粉の下で、月子とルイードは構えた。


 もう先ほどまでと同じ戦いにはならない。


 それは予感ではなく、確信だった。


「いいねえ。そういうの、嫌いじゃないぜ」


 レオンはそう言うと、その場から消えた。


 同時に月子とルイードも動き、魔術を発動する。


 雷が乱舞し、炎の怪物が何百体と暴れた。


 その全てが不死鳥の剣に切り裂かれた。


 レオン・ハンネス・ボルツは中世の頃からユリアスに仕える魔術家系の出身だ。


 彼には才能がなかった。


 兄たちと同じく『精霊召喚マイエレメント』という破格の魔術を持って生まれながら、召喚できた精霊は火を吐く鶏だった。


 レオンは落ちこぼれとして毎日を過ごした。


 唯一彼に才能があったとすれば、それは諦めの悪さだろう。


 武芸を磨き、魔術を高め、強くなるためには誰にでも頭を下げた。


 自分に才能があるなんて思ったことはない。兄たちを決闘で討ち、名実ともに導書グリモワールとなった今でもそうだ。


 彼が信じたのは、自分の召喚に応えてくれたピィちゃんだった。


 レオンが握る『栄光放つ聖剣グローリア』は、信頼した者と、信頼された者の絆そのものである。


 金雷槍を正面から打ち負かし、四方から襲い掛かる『赤の従僕アスピタ』を切り払う。


 距離を取れば『隕ちる陽ブレンエスニーダ』の連射で圧をかけ、崩れたところを薙ぎ払う。


 月子とルイードの全身が傷を負い、流れる血はすぐに蒸発する。


「これで、しまいだ‼︎」


 跳ね上がってきた剣が金雷槍を弾き飛ばし、月子の上半身が浮く。


「ッ──⁉︎」


 雷の魔術で障壁を張るが、そんなものに大した意味はなかった。


 研ぎ澄まされたレオンの一突きが、障壁を抜き、腹を貫通する。


 傷口は瞬時に焼かれ、血は出なかった。


「‥‥はぁ‥‥はあ‥‥」


 荒い息が、呆然とする月子にはよく聞こえた。


「意外だな。そういうタイプには見えなかったが」


 剣を突き刺したまま、レオンが言う。


 月子とレオンの間に割って入ったルイードは、己を貫く剣を両手で握りながら、血の絡んだ言葉を吐き出した。


「知らぬ。庇おうなどと思ったわけでもない‥‥。ただ貴様の面に一発お見舞いしてやろうとしただけだ」


 話している間にも、ルイードの体から魔力が抜けていった。


 防御に回すだけの体力もなく、肌が焼け、髪や服が発火する。そして、頭に巻いていた眼帯が焼き切れて落ちた。


「‥‥シシー‥‥」


 眼帯の下から現れた義眼の魔道具が、じっとレオンを見た。




     ◇   ◇   ◇ 




 ジルザック・ルイードは、無名の魔族であった。


 住んでいるのは魔族の居住区域の中でも特に北にあり、一年を通して大地が見えないほどに雪深い場所だった。


 彼は称号こそ無いが、辺境を人族の侵攻から守る砦として君臨していた。


 ルイードには娘がいた。


 若くして亡くなった妻が残した、最愛の宝、シシー・ルイードである。


 シシーは妻と同じく体が弱く、極寒の土地は彼女にとって心地よい環境ではなかった。


 何度も移住を考えたが、それは全てシシーに断られた。


『お父様は、この土地の番人よ。お母様も、同じように言うはずだわ』


 だからルイードはせめて彼女が暖かく過ごせるように、家には絶えず暖炉を焚いていた。


『パチパチ、パチ。燃えるよ暖炉。暖か暖炉。ゆらゆら揺れて、綺麗だね』


 ソファでシシーの歌声を聴きながら、二人で過ごす時間がルイードにとっての至福だった。


 しかしそんな些細な幸せは、突如として打ち破られる。


 神魔大戦が始まったのである。


 ルイードは辺境の防備に長く家を空けなければならなかった。


『大丈夫よお父様。毎日暖炉を暖めて、お父様の帰りを待つわ』


 シシーの言葉に送り出され、ルイードは戦った。


 そしてある時、人族の別部隊が自分の街に奇襲を仕掛けたことを知った。


 ルイードは己の戦場を捨て、全力で街に戻った。


 深い雪に守られた白い街が、赤く燃えていた。


 魔術に真っ当な理屈は通らない。たとえそこが吹雪の街でも、水中の城でも、燃やす。


 そんなことは、自分が一番よく知っていたのだ。


『────』


 娘の名を呼んだ。


 名前を呼んで、動かなくなった身体を炎から救い出して、慟哭どうこくした。


 きっとルイードはその時に壊れたのだ。


 戦士としての己を捨て、小さくしぼんだ彼女の瞳を義眼の魔道具に作り直し、元気になったら見に行こうと約束していた場所を回る。


 しかしまたしても運命は彼を戦場に駆り出した。


 第二次神魔大戦に戦士として選ばれたのである。


