第128話 再会
霞む視界の中で、少女がこちらを覗き込んでいた。
あれ、何が起こったんだ。
俺はラルカンと戦い、負けた。手も足も出ず、一蹴されたのだ。そして殺される寸前で誰かに助けられ、そこからの意識が曖昧だった。
夢を見ていたのだろうか。
確かに今グレイブとラルカンが俺の目の前で戦っていた。命を削り合い、誇りをぶつけ合う本物の戦い。
いや待て、それはおかしい。俺はあの時グレイブを置いて走ったのだ。グレイブが死んだことを知ったのは、翌日の捜索で遺体を見つけた時だった。
周囲の森は爆発でも起きたのかというほどに抉れ、戦いの凄まじさを物語っていた。
けれどそれを実際に見たわけじゃない。
戦いの痕跡から想像することはできるが、俺が初めて見る技も多かったし、そもそも今の光景はそんな幻ではない、真に迫る何かがあった。
何を見ていたんだ、俺は。
「‥‥大丈夫ですか?」
そこまで考えて、こちらを覗き込む少女に声をかけられた。
そうだった、今は夢の中のことを思い出している場合じゃない。俺はラルカンに敗れ、そして、誰かに助けられたんだ。
クリアになっていく視界の中で、少女の顔が明瞭になる。
どこかで見覚えのある顔だった。日本人離れした真白の髪にアイスブルーの瞳。くりくりとしたそれは小動物のようだ。
そうだ、確かタリムと戦った時に会った『鍵』の一人。
「ユネア、さん?」
「はい、お久しぶりです。意識は大丈夫みたいですね」
「あ、ああ」
どうして彼女がここにいるのかは分からなかったが、俺を助けてくれたのが誰かは分かった。
イリアルさんだ。彼女の魔術で高所から急襲し俺を助けてくれたのだろう。一歩間違えれば背中から両断されかねないやり方だった。
そして今はユネアさんが介抱してくれていたらしい、今の俺は彼女に膝枕をされている形だった。
「それにしても驚きました。あの時の騎士様が、貴方だったのですね?」
「え? あ、ああ」
言われて気付いた。
今の俺は魔術の発動が解け、素の状態に戻っていた。そりゃそうか、あの状態で魔術を維持できるわけもない。
「‥‥ごめん、色々事情があって話せなかったんだ」
「いえ、何も気に病む必要はありません。私も姉も、貴方のお陰で今があるのです」
ユネアさんは年齢に見合わない落ち着いた声でそう言った。リーシャより年下だろうに、圧倒的にしっかりしている。
「それよりご加減はいかがでしょうか? 私の魔術で出来得る限りの治療はしたのですが」
その言葉に、俺は手を動かして胸を触った。肉が突っ張るような感触がする。どうやら傷は塞がっているらしいが、癒着は完璧ではなさそうだ。多分無理に動けば傷が開くだろう。
それでも放っておけば致命傷だった。ユネアさんのお陰で命拾いした。
「大丈夫みたいだ。助かったよ、ありがとう」
「すいません、私の至らぬ魔術ではこれが限界でした」
「そんなことないよ、犬死せずに済んだ」
手を着いて起き上がろうとユネアさんが慌てた様子で俺の肩を抑えた。
「まだ立ち上がっては駄目です! 本当なら死んでもおかしくない傷だったんですよ」
「リーシャがまだ捕まってるんだ。長くも休んでられない」
「それでも暫くは休んでいないと」
それじゃ駄目なんだ。
ラルカンの目的は神魔大戦ではなく俺自身だから、リーシャに危害が及ぶ可能性は低いが、あの場にはもう一人魔族がいる。
恐らくカナミを瀕死においやったのもあいつだろう。リーシャの身柄は決して安全ではないのだ。
悠長にはしていられない。
「いっ‥‥‼」
何とかユネアさんの制止を振り切って立とうとした瞬間、身体の内側を激痛が走った。筋肉が悲鳴をあげ、内臓が暴れる。
力が抜け、再び細い太ももに頭が落ちた。
駄目だこれ、我慢でどうこうなるレベルじゃない。身体が動くことを拒絶している。
「無茶をするのはおやめください。まだ安静にしているべきです」
新たな声が聞こえ、そちらに視線を動かせばユネアさんをそのまま大人にしたかのような美女が立っていた。
