第333話 必死の境地
大地を揺らす唸り声と共に、三つの
道や建物があってもお構いなしに
ヒュドラを倒した俺が次に向かったのは、おそらく最も有名であろう怪物、ケルベロスのところだった。
『
噛みつきを避けて、差し出された首に剣を走らせる。首を落とすつもりで振るった刃は、青い炎のように揺らめく毛皮を切り裂き、肉を断つところで終わった。
骨までは達していない。
ヒュドラよりも首が硬い。
ゴッ‼ と振り回された前脚が頭を狙ってくる。それを避けながら後ろに下がる。
『
これ以上使い続ければ、俺自身が動けなくなる。
ケルベロスは開いた口から、青い炎を吐き出して周囲を満たそうとした。
なんなんだ、ケルベロスがこんな技使うなんて聞いたことないぞ。これも創作だからって話か。たしかにボスが使ってきそうな技だ。
俺は周囲に延焼しないように、剣圧で炎を吹き飛ばして対応する。
エキドナ、ヒュドラ、ここに来るまでにひたすらモンスターと戦い続けた。連戦に次ぐ連戦で、剣を振る腕が重い。
だがここで止まるわけにはいかない。
この都心で展開された魔術領域。そこに捕らわれた人の数は想像に難くない。
ケルベロス一体を逃しただけで、どれほどの人が犠牲になるか。
魔術とも戦いとも縁遠く、当たり前の日常を謳歌していた人々が、不条理な死を体験させられる。そんなことが許されるはずがない。
当たり前の日常が突然奪われた時の怒りと不安は、言葉では言い表せない。
ふざけるな。どれだけ
「グルァッ‼」
ケルベロスが怒りの
再び炎を放つつもりか。
調子に乗るなよ、犬っころが。
俺は剣を引き、ケルベロスよりも速く、鋭く魔力を圧縮する。
そして踏み込みと同時に
『
翡翠の刺突は、圧縮された炎ごとケルベロスの喉を貫いた。爆炎が口の中で膨れ上がり、ケルベロスは後ろにひっくり返る。
俺は跳び上がり、ケルベロスの上を取った。
跳んだ勢いのままに全身を
『
斬撃は美しくも
「『はぁ‥‥はあ‥‥』」
俺は着地し、荒い息を
これで二体目。オルトロスはカナミが対応してくれているはずだし、コウも戦っているはずだ。
つまり後残っているとすれば、キマイラかスキュラか――。
そこまで考えたところで、背後から感じる殺気に身体が反応した。
「『っ⁉』」
それが何かを確認する暇もなく、前へ跳ぶ。
今度はなんだ⁉
受け身を取りながら後ろを振り向くと、そこにいた存在に俺は言葉を失った。
「『な‥‥どういうことだ‥‥』」
そこにいたのは三つの頭と蛇の尾を持つ巨大な犬――ケルベロスだった。
馬鹿な。
さっきの個体は確かに仕留めたはずだ。HPバーの消失も確認したし、死体は光となって消えていった。
そもそもこいつは後ろから俺に殴りかかってきた。
そこから導き出される答えは一つ。
「『まさか、別個体か?』」
その問いに対し、ケルベロスは肯定とも否定ともつかない唸り声を上げるだけだった。
嫌な予感がする。本当に、背筋が
脳裏に
『ユースケ様! ユースケ様聞こえますでしょうか!』
それは通信機から聞こえるカナミの声だった。いつも冷静沈着な彼女にしては珍しい、慌てた声。
嫌な予感が感触を伴って、首をゆっくりと絞め始める。
「『ああ、聞こえているよ』」
『今
それはちょうど俺と同じ状況だった。
『それだけではありませんの。各地で同様の個体たちが、更に数を増して出現していますわ!』
「『‥‥』」
予想しうる、最悪の展開。
くそったれ、無限湧きかよ‥‥。
最初に出現したモンスターたちで終わりではない。倒しても倒しても増え続ける。
ゴブリンやオークのような雑魚であれば問題ないが、このレベルの怪物たちが延々と出現するとなれば、どうあっても手が足りない。
しかしそんなことがあり得るのか?
エキドナに土御門が戦った神。既に
どれだけ準備をしようと、リソースは無限ではない。
俺の『我が真銘』は特例中の特例だ。
こんな無茶な方法を取れば、術師もどうなるか分からない。
俺が考えをまとめようとしていると、業を煮やしたようにケルベロスが地を蹴って跳びかかってきた。
とにかく何か策を打たない限り、すり潰される。
俺は紅の魔力を身に
「『失せていろ』」
幾重にも重なる斬撃が、空中にいたケルベロスを
数秒にも満たない発動だが、炎が駆け巡る感覚に肉体が悲鳴を上げる。
これしきのことで、弱音を吐いてはいられない。
とにかくこの無茶苦茶なモンスターの出現には、何か理由があるはずだ。それを突き止めれば、止められるかもしれない。
そう考えた時だった。
俺は自分の考えの甘さを知った。
予想していた最悪の展開を、更に上回る最悪。
あるいは、俺の想定を遥かに超える
それは空の向こうから形を持って現れた。
「『――馬鹿な』」
魔術領域が断末魔のような悲鳴を上げながら、崩壊していく。完全に壊れるその寸前で、最低限の機能だけが繋ぎとめられている。
どうしてこんな無茶な方法が取れるのか。
答えはひどく単純だった。
初めから、術師はどうなってもいいと思っているから。
自分の命を術式の核に入れ込み、魂が燃え尽きるその瞬間まで魔術を発動し続ける。
言わば、意図的な魔術の暴走。
沁霊は既に術師の命を飲み込み、この領域内の全てを殺し尽くすという目的のためだけに動き始めている。
感情の
その覚悟は、空を見上げれば明らかだった。
見たくないと叫ぶ本能をねじ伏せ、顔を上げる。
「syoaueawboawasuxaiaweawoieadbae」
黒く分厚い雲から、人の頭が降りてきた。
それは果たして人の頭と言ってよいものか。
何しろ、巨大だ。
月が落ちてきたのではないかと見紛う程に、巨大。
陶器にも似た白い頭に、赤い目と黒い口が人であることを示すようについている。
それは何なのかも分からない言語を口ずさみながら、ゆっくりと雲から姿を現していった。
屈強な上半身、遥か
雲の向こう側に透けて見えるのは、もはや全長を考えるのが馬鹿らしくなるほどの蛇の胴体。もはやそれは龍と呼んで差し支えないだろう。
その怪物は、この領域の終わりそのものだった。
ゲームマスターが用意した、正真正銘の、逃れられぬゲームオーバーの象徴。
ギリシャ神話において、エキドナの伴侶であり、多くの怪物の父でもあるそれは、主神ゼウスをも打ち破ったとされる最強の怪物。
――テュポーンだ。
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