第372話 昊橋の扉

     ◇   ◇   ◇




 俺たちは正午の前に家から遠く離れた山の中に来ていた。


 コウガルゥと俺が手合わせをした場所だ。


 相手がどんな方法で仕掛けてくるかは分からないが、さすがに都心でドンパチやるわけにはいかない。


 メンバーは基本的に家に居た時と変わらず、加賀見さんがバックアップのために戻ったくらいだ。


「みんな、離れるなよ」

「はーい」

「分かりました」


 陽向とリーシャが返事をする。


 陽向は本当は家で留守番をしていてもらう予定だったのだが、ノワと一緒になっている以上、狙われる可能性はゼロではない。


 だったらちかくにいてくれた方が守りやすい。


 それにノワが表に出れば、たとえ導書グリモワールが相手であっても、そうそう負けることはないはずだ。


 『鍵』の面々は守護者の近くにぴったりと寄り添っている。


 俺たち守護者以外の魔術師は、遊撃部隊だ。


『旅巡る終わりの日、満陽まんようの空に、鍵はつどい、昊橋カケハシの扉開かん』


 あの招待状の言葉を信じるのであれば、正午になれば何かが起こるはずだ。

さて、どんなやり方で仕掛けてくるか。


 じりじりと進む時間に否応なく緊張感が高まる中、ついに太陽は頂点へ昇り、二つの針が重なった。


「来るか」


 俺が『我が真銘』を発動するのと同時、あの手紙に書かれていた意味を理解した。


 その場にいる誰もが、理解せざるを得なかった。


「『‥‥無茶苦茶な』」




 空が魔法陣に覆われた。




 『東京クライシス』のような結界ではない。


 ただ純粋に魔術を発動するための魔法陣が、空に現れたのだ。


 その巨大さゆえに、必然的に空というキャンバスが選ばれたといわんばかりの大きさだ。


「嘘でしょう‥‥」


 エリスの小さな呟きがやけに鮮明に聞こえた。


 その気持ちはよく分かる。多くの人が空の魔法陣を見た時、その巨大さに圧倒されるだろう。


 しかし魔術に造詣が深ければ深い程、その芸術的な構造に言葉を失う。


 平面的に見えて、何重にも魔法陣が重なっている。それら全てが三次元的に絡み合い、複雑な幾何学模様を描いている。


 『昊橋カケハシの扉』。


 あの手紙に書かれていた言葉を思い出す。これが扉なのだ。


 まるで満天の星空を全て繋いで星座にしたような、自然美にも似た迫力。


 そして空の魔法陣に気を取られている間に、こちらにも変化があった。


 地面にも光のラインが走り、魔法陣が描かれたのだ。


 ここまで来ればこの魔法陣が何をしようとしているのか、確信が持てた。


 異空間への転送・・・・・・・


 何せ向こうは『我城がじょう』の魔術をもつフィンに、『冥開めいかい』を簒奪さんだつした櫛名命くしなみことがいるのだ。


 俺たちを絶対に逃したくないとなれば、異空間への拘束は当然の流れだった。


 ――そう来ると思ってたよ。


「『リーシャ!』」

「はい!」


 リーシャが即座に、しかし優雅さを失わないように舞を踊り始める。


 それに呼応し、俺たちを覆う黄金の城が建った。


 この聖域はこれまでのものとは違う。



 リーシャは訓練において、ただひたすらに聖域を張り続けてきた。


 特別なことは何もない。


 ただ俺たちの魔術で訓練室が崩壊しないように、聖域で耐え続ける。


 そう、元勇者と四英雄たちの魔術をだ。


 これまではただの直方体のような形状だったものが、城塞じょうさいのような強固なものに姿を変えている。


 見た目だけではない。その性能も桁違いだ。


「合わせるわ」


 そこにエリスがレイピアを振った。


 『白くあれ花茨ホワイトリリー』が黄金に絡みつくように現れ、聖域を更に強化する。


 まさしくいばらの城。


