第44話 守護者

「酷い目にあった‥‥」

「いや、ほとんど自業自得だったと思うが」

「僕が潰れてる間に一体なにがあったの? ねえ、なにがあったの?」


 あれから暫くし、俺たちは笑楽を出るところだった。


 大分騒がしくしたり潰れていたりとやりたい放題だったが、何も言われないあたり流石である。大学生御用達の名は伊達ではない。


 未だヒリヒリする首をさすりながら、俺たちは会計をしている会長を待つ。


 にしても月子の奴、俺に魔術師だってばれてるからって、いきなり魔術ぶっ放すこともないだろう。危うく再び気を失うとこだった。


 お陰で酔いも大分吹き飛んだけど。


 リーシャたちはお手洗いだそうで、店の前に居るのも邪魔だろうと俺たちは店の横に移動する。


 なんというか、濃い飲み会だったな。月子がああして感情を見せるようになってくれたことは良い傾向なのかどうなのか。にしても理不尽過ぎない?


 そんなことを考えながら、ふと顔を上げると、空に浮かぶ月がやけに大きく感じた。


「‥‥今日は、月が綺麗だな」

「なんだ、愛の告白か?」

「え、今度は文学的切り返し大喜利?」

「なんでそうなる‥‥、いや、確かにそっちのイメージが強いけどさ」


 今のは思ったことをそのまま言っただけだ。


 ちなみに『月が綺麗ですね』というのは夏目漱石がI love youを訳した時に生まれた遠回しな告白である。結構有名だよな。


 かくいう俺もアステリスに居た頃、とてもロマンチックな場面で勇気を振り絞ってエリスに言ったことがあるんだが、凄い不機嫌になってしまった。後になって知ったのだが、あちらでは「月すら嫉妬で雲に隠れる」とか「夜の明かりはあなただけいればいい」など、本人を直接褒める必要があったんだそうな。

 文化の違いは大事だよ、本当に。それを理解しないで人と交流しようとすると、たいていろくなことにならない。


 同じ宇宙にあったのかどうかも分からない異世界なのに、アステリスには太陽も月も存在した。あそこに生きた頃は月を見て地球のことを思い出したもんだが、まさか逆のことをする時がこようとは。


