第32話 それぞれの思い

 天を貫かんばかりに高く伸び上がる塔。そしてそれを中心にして広がる重厚な城壁と、五本の尖塔。


 威容、堅牢さ、美しさ、どれを取っても大陸随一と名高い、セントライズ王国が誇る白亜の城、それがセントライズ城だった。


 そんなセントライズ城のある一室。王都が一望出来る窓辺に一人の女性が佇んでいた。


 女性らしく成熟したシルエットでありながら、しっかりと引き締まった身体を白いワンピースドレスで包み、目鼻立ちのハッキリした端正な顔は薄い化粧で彩られている。


 そして、何よりも目を引く燃えるような緋色の髪が、窓から入るそよ風を受けて、波打っていた。


 ――エリス・フィルン・セントライズ。


 その魔術と美貌で大陸に名を轟かせる、セントライズ王国の第二王女である。


 あるいは、『魔王殺しの茨姫』という名の方が有名かもしれない。


 彼女はその華奢な見た目とは裏腹に、前回の神魔大戦において、勇者と共に魔王を討った正真正銘の英雄だ。


 そんな彼女に、熱心に話しかける男がいた。


「エリス様、見ていてください! 魔族の残党程度、必ずやこの勇者、ジャック・ダスケンが討伐してご覧にいれましょう!」


 ジャックと名乗る男は、煌びやかな鎧に身を包み、空色の髪を首程まで伸ばした美丈夫だ。女性ならば誰もが見惚れる爽やかな顔立ちに、吟遊詩人でも人気が出そうな甘い声音。


 言葉通り、ジャックはこの国で正式に認められた当代の勇者である。


 本来勇者とは女神によって選定されるものだが、女神が勇者を選んでいない間は、王国が勇者を任命するのが古くからの習わしだった。


 そして第一次神魔大戦が終わり、ユースケという勇者がいなくなった後、女神は勇者を決めることなく第二次神魔大戦を始めた。その結果王国に選ばれたのがジャックだった。


 由緒正しいダスケン侯爵家の次男であり、魔術の腕はこの若さで近衛兵にも負けていない。それに加えて天才的な剣の腕に、侯爵家の財力によって揃えられた魔道具の数々によって、戦闘能力は王国でも指折りだ。


 何よりジャックは正義感があって見目も良く、その立ち振る舞いには華があった。勇者は人々の希望であり、光でなければならない。そういった意味でも、ジャックはまさしく王国の求める勇者像そのものだったのだ。


「そしてエリス様、もしも私が『ガレオ』を滅ぼした時は、夜会であなた様のパートナーを務める権利を頂けはしないでしょうか?」


 王国中の婦女子を虜にするジャックは、そう言って恭しく頭を下げた。


「そうね‥‥」


 高位貴族の娘でも喜びに我を忘れる誘いを、エリスは平然とした様子で聞きながら、窓の外に目を向ける。憂いを帯びた深緑の瞳は、城下町の広場を見つめていた。


「やはり、駄目でしょうか‥‥」


 芳しくないエリスの反応にジャックが残念そうに言うと、エリスは何かを振り払うように外から視線を外すと、ジャックの方を向いた。


「いえ、王国の雄、ジャック卿からの誘いだもの。お受けさせていただくわ」

「本当でございますか!?」

「ええ、大役を果たした英雄に報いるのは王家の勤めでしょう?」


 エリスは、そう言って花が咲くような笑みを浮かべた。


 その言葉にジャックは目を見開き――そのまま前に倒れ伏した。


「っ――!?」


 エリスが驚愕すると同時、彼女の背後から落ち着いた声が響いた。


「英雄に報いるのが王家の勤めだなんて、よくもお前が言えたもんじゃねーか、エリス」


 バッ! とエリスは後ろを振り返った。


 先ほどまで彼女が外を眺めていた窓、そこに一人の男が腰かけていた。黒い毛皮のコートに、その隙間から覗く褐色の鍛えられた身体。微かに覗く手首と足首には金環が揺れている。


