第225話 ライトノベルでよくあるやつ
人生の中で、引っ越すという経験は案外少ないものである。人によっては一度もしたことがない、なんてことも珍しくないだろう。
拠点を移すというのは、非常に手間のかかる話だ。
特に家でダラダラするのが好きな人間にとって、引っ越し程面倒くさいものもない。
かくいう俺も、実家から今のアパートに越してくるのが嫌で仕方なかった。
なので加賀見さんが「引っ越し」というワードを出した瞬間に思ったのは、えーという素直な感想であった。
わざわざ俺たちに言うということは、そういうことなのだろうが、一応確認をしておく。
「加賀見さん、どこかに引っ越すんですか?」
「私じゃないわよ。あなたたちが引っ越すの」
やっぱりかー。
「新しい勢力なのか裏切り者なのか分からないけれど、問題なのは人間が敵対しているということよ。彼らは魔族と違って襲ってくる時間帯も夜とは限らないわけでしょう」
「そうですね」
魔族は強大な魔力を持つ代わりに、燃費はさほどよくない。エーテルが薄い昼間は、彼らにとって酸素が薄い高所にいるようなものだ。
「つまり警戒すべき時間が増えた。今まで通りあのアパートで暮らすわけにはいかないじゃない」
「それは確かに」
「何より」
加賀見さんはそこで一度言葉を区切り、半眼で俺を見下ろした。正確には、俺とその横にぴったりくっついて座るシャーラをである。
「シャーラさんも一緒に住むんだったら、どう考えても手狭よ」
「え?」
言われて横を見ると、シャーラは当然という顔で頷いていた。
そうか、立て続けに事件が起こったせいで頭から抜けていたけれど、シャーラに日本で暮らす場所があるはずがない。魔術も使えなくなってしまったし、俺たちと一緒にいるのが一番安全だ。
何よりこの子、微塵も生活力がない。
長いこと冥神の花嫁として生きてきたからといって、世間一般的な花嫁修業をしているかと思ったら大間違いである。包丁ではなく曲刀を振るうのがシャーラだ。
そして時間という概念が消し飛んでいるので、生活リズムが終わっている。アステリス時代はエリスが起こすのに苦労していたものだ。
一人で生活は無理だな。しかもここ、シャーラからすれば異世界だし。
「考えてみると、あのアパートに四人はきついですね。いや、そもそも三人の時点で大分限界を感じてたんですけど」
「むしろ私はよく生活してるなって感心してたわよ。カナミさんとか、アステリスではもっと大きい家に住んでたんじゃないの?」
「え、ええ。まあそうですわね。ですが、今の生活に不満はありませんわよ」
それはないだろ。
カナミの感覚的には、俺の部屋の大きさとかトイレだ。トイレで三人で生活しているって考えたら、劣悪すぎる。クオリティオブライフ計測不能。
「な、なんですのその視線は。城暮らしの時ならいざ知らず、訓練ではより過酷な場所で寝泊まりしていたのですよ。野宿も当たり前でしたし、ライフラインが整備されていて、壁と屋根がある時点で言うことはありませんわ」
「俺の部屋、野宿と比較されていたのか‥‥」
「違います、それは言葉の綾というものですから!」
そうね。まあ城と野宿で比べたら、俺の部屋は野宿よりよね。
「でも引っ越すって言っても、そんなお金ないですよ。四人で住める場所ってなると、相当な金額になりますし」
一番のネックはそこである。今は対魔特戦部から援助金が出ているおかげで生活自体は苦しくないけど、引っ越しとなると話は別だ。
元勇者、金はない。
加賀見さんは頷いた。
「それに関しては大丈夫。私たちの方で用意したから」
「え、用意したって引っ越し費用をですか?」
「違うわよ」
「じゃあ用意したって何を」
「家よ」
はい?
加賀見さんはもう一度言った。
「だから、あなたたちの家を用意したの。
その言葉の意味を理解するのに、それなりの時間がかかった。
リーシャはにこにこと首を傾げ、カナミは頷き、シャーラは俺の腕にもたれかかっている。
そして止まった俺の代わりに、月子が口を開いた。
「待って。今五人って言わなかった?」
そういえば加賀見さんはそう言った気がする。おかしい、俺、リーシャ、カナミ、シャーラ。全員で住んでも四人だ。
数え間違いかな、疲れてるみたいだし。
そう思い加賀見さんを見ると、彼女は平然と頷いた。
「そう、五人。あなたも住むのよ月子」
「は⁉」
「なっ⁉」
俺と月子の声が重なって響いた。
「安心しなさい。家の方には仕事として許可をもらっているから」
「そういう問題じゃないでしょう! そんないきなり一緒に住むなんて――」
言いながら、月子が俺の方をちらりと見る。白い頬が紅潮していた。
加賀見さんはその言葉にやれやれと首を横に振る。
「だから仕事よ仕事。対魔官の内部にも敵がいるかもしれないんだから。勇輔君たちはうちの事情にも詳しくないし、一番信用できる人間が一緒に住むのが合理的でしょ」
「それは、そうかもしれないけれど」
「私は支部で仕事しなきゃいけないし、勇輔君の正体を知っている人間は少ない方がいいでしょう。そうなったらもうあなたしかいないじゃない」
「‥‥」
そこまで言われたら月子も何も言えないのか、押し黙った。
理屈としては分かる。分かるけれど感情が追い付かない。
半年ぶりにまともに話し合って、直後に同棲は段階を飛ばしすぎている。
いや同棲ではないのか。どちらかというと、仕事場での泊まり込み? とはいえ、名目はどうあれ結果は変わらないわけで。
混乱する俺たちをよそに、加賀見さんは徹夜テンションばりに手を上げた。
「それじゃ、新居へゴー!」
「ご、ゴー?」
リーシャだけが加賀見さんの後に続いて拳を上げる。
そんなわけで状況に置いてけぼりにされる俺たちは、新たな拠点へと連れて行かれることになった。
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