第408話 棍対拳 三

    ◇   ◇   ◇




 コウガルゥたちが戦った空間は他の場所と違い、広さを削った代わりに頑強に作られている。そんな木造の部屋は、ひび割れ、砕け、崩れていった。


 その下から現れたのは、真っ黒な壁だった。


 先に進む扉だけを残し、床も壁も黒く染まったそこで、勝者と敗者が決した。


「凄まじい。天駆あまかける彗星の如き一撃よ」


 シキンが驚嘆の呟きを漏らす。


 『百錬轟大砲ひゃくれんごうたいほう』を打った右腕は、完全に消失し、再生するきざしもない。


 しかし立っている。両足で黒を踏みしめ、立っているのだ。


 彼が見つめる先には、コウガルゥが大の字で倒れていた。


 全身から血を流しピクリとも動かない。半ばから粉々に砕けた棍が離れたところに落ちている。


 百年という時の修練を消費した『百錬轟大砲ひゃくれんごうたいほうは、普通の魔術師からすれば、命を懸けた攻撃に等しい。


 コウガルゥが打ち負けたのも当然と言えた。


 ――身体、痛ぇな。


 動こうとしない手足に力を込めながら、コウガルゥは細い意識を保っていた。


 生きていたのは、棍がシキンの攻撃の大部分を受けてくれたからだ。


 あれを正面から受けていれば、今頃自分の身体は雲散霧消うんさんむしょうしていただろう。


 こうして真正面から力でねじ伏せられ、絶体絶命という言葉を脳裏に刻まれるのは、いつぶりだろうか。


 いつの間にか、それを懐かしいと思う時が来てしまった。


 幼い頃はそれが当たり前で、大森林の国で王となった時でさえ、命の危機は珍しいことではなかった。


 彼の一族はアステリスにおいて多くの場合、人族とも魔族とも呼ばれない。神を否定する蛮族ばんぞくだ。


 古く、人族と魔族がたもとを分かった頃、コウガルゥの祖先は人族の国で大罪を犯し、国外追放に合ったと言われている。


 王家の口伝くでんいわく、女神は神ではないと、そう主張したそうだ。


 正直な話、そんなことに興味はなかった。


 森林の外に出なければ、迫害もない。人族だ魔族だとしょうもない戦いに巻き込まれることもない。


 興味があるのはただ一つ、大森林の最奥に何があるのか。


 自分たちはどんな世界で生き、戦っているのか。


 それだけだった。


『力を貸してほしい、森の民よ』


 そんな世界に、外から突如として切り込む者がいた。


 外界の者ではまともに歩くこともできない森を、剣一本で進み、国に辿り着いたのだ。


 彼は自分を勇者であると名乗った。


 それが、コウガルゥと山本勇輔の出会いだった。


 男同士の友情を今際いまわきわに回想するなんて心底から御免被ごめんこうむる。


「――ほう、まだそんな力が残っていたか」


 コウガルゥは立ち上がっていた。


 いつどうやって立ち上がったのか、どこにそんな力があったのか、自分でも分からない。


 それでもそうしなければならないと、魂が鼓動を打っていた。


 神魔大戦に参加するなんて、馬鹿げた話だ。はるか古代に、そういったしがらみから抜け出し、自分たちの一族は森で暮らすことを選んだのだ。


 そう言ったコウガルゥに対し、勇輔はこう返した。


『コウガルゥ、俺は自分の祖先が何だったのか、何をしていたのかも知らない。知ろうと思ったこともない。お前の人生はお前が決めるものだろう。外の世界を見て、この森に帰ってくる、そういう選択肢があってもいいんじゃないか』


