第131話 吐き出される憎しみ
◇ ◇ ◇
戦いの終わりは静寂によって知らされた。
先ほどまで響いていた轟音が嘘のように消え去り、夜の静けさが舞い戻ってくる。
勇輔はどうなったのか。囚われの身ではそれすら確認できない。
リーシャを見張るように立っていたロゼが微かに眉をひそめている。彼女には何が起こっているか分かっているのだろうか。
取り押さえられると分かっていても、この部屋を出て外に行きたい。
リーシャが立ち上がらずに済んだのは、別の動きがあったからだ。
「お帰りなさいませ」
ロゼが頭を下げる。
扉を開けて現れたのは、勇輔ではなくラルカンだった。怪我を負っている様子はなく、ついさっきまで戦っていたとは思えない平静さ。
その姿を見た瞬間、リーシャの顔から一気に血の気が引き、意識が遠くなった。倒れそうになる身体をなんとか手で支え、唇を噛んで意識を保つ。
まさか、そんなはずがない。
勇輔が負けるなんてありえない。これまでどんな戦いも、どれだけ不利に見える状況でも、最後には全て勝利してきた。
だが現実は残酷にリーシャに突きつけられる。
「申し訳ございません。止めることができませんでした」
「謝る必要はない。俺自身、止められるものを止めなかった」
ラルカンは頭を下げるロゼにそう言い、手近な椅子に腰かけた。
その前にお茶を置きながらロゼが問う。
「意図的に見逃がしたということでしょうか?」
「意図的にというわけではないが、ここで逃せばどうなるのかという思いが一瞬過った。それが技を鈍らせた。やはり俺は兵士ではなくなったらしい」
「長い間待ち望んだ時です。迷いが生まれるのも仕方ないことでしょう」
ラルカンはお茶を飲み、心を落ち着かせるように暫くランタンの光を見上げていた。
(今見逃したと言いましたか?)
二人の会話を聞きながらリーシャは伏せていた顔を上げた。
暗雲の中に差した一筋の希望。それに縋るようにリーシャは口を開いた。
「ユースケさんは、ユースケさんは生きているのですか?」
「‥‥」
不思議な光を宿したラルカンの目がリーシャを見た。
「ああ。白銀は守護者に救われてここを脱した。相当な深手を負わせたが、あの程度で死にはすまい」
「そ、そうですか‥‥」
今度は安堵で全身の力が抜けた。
しかしすぐに現実が襲い掛かってくる。無傷のラルカンを見れば勇輔が負けたのは事実なのだろう。
そこでリーシャは思い至る。
今ラルカンは白銀と言った。本当にそれは勇輔なのか?
そんな考えが頭を過った瞬間、目の前にラルカンがいた。
古い戦場の香りがあたりを包むが、教会育ちのリーシャにはそれが何の匂いなのか分からなった。
「今更否定する要素はあるまい。あれは勇者だ。この俺が確認したのだから、間違いない」
「そんなこと」
「言ったはずだ。来れば全てが分かると」
ラルカンは声を荒立てることはせず、重く淡々と言葉を紡いだ。
「お前の抱える物にも思いにも興味はないが、真実から目を背けることだけは許さん。白銀が戦う理由はお前だ。他の誰がなんと言おうと、お前には奴と向き合う義務がある」
「義務‥‥」
その言葉にリーシャの頭が揺れた。
思い出すのは、これまで彼がリーシャに見せてきた表情と、掛けてくれた言葉。差し伸べられた手は誰よりも温かくて、彼が作ってくれた場所はあまりに心地よかった。
山本勇輔は勇者なのか。
おとぎ話に出てくる正義の存在。人類にとっての英雄。聖女たるリーシャにとって崇拝すべき人。
そうだ。教会で暮らしていた時、永遠にも思える祈りと魔術の繰り返しの中で何度も想像したはずだ。白銀の勇者は、どんな人なのかと。
壮年の経験溢れる猛者だろうか。それとも若き俊才か。
あるいは美麗なる女性かもしれない。
もしも出会うことができたなら、その素顔を見てみたいと、声を聞いてみたいとずっと考えていた。
これまで思い浮かべてきた幾つもの偶像と、リーシャを守ると言ってくれた勇輔の顔が重なる。
それはあまりに自然に胸の内に落ちた。誰かの幸せを願い、自分の命を削ってでもそれを支えようとする姿は、リーシャがずっと思い描いていた勇者の姿そのものだったはずだ。
そうであれば、リーシャが考えるべきは。
――私が思うべきは。
「‥‥」
言葉を失ったリーシャを一瞥し、ラルカンは「休む」とロゼに言い残すと部屋を出ていった。
後に残されたのは、ロゼとリーシャだけだ。
ロゼはラルカンの飲んだ茶器を片付け、リーシャのお茶を新しい物と取りかえる。彼女が動く音だけが揺らめく光の中で響いた。
それからどれ程の間そうしていただろうか。
静寂を打ち破ったのは、ロゼの黒髪に現れた喧しい影武者だった。
『何をそんなに考え込んでやがる。自分の護衛が勇者だったんだ、もっと喜べよ』
呼びかけにリーシャは深い思考から引き戻され、視線をロゼに向けた。
「喜ぶ、ですか?」
『そりゃそうだろ。人類にとっちゃ最高の英雄だ。何せあの魔王様さえも殺したんだからな』
勇者を称賛するような言葉だが、そこに含まれるものはまるで違う。吐き捨てた悪意の棘が突き刺さる。
「貴方はユースケさんが嫌いなんですね」
『嫌い?』
フィフィはぱっくりと割れた髪の口を歪ませた。
『嫌いなんかじゃないさ』
黒い影は清純な少女を嘲り、その白い心を汚さんと言葉を続ける。
『憎いんだよ』
端的な言葉が部屋に広がった。
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