 『昊橋カケハシ』の扉は明らかに個人が発動する魔術ではない。その圧倒的な魔力に、聖域が対抗する。


 魔力同士がぶつかり、地上で花火を炸裂させたかのような色と光が乱舞する。


「『コウ、やるぞ』」

「わーってるよ」


 同時に俺とコウが武器を構えた。


 いくらリーシャの聖域が強固だろうと、この規模の魔法陣を延々と耐え続けるのは現実的じゃない。


 聖域の崩壊と同時に、俺とコウが最大威力の攻撃を叩き込んで、あの魔法陣を破壊する。


 この『昊橋カケハシ』は新世界トライオーダーにとって非常に重要なもののはずだ。


 それを破壊、ないしは機能不全にまで追い込めば、相手にとっては大打撃になるはずだ。


 場合によっては、トップを倒す前に決着につながるかもしれない。


 他のメンバーは、聖域の周囲に意識を向けている。


 この後考えられるのは、導書グリモワールによる妨害。相手には『流転セラティエ』や月子を倒した魔術師もいるのだ。


 このままなんの妨害もないとは考えられない。


 誰が来る?


 俺たちの予想は正しくもあり、間違ってもいた。


 聖域は『昊橋カケハシ』の干渉を完全に受けきり、俺とコウの魔力は順調に密度を高めていく。


 『星剣ステラ』を使う俺の目には、魔力の要所が見える。


 どれだけ巨大な空母でも機関部を破壊されれば沈むように、この魔法陣も要所に高密度な一撃を叩き込めば、崩壊する。


 俺とコウの魔力が臨界に達した。


 ――おかしい、妨害がない。


 向こうにもこちらの動向は筒抜けのはず。絶対に妨害があると思っていたが、その気配がない。


 何を考えているかは分からないが、そちらが動かないというのなら、こっちは好きにやらせてもらおう。


 翡翠と黒の魔力が、内部から聖域を揺らした。


 俺とコウは寸分たがわぬタイミングで魔術を発動する。


 一点に魔術を叩き込むのは、互いの魔術が干渉して威力を打ち消してしまうので、実は相当に難易度の高い技だ。


 しかし俺とコウに関しては、そんな憂慮は一切ない。


 理由は単純だ。


 俺の技の方が強い、てめえが譲れ。


 そのメンタルで放たれる魔術は、競い合うように敵の喉笛のどぶえを噛みちぎる。


 剣と棍が、うなった。


「『ミカ――』」

王鱗アルバ――」


 その瞬間だった。




 ――パチン。




 翡翠と黒の魔力が激しく明滅し、放たれんとしたその瞬間、んだ音が空から響いた。


 それは間違いでなければ、指を鳴らしたかのような、軽い音だ。


「『なっ⁉』」

「ッ――⁉」


 その音を認識した時、俺たちは全員が声を失った。


 誰もが驚きに動きを止めた。


 いや、正確に言うのであれば、止めざるをえなかった。


 何故ならその音と共に、ありとあらゆる魔術が崩壊したからだ。


 俺の『我が真銘』も、コウの『暴駆アクセル』も、エリスの『白くあれ花茨ホワイトリリー』も、リーシャの『聖域』も。


 なにもかもが荒波に飲まれた薄氷のごとき呆気なさで、砕けて消えた。


 馬鹿な。


 何が起きたんだ。


 魔術の発動がキャンセルされたわけじゃない。


 何かによって、発動した魔術が霧消させられた。


 あり得ない事象を前に、俺たちは刹那の間、停止を余儀なくされた。


「『――‼』」


 我に返り、リーシャたちの方に手を伸ばそうとした時は、すでに遅かった。


 災害級の魔力がそれを見逃すはずもなく、俺たちは『昊橋カケハシ』の魔術に飲まれ、扉へと導かれた。


 新世界トライオーダーによる『昊橋カケハシ』の発動からわずか二分。


 地上の光は消え、空にはうっすらと魔法陣が残った。


 まるで今一度開かれる時を待つかのように。

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