 どこでいつ見ようと、変わらず月は怪しく、美しかった。


 とまあ、最初は感傷に浸っていたのだが、



 ――ウォエ、オェエエエエ。



 その美しさを汚すような声が路地裏から聞こえてきた。


「‥‥吐いてるな」

「そうみたいだな」

「だね」


 この辺は笑楽以外にも居酒屋が多いから、路地で誰かが吐いてるなんて日常茶飯事だ。


 それ自体は別になんでもないのだが。


 ある音が俺の意識を惹きつけた。


「ほら、さっさと吐いてしまいなさい。まったく、薬に出来ないのなら酒など飲むべきではないというのに」


 吐瀉音に混じって聞こえてくる、金鎖を揺らすような美しい声。リーシャのように聞いていて落ち着く声とは違う、豪奢で優美な音色だ。


 一体誰だ、とてもこんな場末の路地で聞こえてくるようなものじゃないぞ。


 気になれば、見たいと思うのが人情というもの。


 俺はそっと暗い路地を覗き込んだ。


 案の定というべきか。そこにはうずくまって背を向ける男が一人。多分中年のサラリーマンだろう。仕事帰りに飲み始めたら飲み過ぎたってところか。


 彼は口を拭うと、なんとか立ち上がった。


 そして、そんな男性の隣には肩を支えてあげている人が一人居た。


「さあ、立てるなら帰りなさいな。もう二度とこんな無様を晒すものではありませんわよ」


 その人はそう言って男を路地から送り出す。俺が顔を引っ込めると、その隣をヨタヨタした動きで通り過ぎていった。


 将来は俺もあんな風に仕事に疲れ、酒に浸らなければいけない時がくるんだろうな。恐ろしい未来だが、とりあえずその時のことはその時考えるとしよう。


「はあ‥‥どの世界でも、平和な時代でさえああいった逃げ方はなくならないものなのですわね」 


 声が、想像以上に近くから聞こえた。


 月と街灯の明かりが混じり合う中で、すみれ色の髪が踊る。その隙間から覗く白い肌は磨かれた陶器のように艶やかで、濃紺の瞳は黄昏時の海のように深い色合いだ。


 ――綺麗だ。


 手を伸ばせば触れられそうな距離で彼女を見た時、頭に浮かんだのはその言葉だった。


 着ているのはゴシックドレスというのだろうか、フリルによって飾り立てられた豪奢な服に、巻かれた髪には薄紅色のリボンが見え隠れしている。


 姿も、立ち振る舞いも、全てがこの場にそぐわない。にも関わらず、彼女の華やかな存在感は場を支配し、全ての違和感を取り払う。


 俺の視線に気づいたのか、少女がこちらを向いた。


 瞳と瞳が向かい合い、視線が交錯する。


 少女の目がいぶかし気に細められ、唇が真一文字に結ばれる。かくいう俺も、妙な既視感に少女に囚われ、少女の顔から目を離せなかった。年齢は俺たちと同じ位だろうか。


 どこかで見たことがあるような、けどこれだけ綺麗な人、一度見ればそうそう忘れることはないはずだ。


 お互いがお互いに言葉を発することもなく、微かに首を傾げて見つめ合う。傍から見れば余程おかしな光景だっただろう。


 そんな奇妙な沈黙を破ったのは、結局俺たち二人ではなかった。




「――カナミさん?」




 俺と女性、二人分の視線が俺の背後へと向かった。


 そこには店から出たところらしいリーシャが、目を見開いて立っていた。


 何をそんなに驚いているんだ、というか今なんて言った? 


 カナミさん、って聞こえたけど。


 そう思っていたら、俺の身体を押しのけて菫色の女性が一気にリーシャへと詰め寄り、その胸ぐらを掴んだ。


「なっ!」

「‥‥!」 


 虚をつく暴挙に、俺と店から出てきた月子が慌てて反応する。


 こいつ、臨戦状態じゃないとはいえ、俺の目を平然と掻い潜りやがった。動き辛そうな服を着てるくせに、なんて体捌きだ。


 頭の中で渦巻いていたアルコールが一瞬で吹っ飛ぶ。身体が臨戦態勢に入り、全身を迸る魔力によって意識が覚醒する。


 月子たちの目があることも忘れて、一歩を踏み出すと同時に『我が真銘』を発動しようとしたが、その足を動かす必要はなかった。


「待ってください!」


 胸ぐらを掴まれた状態のリーシャが、制止の声を上げたのだ。


 リーシャの声はそのまま夜に響き渡った。


「この方が、私の守護者・・・・・です!」


 ――なんだと。


 動き出そうとした中途半端な恰好のまま俺が停止すると、聞き覚えの無い声が響いた。


「まったく、ようやく見つけたと思ったら、これはどういう状況なのか。是非お聞かせして欲しいものですわね」


 それは、菫色の少女の声だった。


 さっきまでの酔っ払いを慮る声とは違う、張り詰めて今にも暴発しそうな声色。


 その華奢な背中で魔力が膨れ上がり、周囲の光景が歪んで見え始める。


 それだけで分かる、ジルザック・ルイードにすら引けを取らない練度だ。


 彼女がリーシャの言う通り『鍵』の守護者だというのであれば、俺たちが戦う理由はないが、神魔大戦に選ばれる程の戦士が容易く部外者を信じるとは思えない。


 一番手っ取り早いのはぶっ飛ばしてから話をする方法だけど、こんなところでやり合うのは無理だ。


 さて、この局面どう切り抜けるか。


 リーシャを護れるように立ちながら、少女の顔がこちらを向く。


「カナミさん、私の話を」

「黙っていてくださいまし。この方たちが味方か敵か、それを判断するのは私ですわ」


 そうだな、その判断は正解だ。直感なんていう確証のないもので動くリーシャの方がおかしいんだ。


 こうなったら、たとえ総司達に見られることになったとしても、ここで一戦交えるしかない。せめて一般人に被害を出さない理性的な人間であることを祈るばかりだ。


 そして、ついに少女の濃紺の瞳が俺を見つめた。


 正対してより明瞭になる。熱い戦意を冷たい氷の中に閉じ込めた熟練の気配。ぶっ飛ばすとは言っても、これは簡単じゃないぞ。


 先手をとって動いたのは向うの方だった。魔力が少女の左眼に集まり、なんらかの魔術が発動する。


 どうやら俺たちに直接干渉するタイプの魔術じゃなさそうだが、一体何をしてるんだ。


「‥‥」

「‥‥」


 そのまま俺と菫色の少女は無言で見つめ合った。


 ‥‥なに?


 そうしていると、少女の瞳孔が開いていき、身体が震え、半開きの口からは聞き取れない程に小さな呟きが漏れ始める。


 え、なになに、どうしたの?


「‥‥カナミさん?」


 様子がおかしいことに気付いたリーシャが声をかけるが、少女は「ぅ‥‥あ‥‥」と言葉にならない声を漏らすだけだった。


 そのまま随分長い時間が経ち、



「ふぁ‥‥」



 俺と見つめ合っていた少女は白目を剥いて後ろにぶっ倒れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る