 詭弁きべんだ。


『俺が言うんだから間違いない。世界は広く、驚きに満ちている』


 そう分かっていながら、その言葉に心躍った。


 だから最後は殴り合いで決めた。勇輔の言葉が本当ならば、彼の拳は自分にはない重みを持っているはずだから。


「――――」


 自分の中で眠っていた魔力が、胎動たいどうした。


 普段は黒い魔力の内側で静かに横たわっているそれは、今この時になって起きる。


 コウガルゥは自分の中にありながら、その力を使うことを忌避きひする。自分でさえも分からない次元にあるものだから。


 いつだったのかも覚えていない幼少の頃。


 訓練で大森林を探索していたコウガルゥは、大人たちとはぐれ、魔物はびこる樹海を一週間歩き続けた。


 そうしてある時、彼はそこに辿り着いた。


 夜だったと思う。明かりがなかったから、そう感じているだけで、あるいは昼だったのかもしれない。


 とにかくコウガルゥの目前には巨大な湖が広がっていた。


 あい色の、深く、どこまでも透き通っている湖面の奥で、いくつもの星が瞬いていた。


 その無数の光点が何だったのか、見定めることはできなかった。




 ――――ぬらりと。




 湖の奥で、白い影が揺らめいた。


 幻想ではない。


 湖面が静かに波打ち、星々がかげる。


 白い影はどこまでも続き、どこまでが身体でどこからが尾なのかさえ判然としない。


 途方もない大きさの存在を見た時、コウガルゥは『神』という言葉の意味を初めて理解した。


 森の深奥に住まうとされる『極龍きょくりゅう』とは、の者のことなのか。


 気付けば、彼は大人たちに囲まれて森の中に倒れていた。


 誰もあの湖のことは知らなかった。


 幾度となく探し、結局今の今まで見付けることはできていない。


 あの時から、コウガルゥは己の奥底に、似た影がとぐろを巻いているのを感じていた。


 ここにいるのが、自分だけで良かった。


 心底そう思う。


「――沁霊、顕現」


 こいつは、敵味方など関係なく、蹂躙じゅうりんしてしまう。




「『暴駆アクセル』」




 コウガルゥの髪が蒼銀そうぎんに染まった。


 永遠を象徴するような蒼の中で、銀の光がきらきらと舞っている。


 どこまでも美しく、暴れ、狂っている。


 暴威ぼういの化身だ。


「――それが、真の力かコウガルゥ」


 驚きに満ちたシキンの声に、コウガルゥは答えなかった。


 答えられなかった。


 意識が朦朧もうろうとして、自分が自分ではなくなっていく。


 ただどんな暗闇の中でもすべきことは明確だった。



 ――――前へ。



 ――前へ。



 前へ。



 足が黒い床を踏みしめ、倒れるようにして一歩目を踏み出す。


 それが魔術の始まりであると、シキンは直感した。


 大仰おおぎょうな仕草も、魔力の圧縮もない。


 死にかけの男の、最後の一歩だ。


 それを見た瞬間、土地神さえ相手に戦ってきたシキンは、感じたことのない圧に震えた。


 ふるえ、ふるわせ、叫んだ。


 全身全霊を掛ける時が来たのだと。




「『九百錬轟大砲きゅうひゃくれんごうたいほう』‼」




 身命を賭して残った左の拳をるう。


 彼はもはやおのが生に未練はない。死の苦しみに囚われた妻も、子も、主が救うだろう。


 自分にすべきことは、この男をここで打ち倒すことだ。


 シキンという男が積み重ねてきた修練がたった一つの拳となり、一歩目を浮かせたコウガルゥへと迫った。


 九百年が鼻先へと至る瞬間、コウガルゥの足もまた、地面に触れた。






 ――刹那せつな、勝敗は決した。






 まさしく、刹那である。


 コウガルゥもシキンも互いにその瞬間を認識しなかった。


 コウガルゥの『暴駆アクセル』は森羅万象しんらばんしょうを加速させる。蒼銀そうぎん沁霊しんれいは、コウガルゥの時間を加速させた。


 寿命という概念がいねんを無視し、永遠にも思える時間をこの刹那に圧縮した。


 これがもたらす現象は、ただ速く動けるというものではない。


 周囲の時間と加速した時間。そのずれは、とてつもない摩擦まさつを発生させる。


 そこから生まれるエネルギーは、不可思議ふかしぎと言うほかない。

 

 コウガルゥとシキンは示し合わせたように真っ直ぐ拳を振るい、コウガルゥだけが、振りぬいた。


「――――」


 勝者として扉の前に立ったコウガルゥが振り返った時、黒い空間には銀のきらめき以外、何も残ってはいなかった。


 夢幻むげん超越者ちょうえつしゃは、はかなく散ったのだ。


「――その称賛、有り難く頂戴しよう」


 舞い落ちる幻想を後に、コウガルゥ・エフィトーナは扉を押し開いた。

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