第335話 私の

『行きなさい、ユースケ』



『あなたは誰よりも先を歩き、みなの輝く道標みちしるべとなるの』



『そのための露払いは、私がやる』



『大丈夫。絶対に負けないわ』



『だってあなたは、最も気高く強い人よ』



 世界を覆う白い燐光りんこう


 そこからいくつもの声が弾けて消えた。


 泡沫うたかたの夢のように、過去が俺を包む。


 ──これは、夢か?


 だって、あり得ないだろう。


 肉をえぐり、骨を断つような思いで諦めた希望。そこまでしても、捨てきれなかった想い。


 亡霊のような執念が、幻聴を生んだのではないかと、そう思った。


 しかし目前の光景がそれを否定する。


 炎の中から現れ、破壊を包みこむ純白の光。それは見惚みとれるほど鮮やかな魔力操作をもって、広がっていく。


 ヒュン、と小気味よい風切り音が聞こえた。


 その音は、彼女が魔術を使う時に、細剣レイピアを振る音だ。


 彼女はまるで指揮者しきしゃのように、優雅ゆうがに魔術をかなでる。


 魔力の流れが変転し、 一気に魔術が歌声を上げた。


 光は白い樹木へと変貌へんぼうげ、燃え盛る炎を握りつぶした。


 だがこの炎はただの炎ではない。


 神が放った炎だ。


 樹を内側から焼き尽くさんと、より猛々たけだけしく、勢いを増す。


 今度はよりはっきりと、レイピアを振る音が鳴った。


 それに合わせ、樹々を包むように更なる樹が生まれ、複雑に絡み合って大樹と化す。


 彼女は、自分の庭で勝手は許さない。


 たとえそれが神であろうと、この場では彼女こそが絶対のルールなのだ。


 目に映っていた赤い世界が、またたく間に白へと塗り替えられていく。


 レイピアの音はそれで終わらなかった。


 より鋭く、背筋が伸びるような音が響いた。


 次に起こったのは、無法者たちへの刑罰であった。


 突如として現れた樹木に困惑するモンスターたちを、次々にいばらが貫いた。


 振りほどこうとするものがいた。逃げようとするものがいた。噛みちぎろうとするものがいた。枯らそうとするものがいた。


 それら全てはレイピアの一閃のもとに、斬り捨てられる。


 彼女のいばらは敵を逃さない。あらゆる防御を貫き、捕らえ、その心臓を穿うがつ。


 この苛烈かれつなまでの正義こそが、彼女が茨姫いばらひめと称される所以ゆえんだった。


 『願い届くエバーラスティング王庭・ガーデン』の勢いはそれだけにとどまらなかった。


 術式の上に術式が重なり、かなでられる音と歌声はより複雑に、重厚さを増していく。


 炎を覆い隠した白の森は、高く、大きく成長していく。


 枝葉を伸ばし、手を繋ぎ、この世のありとあらゆる悪意をさえぎる様に、天蓋てんがいを作り上げた。


 それはテュポーンから人々を守る、巨大なドーム状の盾だった。


 たった一人で盤面を制圧し、己の思うままに支配する最高峰の魔術。


 この魔術が使える者は、俺が知る限り、一人だけ――エリス・フィルン・セントライズだけだ。


 温かい気配を感じ、俺は上を見上げた。


 そこには一本の幹が伸び、その頂点で大きなつぼみが花開こうとしているところだった。


 ふわりと、柔らかく開く白と黄色の花弁。


 その中心から、黄金のみつしずくとなって俺に落ちた。


 全身に染み渡る、ほのかな熱。


 半分以下になっていたHPバーが一気に増えていく。


 重かった身体が嘘みたいに軽くなり、魔力がよどみなく全身を流れ、指先にまで行き渡る。


 姿は見えない。


 けれど確かにここにいる。


 魂と魂が、距離を超えてつながっている。


 背中に感じる、彼女の体温と、鼓動こどう


 俺は空を見た。ぽっかりと天蓋てんがいに空いた穴の向こうで、テュポーンがこちらを見下ろしていた。


 絶対的な存在に見えた神にも、今の俺ならば手が届く気がした。


 彼女が後ろで、俺にだけ聞こえるように呟いた。




「信じてるわユースケ。──私の勇者」




 君がそう言ってくれるだけで、俺はどこまででも強くなれた。


 『我が真銘』がくさびを失い、歓喜の声を上げて無限の回廊かいろうを突き進む。


 翡翠の光が乱舞し、鎧が輝きを取り戻した。


 この声が届くかは分からない。それでもいい。


「『ああ。必ず勝つよ、エリス』」


 その言葉に応えるように、『願い届くエバーラスティング王庭・ガーデン』は枝葉を編んで道を作った。


 俺が進むべき道を、天にける。


 もう迷いも不安もありはしなかった。


 さあ、行こう。


 俺は全力で一歩目を踏み出し、そのまま流星よりもはやく空へ駆け上がる。


 巨大なテュポーンの頭は、近寄ると更にその大きさを実感した。


 もはや全体を視界に映すことができない。


「dateoihaadosaifhnaowehtaiodfajdosansdkaueiopw」


 莫大な魔力が動く。


 再びあの炎を撃つつもりか。いくら盾があろうと、あの一撃は防ぎ切れないだろう。しかも、感じる魔力は先のものより、大きい。


 それは撃たせない。


 近づけば近づく程に、テュポーンの身体から発せられる炎が強く、まぶしくなる。


 枝葉の道は途中で焼き尽くされ、消えた。


 『無限灯火フレム・リンカー』はもう使えない。紅の外套がいとうは使い切ってしまった。いくら身体が回復しようと、あれを編むのには時間がかかりすぎる。


 だからなんだ。


 俺はこの鎧と剣で魔王を倒したんだ。


 俺の後ろには変わらず守るべき者たちがいる。支えてくれる仲間がいる。


 神だかなんだか知らないが、今の俺に勝てると思うなよ。


「『ッ──‼︎』」


 途切れた道を踏み締め、炎の渦へと飛び込む。


 一瞬にして何もかもが炎に飲み込まれ、自分が今どこにいるのかさえ分からなくなった。


 魔力を貫いて、熱が鎧を焼く。


 汗も血も蒸発し、思考は整然性を失って空回る。


 それでいい。もう考える事なんてない。


 やるべきことはたった一つだけなんだ。


 渦巻く炎の中心へ、流され引き寄せられる。


 この火炎の中にあってさえ、神の声は確かに響いた。この世界に終焉しゅうえんを告げる、たった一言。


神の炎エクリクスィ』。


 俺はそれが聞こえた瞬間には、もう剣を振っていた。


 刹那せつな


 刀身に流し込み、ひたすらに圧縮し続けた無限の魔力を、解放する。




「『焔剣フローガぁぁあああああああああああ‼︎‼︎』」




 放たれるほのおを、翡翠のほのおが断つ。


 火焔かえんは互いに混じり、喰らい合いながら、膨れ上がる。


 そして、空が晴れた。


 空を覆っていた暗雲を吹き飛ばし、偽りの神を白日の下にさらけ出す。


「『──』」


 落ちて行く中で、最後にテュポーンと目があった。


 彼が何を言いたいのかは分からない。それでも、俺たちは互いにこの結果に不満はない。


 それだけは、確信できた。


 神の消失と同時に、榊綴さかきつづりの魔術、『私たちの物語フェアリーゲーム』は崩壊した。

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