第52話 接近

 今日の髪型は綺麗に決まった。化粧の乗りもよかったし、服もあの人が好みそうな、女性らしさを出しつつカジュアルなものを選んだ。


 思わず歌いだしたくなるくらい、全部が完璧だった。今までもお洒落をすることは好きだったけれど、見せたい相手が明確に決まってからは、全く別の楽しさになったように感じる。


 相手の好きなものを考え、自分の好きなものとすり合わせてコーディネートを考えていく。そんな何気ない日常が、自分の気持ちをくすぐるのが分かった。


 鏡の中で可愛くなった自分が呆れたようにこちらを見ていた。


 しかし貸し付けたデートでどこに行こうかとスマホを眺めていたら、気付けば講義の時間ギリギリ。


 陽向紫ひなたゆかりは慌てて家を出ると、小走りで大学へと向かった。


 季節は初夏の色濃く、街路樹が光を受けて鮮やかに輝く。


 焦って走ってしまえば、折角セットした髪も化粧も全てがパアだ。


 汗をかきすぎない程度に、けれど時間に間に合うように歩いていく。


 そういえば先輩たちは今日は学校に来ているんだろうか。講義のある日でも、二日酔いやら執筆やらで平然とサボタージュする面々である。


 来てくれていればいいのだが。


 貸しもなるべく早い内に具体的な予定にしてしまわないと、向こうが忘れてしまう可能性もあった。連絡をしてもいいのだが、男から誘われることはプロでも、自分で誘うことは慣れていない陽向である。


 偶然を装って会い、約束を取り付けるのがベストだ。


 どうせリーシャが近くにいるだろうから、見付けること自体は簡単だろう。ただ、そこから二人きりになるのは結構難しい。


 どうしようかと思いなら学校近くの道を歩いていると、ふと人影が目に入った。


 見るからに品の良さそうなお婆さんが、メモを片手に右往左往している。明らかにどこかを探している様子だ。


「…」


 陽向は手首の内側につけた腕時計を見て、まだ少しだけ余裕があることを確認すると、お婆さんに向けて声をかけた。


「あの、何かお探しですか?」


 するとお婆さんは皺の深く刻まれた顔を陽向の方に向けた。


「ああ、ごめんなさいね。お邪魔だったかしら」

「いえ、何か迷っている様子だったので」

「あらあら、そうだったの」


 ゆったりとした声を聴きながら、陽向はお婆さんの手元にあるメモを覗き見た。


 何か地図でも描いてあるのかと思ったが、見えたのは文字のみ。それも陽向には見慣れたものだった。


「あの、うちの大学に何か御用ですか?」

「そうなのよ。あなたここの学生さんだったの。うちの孫がね、ここに通っているっていうから会いにきたんだけれど、どうにも道が分からなくて」

「そうだったんですね。大学はここの道を進んだら、コンビニがあるのでそこを左に曲がって少し行けば正門への道にぶつかりますよ」

「そう、ありがとう」


 陽向が指差し教えると、お婆さんは深々と頭を下げた。


 丁寧な人だなーと思いながら別れようとすると、お婆さんの顔がふっと上がった。


「そうだった」


 その顔を見たとき、陽向の思考は一時的に停止した。


 お婆さんの顔は笑顔だった。ただの笑っているだけのはずなのに、背筋に寒気が走り抜ける。


 上品な老人の皮の下で、何かもっと醜悪なものが歯をむき出しにしているイメージが脳裏を過った。


「道案内ついでに、もう少しだけ助けてもらえるかじ、ら」

「――!」


 理屈ではなく本能が逃げろと叫んだ。


 触れてはいけないものに触れてしまったのだと、陽向はその時痛いほどに理解した。実感してしまった。


 しかし陽向が踵を返すよりも早く老婆の口が大きく開き――陽向の意識は暗転した。




     ◇  ◇  ◇



 俺たちの通う大学には学食が二か所ある。有名な私立大学なんかは学内に様々な料理店があるらしいが、そんなものはほとんどフィクションの類だ。大して金のない大学にしては、二つあるだけ頑張っている方だろう。


 少し歩けばお店もいろいろあるけど、食い扶持ぶちが二人も増えた我が家の家計は火の車だ。少しでも節約するべく、俺とリーシャはお供の松田と総司を引き連れて学食へと来ていた。


 これが後輩のリア充女子であれば、チープな学食に文句の一つでもたれるだろうが、リーシャは大層嬉しそうに目をキラキラさせている。


「料理を自分で選んで頼めるのが楽しいですね!」

「ああ、そうだな」

「そんなに楽しいかなー、ここの学食。どこにでもあると思うけど」


 松田の言う通り、うちの学食は至って普通だ。カウンターで学食のおばちゃんに料理を頼み、受け取るだけ。追加で小鉢やデザートなんかも取ることができる。


 ただこれまで神殿から出たことのないリーシャからすれば、そんなものでも新鮮なんだろう。なにせ神殿で出される料理はこちらで言う精進料理みたいなものばかりだ。聖女が要望すれば料理の変更くらいできそうなもんだが、そんなことをリーシャが言うとも思えない。