 その時、悲しみの下でくすぶっていた怒りの火が、燃え上がった。


 『アサス』の称号を、戦に再び身を投じた。


「まったく、馬鹿げている‥‥」


 ルイードは呟いた。


 憎くてたまらない人族をかばい、自分が死のうとしている。本当にそんなつもりはなかった。彼女がどうなると、自分には関係ない。


 だというのに、身体が動いた。


 その理由は分かっている。


 理不尽に屈せず立ち向かう月子の姿が、娘と重なる。


 敵軍に攻められた時、シシーは屋敷を捨てて逃げることもできたはずだ。病弱な身であっても、いざという時の逃げ道は教えていた。


 しかし彼女は最後まで屋敷を守ろうとした。それが、ルイードとの約束だったからだ。


「まあ、悪かない炎だったぜ」


 レオンが剣を引き抜く。


 ルイードは最後の魔力を使い、赤の従僕アスピタで炎の猟犬りょうけんをけしかけた。


 決死の覚悟で放たれた魔術は、レオンを後ろに退かせるにとどまった。


 それを見届けてから、ルイードは後ろに倒れた。


「待って!」


 その身体を月子が受け止めた。


 炎の魔術を使っているとは思えないくらいに、ルイードの身体は冷たい。


 焼けているのは傷口だけではない。内臓もそのほとんどが重度の火傷を負い、機能を失っている。


「どうして、私を助けたの?」


「‥‥さぁ、な‥‥」


 ルイードは月子を超えて、空を見ていた。


 その状態で、月子の手をルイードの手が握った。瀕死とは思えない、いや、死に瀕しているからこその力強さで握られた手を、月子は見る。


「‥‥お前は、魔力の使い方を、分かっていない‥‥。小娘、お前の魔力は、特別だ‥‥」


「特別って、そんなことより治療を!」


「いらぬ。一度、だけだ‥‥。一度だけ、教えてやる」


 その言葉が何を意味しているのか、つながれた手が教えてくれた。


 消えかけのルイードの魔力が月子に流れ込んでくる。魔力に魔力が重なり、月子の中で震えた。


 これは偶然だ。運命の悪戯だ。


 ただルイードだけが、頭の片隅で気づいていたのかもしれない。


 魔王の血に、魔王の魔力が注がれた。


 ――――。


 ――。




 キンッ、と月子の奥で知恵の輪が外れた。




「これで‥‥シシー‥‥ようやくだ」


 それがルイードの最後の言葉だった。


「‥‥ありがとう」


 月子はルイードのまぶたを閉ざし、身体を地面に横たえると、レオンを見た。


「ん――ぁあ?」


 レオンは月子たちから一瞬すらも目は離していなかった。確かに因縁ある相手の最後だからと、多少猶予ゆうよは与えた。


 しかしどんな状況でもすぐに対応できるよう、気を張っていた。


 だが分からなかった。


 まさしく瞬きの間に、伊澄月子は別人に変わっていた。


 姿が変わったわけでも、魂が変わったわけでもない。


 ただ魔術師としての直感が、目の前にいるのは全くの別物だと、囁いている。


「何者だ、お前」


「何を言っているの? あなたの前にいるのは、ずっと同じ人間よ」


 殺される寸前まで行ったとは思えない、冷静な声。


 それを示すように彼女の魔力はいでいた。


 あり得ない話だ。


 こうしている今もあたりは炎に包まれ、魔力なしで人が生きていられるような環境ではない。


 さっきまでは月子も全身を魔力で覆い、保護していたはずだ。


 いや、今もそれは変っていない。


 ただ無駄がなくなった。


 揺れ動く熱量に対して、完璧に必要な魔力だけを流し、自分の身を守っている。


 それはもはや保護ではない、中和だ。


 元々魔力操作は目を見張るものがあったが、このレベルまで来ると、異次元の領域である。


 パリパリと軽やかな音を立てて、月子の髪が浮いた。濡れ羽色の黒髪が、いかづちを纏って、金色こんじきに光る。


「ただそうね。そう、今ようやく、私は私と視線が合ったわ。初めて鏡を見た気分とでも言えばいいのかしら。とても、不思議な気持ち」


「何が言いたいんだよ」


「決着を――つけましょう」


 今の気持ちを何と言葉にできるのか、月子には分からなかった。


 昂揚こうようしているのに、心が動かない。


 いだ水面の下で、巨大な海流が重い速さでのたうっているような、奇妙な感覚だ。


 それが怖いのではなく、心地よい。


 これまで金雷としてしか呼称されなかった己の魔術が、形を成す。


「発動」


 朧雲おぼろぐもの隙間から顔を覗かせた言葉を、月子は唱えた。




「『金火倶雷カナカグラ』」



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