第110話 閑話 とある日常の一幕

 こう言っては嫌味に取られるかもしれないが、俺は美人というものを見慣れている。


 だから何だって話なのは百も承知だ。少しばかり語らせてほしい。


 そもそも美人や美少女なんて人々は思っているよりたくさんいて、テレビをつけてもいいし、街を歩いていれば「お、可愛いな」と思う女の子を何度も見かける。


 ただ俺がここで言う美人とはそういった人とは少しばかり違う。オーラというか迫力というか、一目見た瞬間から、違う人種だって理解してしまうような人たちだ。


 例えばエリス。彼女は一国の王女でありながらも戦場に立つ一級の魔術師だった。彼女に初めて会った時の衝撃ったらない。日本人じゃあり得ない鮮やかな緋色の髪に、陰影の際立つ端正な顔立ち。まるで等身大の人形に命を吹き込んだような美しさだった。


 暫くは緊張してまともに喋れなかったもんだ。


 なんせ彼女の纏うオーラは王者そのもの。あらゆるものがひれ伏して当然の絶対的強者。俺のことを目立つだの歩く誘蛾灯だの好き放題言ってくれたものだが、はっきり言ってエリスの方が百倍は目立っていたと思う。


 まあ正面から言うと王者の眼光と王女パンチによって物理的に黙らされるので、口を閉じるのが吉だ。エリス相手にお姫様らしい淑やかさとか奥ゆかしさを求めてはならない。実態は美少女の皮を被った獅子である。


 例えばシャーラ。彼女は紆余曲折の果てに俺たちと共に旅をすることになった。


 シャーラの美しさも、まあぶっ飛んでいる。


 生まれてから一度も陽の光を浴びたことがないんじゃないかという白い肌に、見ていると引きずり込まれそうな怪しい美貌。


 シャーラはある意味エリスとは真逆だ。今にも消えてしまいそうな儚い雰囲気で、しかし一度それを見てしまうと、彼女の姿が頭から離れなくなってしまう。そんな呪い染みたオーラを纏っていた。


 思い返せばいくらでも浮かんでくる。それだけ多くの場所を回り、類まれな才能、家柄、力をもつ人と出会ってきた。聖女、貴族のご令嬢、冒険者、高級娼婦、ハニトラ暗殺者、魔族、エトセトラエトセトラ‥‥。どいつもこいつも濃ゆいわあ。


 だからこの地球に帰ってきた時、学年一可愛い子やテレビのアイドルを見ても心が揺れることはなかった。勘違いしないでほしいんだが、可愛くないと言っているわけじゃない。俺なんかが評するなんておこがましいほどに可愛いんだ。


 ただいかんせん、可愛いなーで終わってしまう。


 会った時の心臓が奮い立つような興奮、背筋が泡立つ緊張感。そういったものを感じることはなくなってしまった。


 特殊性癖だったとしたら特殊過ぎる。さしもの業の深い者たちが住まう日本と言えど、この需要を満たせるものは供給されてはいまい。


 そんな悲しみを背負う俺なのだが、大学にて驚くべき出会いをすることになる。


 彼女を初めて見たのは文芸部の新入生歓迎会だった。


 伊澄月子はそこで多くの人に取り囲まれていた。小さな体に黒曜石を梳かしたような艶やかな髪。


 何よりもその立ち振る舞いが美しかった。


 それこそ見た瞬間脳天に電撃が落ちる程に、エリスやシャーラにも劣らない衝撃だった。


 まさか月子と付き合うことになるなんて夢にも思ってなかったわけだが、俺はその瞬間から彼女が気になって仕方なかったのである。


 ただそれは恋心ではない。どちらかというと疑問だ。果たしてこれ程のオーラを持つ人間がどんな者なのかと、そう思っていた。


 とある夏の日、うだるような熱気の中で俺は構内を歩いていた。


 単位を生贄に自主休講の特殊召喚すら考えるような暑さで、松田と総司とのじゃんけんに負けた俺は生協せいきょうでアイスを買ってきたのだ。


 早いとこ戻らないとアイスそのものが溶けるなあ、と思いながら歩いていたら、あるものが目に留まった。


 黒い何かが溶けていた。


 うちの大学の生協の前には東屋あずまやのような屋根付きのベンチとテーブルがあるのだが、そこで黒い服を着た女性が突っ伏していたのだ。


 それが伊澄月子だと気付くのに時間はかからなかった。


 いつもは凛と背筋を伸ばしているのに、今は暑さに溶けた猫そのものである。


 普段なら声を掛けるなんて絶対にしないのだが、そんな普段と違う姿に思わず話しかけてしまった。


「伊澄さん、だよな?」


 もぞもぞとした動きで黒い髪が動き、白い顔がこちらを向いた。


「‥‥山本さん、でしたっけ」


 おお、名前を覚えててくれたのか。同じ文芸部でもほとんど喋ったことなかったのに。


 月子は驚いたように目を見開き、身体を起こす。


「大丈夫か、なんか疲れてるみたいだけど」

「ええ。友人を待っていたんですが、思っていたよりも暑くて」


 それなら生協なり学食なり涼めるところは多いと思うのだが、多分人混みから離れたいんだろうと、そう感じた。


 いつもの涼やかな瞳が暑さでとろけ、光が淡く揺れる。相当疲れているのか、あるいは暑さに弱いのか、気高い猫が無防備になっているような可愛らしさがあった。


 俺はビニール袋に手を入れる。


「チョコかバニラ、抹茶なら何が好きだ?」

「? どういう意味ですか?」

「大した意味はないぞ」

「そうですか、その中なら抹茶‥‥」


 怪訝そうな月子の鼻先に、俺は抹茶のアイスを置く。喋っていたけど、まだ溶けてはなさそうだ。


「これは?」

「おすそ分けだよ。食べてくれ」

「理由もなくいただくわけにはいきません」


 こういうところは溶けてても硬い。


「折角同じサークルだし、お近づきの印ってことで。じゃあ、俺も人が待ってるからさ」

「ま、待ってください」


 後ろから聞こえる月子の声に振り返らず、俺は歩き出した。多少強引にでもしないと受け取らなさそうだ。


 にしても、話してみると案外普通の女の子だったな。


 あの衝撃が何だったのかも気になるし、もっと色々話せたらいいんだが、何とかうまくいかんもんかね。


 溶けた月子の顔を思い出しながらあれこれと考えを巡らせる。


 この時から俺にとって彼女は普通に可愛い女の子でもあった。一目惚れが胸の内にストンと落ちる音が聞こえた。


 そこから色々、それはもう色々あるわけだが。その話はここでは割愛しよう。結果の分かり切った話程面白くないものもない。


 ちなみに抹茶のアイスは松田のだった。

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