 こんな学食でここまで喜んでくれるなんて、財布にも優しい流石聖女。デザートが食べたいけど、取ってもいいのか分からなくて俺に目配せするあたりが最高にプリチー。これが月子なら「自分で払うから」と取ってくし、陽向なら「ごちでーす」と二つは取っていく。


「デザートくらいいくつ取ってってもいいよ」

「いいんですか⁉」

「食べきれる量ならな」

「分かりました!」


 楽しそうにデザートを選び始めるリーシャ。たった百円程度のデザートで喜ばれると、それはそれで複雑。バイトでも始めてもうすこし美味しいもの食べさせてあげたいわあ。


 そして後ろからはお供二人の声が聞こえてきた。


「デザートが食べたいなら僕がいくらだって買ってあげるのに…むしろ財布にして欲しい」

「そろそろ本気で捕まるぞお前」

「本望です」


 間髪入れずに答えた松田に、さしもの総司も呆れて言葉が出なかったらしい。


 総司は俺に声をかけてきた。


「なあ勇輔、あれ陽向じゃねーか」

「ん? ああ、本当だな。何やってんだろう、あんなところで突っ立っって」

「誰かを待ってる…のか?」

「むしろ誰か探してるみたいだけど。あ、こっち気付いた」


 学食の入り口あたりに立っていた陽向が俺たちに気付いたようで、チョイチョイと手招きをした。


 なんだあいつ、用があるなら向こうからこっち来りゃいいのに。


「あれ、誰呼んでるんだと思う? 松田かな」

「間違いなくお前だろ。なんか陽向と約束とかしてたのか?」

「いや、約束してる覚えはないけどな。借りは利子ついて大変な量になってる気がする」


 そう言うと、総司は「ああ」と納得したように呟き、言った。


「なら早く行ってこい。利子が増やされるぞ」

「そんな理不尽な話あるか」

「行ってきなよー、リーシャちゃんは僕たちが見てるからさ」

「なんならそれが一番不安なんだよ」

「うだうだ言ってないで早く行け。俺もいるんだから」


 総司に背中を押され、仕方なく俺は陽向の元へと向かった。これで俺じゃなくて総司とか同級生を待ってたとかだったら恥ずか死ぬ。


 ただ総司の考えは間違ってなかったらしく、俺が近付くと陽向はいつものようにニヤニヤ笑い始めた。


「なんだよ陽向、用があるなら連絡すればいいだろ」

「別にいいじゃないですか、直接会って話したかったんですよー。こんなかわいい後輩が話に来たんだからもっと嬉しそうにしてください」

「はいはい嬉しい嬉しい」

「む、そういう雑なのはよくないです。好感度が一減りました」

「一昔前のギャルゲーかよ…」

「それはそうと先輩、ちょっと向こうでお話しません?」


 煙草を吸う仕草をしながら、陽向は指で学食とは反対の方向を指さした。


 君も俺も煙草吸わないじゃん。というか、


「話ならここでいいだろ」

「ちょっと二人で話したいんですよ、相変わらず察しが悪いですね」

「余計なお世話だ」


 結局陽向は俺の要望を聞くつもりはないらしく、たったか歩き始めてしまった。


 仕方ないか。一体何の話だ?


 陽向の後を追って歩き始めると、すれ違う生徒たちから気になる言葉が聞こえた。


「陽向、今救急車がどうとか話してなかったか? なんかあったのかな」

「学校の前で倒れた人が出たみたいですよ。それで救急車が来てるみたいです」

「そうだったのか」


 大学の周りを見張ってくれている対魔官の人たちから連絡はないけど、魔族絡みか? いや、だとしたら何の理由もなく騒ぎになるようなことしないはずだ。もし倒れたのが文芸部絡みだったら陽向もここまで冷静じゃないはずだ。


 考え事をしている間にも陽向はスタスタと歩いていき、人通りの少ない校舎の裏まで回ってきた。


 なんだってこんなところまで。


 足を止めて陽向が振り向く。


「ここらへんでいいですかね、先輩、少し聞きたいことがあるんです」

「なんだよ、借りの話なら暫くは無理だぞ。もう少し状況が落ち着いてから――」

「違いますよ。聞きたいのはそのことじゃありません」


 えー、その話じゃないんかい。


「私が聞きたいのは、リーシャのことです」

「リーシャの?」

「はい、先輩とリーシャの本当の関係を知りたいんです」


 …突然何の話だ?

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