ああ、やっぱりそうだ。俺の予想は当たっていた。
「イリアルさん」
「‥‥お久しぶりです」
相も変わらず感情の読めない切れ長の瞳でこちらを見下ろし、彼女は頭を下げた。
多分俺が騎士だと知ったからなんだろが、年上の女性に敬語を使われると妙に居心地が悪い。
体も起こせないので、首だけで会釈する。
「助けていただいてありがとうございます」
「以前のことを思えば、この程度何ということもありません。元々あの二人は私たちも監視をしていたんです。二対一では勝ち目もない上に、放置もできず手出しできなかったのですが」
「そこに俺が来たと」
イリアルさんが頷いた。
多分ラルカンたちもイリアルさんたちの存在には気付いていただろう。だがあえて無視していた。
その点に関してはラルカンが俺にだけ執着してくれていて助かった。
それにしてもやけにイリアルさんがそわそわしている気がする。
「どうかしました?」
問うと、彼女は言いづらそうに言った。
「いえ、その、初めから監視をしていたので、話を聞いてしまって」
「話?」
「その、貴方様の正体を‥‥」
そこまで言うと、イリアルさんは徐に片膝を着いて頭を深く下げた。
こちらは突然のことに目を白黒させるしかない。
「これまでの数多くの非礼、申し訳ございませんでした! 全ては私の無知さが招いた愚行。この戦いが終わった暁には、この命をもって償わせていただきます!」
‥‥あー。
そういえば随分前にもカナミに似たようなことを言われた覚えがある。
そうか、俺とラルカンの話も聞かれてたか。カナミは特別にしても、教会の人にとっては看過できない話だろう。
俺とイリアルさんの間で瞳を右往左往させるユネアさんは、どうしていいか分からない様子だった。何の話か分かっていないのかもしれない。
「イリアルさん、頭を上げてください。俺はもうそこらにいる一般人と立場的には変わりません。むしろ命の危機を救ってくれてありがとうございました」
「どんな立場であれ貴方様が聖なる御身であることは変わりません。私がしたのは当然の行いです。本来であれば手足となって戦わなければならない身にも関わらず、あの時まで何もできなかった弱さを悔やむばかりです」
どうしたらいいんだ、これ。
俺としてはそう畏まられると、どんな反応をしていいか分からなくなる。そんな大層な人間じゃない。
かといってカナミにやったように、圧と雰囲気でごまかせるような状況でもなかった。
「確かに俺は勇者と呼ばれる人間でした。けど、中身は見ての通りどこにでもいる一人の人間ですよ。年上の女性に、しかも命を助けていただいた方にそう畏まられると、そっちの方が困ります」
俺の言葉にユネアさんが息を呑むのが分かった。どうやら本当に勇者だということは知らなかったらしい。
イリアルさんがその程度の言葉で納得するはずもなく、彼女は食い下がった。
「ですが――」
「どうか俺のためだと思っていつも通り話してください。そっちの方が気が楽です」
「‥‥」
イリアルさんは暫く考える素振りを見せ、不承不承と言った様子で頷いた。
「分かりました。出来うる限り努力します」
「よろしくお願いします」
教会所属の人間が勇者相手に敬語なしで話せと言う方が無理難題だろう。
そんなことを思っていたら、話を聞いていたもう一人がようやくフリーズ状態から動き始めた。
「あ、あの‥‥勇者様、なのですか」
口をパクパクさせていたユネアさんが目を丸くして聞いてきた。
「昔、そういう風に呼ばれていたこともあったってだけだよ」
「あ、あっあっあっぁ」
「ユネア⁉」
ユネアさんはそのまま後ろにぶっ倒れそうになり、危ういところでイリアルさんが助けに入った。ついでにその時の振動で俺は太ももから叩き落され、床に頭を打ち付けた。
そういえばカナミも地球で会った時は気絶してたな。
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