第332話 モンスターパニック

     ◇   ◇   ◇




 女が何かをした。


 魔術領域そのものが不自然な動きをはじめ、広い範囲で何か異常が起き始めている。


 俺は倒れたままの女を見下ろした。


「『何をした!』」


「‥‥ギリシャ由来の怪物たちを放った。領域内の命あるもの全てを殺しつくすまで、彼らは止まらない」


「『この領域には一般人も多くいるんだぞ』」


「死ぬことはない。目覚めた時には、新たな世界が幕を開けている」


 死ぬことはない? この領域の死は現実の死とは違うのか?


 いろいろと聞きたいことはあるが、ここでこれ以上の問答をしている時間はない。


「『今すぐ止めろ』」


「無理。魔術そのものが終わりに向かって動き始めている。もう私でも止められない。それに、ここで私を殺しても無駄って、分かっているでしょう」


「『‥‥』」


 それはたしかに初めから分かっていた。この女はエキドナと同じように、作られた存在だ。おそらく本人は別のところでこの身体を遠隔操作しているんだろう。


「がんばって。結果は何も変わらないと思うけど」


 そう言い残すと、女は光の粒子となって崩れていった。今から本体を探し出している余裕はない。


 ちっ、やってくれる。


「『土御門』」

「申し訳ないけれど、助けに行くのは無理みたいだ。自分の身ぐらいは自分で守るけど、それが限界かな」


 まあそうだよな。


 気配からして土御門も神性持ちと戦っていたんだろう。それを相手に勝てる時点で相当な実力だが、流石にこれ以上の無理はさせられない。というかよく勝てたな、あれ。アステリスの魔術師でも、勝てるのはサインクラスだろう。


 俺は通信用の魔道具を起動した。


「『カナミ、聞こえるか』」


『はい。現在わたくしの見える範囲で五体の魔物を観測しておりますわ。どれも国家災害級の魔物ですわね』


「『流石だ。特徴は分かるか?』」


『ええ。三つの頭を持つ青い狼‥‥犬でしょうか。それに双頭の黒い犬。多頭の蛇、獅子の頭に蛇の尾を持つ獣。最後は巨大な女ですわね。下半身に何頭もの犬が付いてますわ』


「『ありがとう』」


 俺が戦ったのがエキドナだから、察するにケルベロス、オルトロス、ヒュドラ、キマイラだな。あとは女に下半身が犬というと‥‥確かスキュラだったか。


 どいつもこいつもぶっ飛んだクラスの怪物だ。


 少なくとも、そんな簡単に倒せる相手じゃない。


「『カナミ、どれか対応できるか?』」


『私の位置からですと、双頭の犬であれば狙撃が可能ですわ。こちらに引き寄せれば、家から離れずに戦うことが可能かと』


「『ならそれは頼む。それ以外は俺とコウで何とかする』」


 月子は今実家の対応に当たっている。彼女の方には助っ人を送ってもらったから、そこはなんとかなるはずだ。


 あとは他のモンスターたちを、俺とコウで倒すしかない。


 俺は倒れたままの土御門を起こした。


「『土御門、分かっている情報を全て話せ。時間がない』」

「あ、ああ、もちろんだよ。すまない、結局君たちの力を借りることになる」

「『元々は俺たちのごたごただ。気にするな』」


 土御門は息も絶え絶えな状態で分かっていることを話してくれた。


 この領域を展開しているさっきの女は、新世界トライオーダー榊綴さかきつづりという導書グリモワールだということ。


 この領域は『創作の中』という前提で、本来出現するはずのない存在を顕現けんげんさせているということ。


 この領域の中では死なないが、HPバーがゼロになれば、現実でも仮死状態になるということ。また、それを利用して対魔特戦部の一時的な機能停止を目論もくろんでいるということ。


「『本当に死にはしないのか』」


「相手の言い分だよ。嘘を吐いているようには見えなかったけれど、どこまで本当かは分からないな。それに、仮死状態になるほどのショックだ。身体の弱い老人や子供へ影響は未知数だし、殺されたという精神的なダメージは言うまでもないだろう」


「『そうだな‥‥』」


 榊の話を鵜呑うのみにして、本当は死んでいましたでは話にならない。


 とにかく被害を軽減させる。


「『死ぬなよ、土御門』」

「君も、幸運を。皆を、頼む」


 今にも意識を失いそうだというのに、土御門の声には、芯が通っていた。これが最強の対魔官。最強の守護者か。


 神をも討つその信念に、敬意を表すよ。


「『ああ、任せろ』」


 俺は再度通信機でカナミに声を掛けた。


「『カナミ、俺に近くて、大きな被害を出しそうな奴はどいつだ』」


 返答はすぐに来た。


『そのまま南東にお進みください。多頭の蛇がいるはずですわ』

「『ヒュドラか、分かった。カナミも油断するなよ』」


 俺は指示された方に向かって走り出す。


 不快なノイズが走り、青と白に彩られていたはずの空が暗く色を変えた。煙とも暗雲ともつかない何かが上空を分厚く覆う。それは今にも落ちてきそうなほどに重く、巨大だった。


 頭上のHPバーも何度か点滅した。


 領域そのものが不安定になりつつある。


 おそらくこの状況は榊からしても、イレギュラーな形なんだろう。


 そう時間をかけずに、この魔術領域は崩壊する。そこまでが勝負だ。


 数分も走ると、ビルに巻き付く何かが見えた。


 巨大な黒と緑が入り混じる鱗に、周囲を睥睨へいげいするいくつもの頭。


 あれがヒュドラか。


 よく見れば、ヒュドラの周囲は濃い霧のようなものに覆われていた。


 ヒュドラといえば英雄ヘラクレスに殺された怪物として有名だが、半神半人のヘラクレスをも苦しめた特徴が二つある。


 毒と、不死だ。


 ヒュドラの吐く息は、吸っただけで死ぬほどの猛毒だという。さらに九つの頭は斬り落とせばさらに多くなって生え変わる。


 なんだったかな。たしかヘラクレスは中央の頭を斬った後に岩で下敷きにしたんだか、切り口を火で焼いたんだか。


 駄目だ。


 一々倒し方を悩んでいる暇はない。


 俺は魔術を発動した。


 紅い魔力が全身を熱く駆け抜け、進べき道を指し示した。


灯火リンク――騎士道ナイトプライド』。


 前進したという事実を力に変える誇り高き騎士の術式。俺は一歩ずつ力が積み重なっていくのを実感しながら、ヒュドラに向かって飛び込んだ。


 猛毒のとばりへと入った瞬間、死の気配を色濃く感じた。


 しかしこの程度で俺は止まらない。


「――シィィィィアアアアァアアアアア‼」


 ヒュドラの頭がこちらに気付き、十八の瞳が毒の中で凶星きょうせいのように輝いた。


 不死か。


 面倒だ。全部落として、再生できなくなるまで斬り刻む。


 電車よりも巨大な頭が、俺を噛み殺さんと殺到する。牙を濡らすのは、万人を殺して余りある毒。


 右手にバスタードソードを、左手に大剣を握る。瞳の奥で火花が散った。


 進むべき道は、見えている。


「『勇騎邁進ナイトグローリー‼』」


 魔力が身体の中で飽和し、自分自身が紅き矢となって加速した。


 交錯こうさくは一瞬だった。


 俺が止まった時、ヒュドラの首は全て落ち、胴体は三枚におろされた。


 これで一体目。


 次だ。

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