 にやけた金色の瞳が、エリスの目を覗き込んだ。


 この男をエリスは知っている。絶対に忘れるはずがなかった。


「コウガルゥ!? どうしてあなたがここにいるのよ!」


 倒れたジャックも忘れて、エリスは驚きながらも笑顔でコウに駆け寄った。


 ――コウガルゥ。


 その名を知る人は、彼の為した偉業に対してとても少ない。


 それは彼自身がコウと名乗ることが多かったこと。そして同時に彼の別名、『狂獣』の方が遥かに有名だからだ。


 戦うことだけに生きる意味を見いだし、その狂気は魔王にさえ傷をつけた。魔王殺しの英雄に名を連ねる一人である。


 つまり、このコウとエリスは共に勇輔と旅をした戦友だった。


「かはは、野暮用があってな。少しばかり立ち寄ったんだよ。‥‥それで、そいつが当代の勇者であってるよな?」


 未だ起き上がる気配のないジャックを見て、コウが聞いた。


「ええ、ジャック・ダスケンよ。というか、あれやったの貴方よね? なんでわざわざ気絶させるのよ。素直に正門から取り次いでもらえばいいじゃない」

「そんなまだるっこしい真似が出来るかよ、面倒くせえ。なに、勇者の実力がどんなもんかと思ってな」


 コウは倒れたままのジャックから視線を移し、部屋を軽く見回した。


「――ついでに、盗み聞きされる趣味はないしな」


 コウのその言葉に、エリスは呆れたように溜息を吐いた。


「はあ、そっちの気配もしないと思ったら、やっぱりそれも貴方の仕業ね」

「護衛だったか? それにしちゃあやけに刺々しい視線の連中だったが」

「分かって言ってるでしょう。‥‥兄上たちが私につけた監視役よ」


 「だろうな」とコウはまた笑う。


 二人の言う通り、ジャックとエリスが話しているこの部屋の回りには、数人の監視者たちが潜み、エリスのことを常に見張っていたのだ。


 だが、魔王と戦って生き残る英雄たちが気付かないはずがない。エリスは知っていて泳がせ、コウは邪魔だと粉砕した。違いはそれだけである。


「まさか、殺してないでしょうね?」

「おいおい、人をなんだと思ってんだ。そっちの勇者と一緒に気絶させただけだよ」

「ならいいけど‥‥」

「にしても、勇者はもう少し鍛えた方がいいな。その実力じゃ、称号持ちと戦ったらすぐ死ぬぞ」


 ジャックは、コウの襲撃に少しも気付くことが出来なかった。不意打ちの苦手なコウの攻撃にも対応できないようでは、称号持ちの魔族には到底及ばない。


 エリスは近くの椅子に腰かけると、苦々し気な口調で言った。


「分かってるわよ、そんなこと。でも、今求められているのは最強の勇者じゃない。操り易くて民衆に人気のある英雄よ。王国だって、本気でジャックを称号持ちの魔族とぶつけりはしないわ」

「お飾りの勇者ってわけだ、時代は変わったな‥‥」


 魔王と争っていた時、勇者とは強者の証明だった。神に選ばれた、英雄になることを運命づけられた人間。それをコウとエリスはよく知っている。


「そうね、兄上たちは権力争いに夢中。おと――陛下が英雄の力を恐れて遠ざけた結果、熟練の兵士たちも何人も退役していったわ」

「ついでに、帝国は人間同士の殺し合いを始めたいみたいだしな」

「‥‥そんなことまで知っているのね」

「旅をしてれば、多少はな」


 コウは、そこで言葉を止めた。纏う空気が、変わる。


「だが、神魔大戦はまだ終わってねえ」

「‥‥」

「魔王も勇者もいなくなった。戦場になるのもこの世界じゃない。それでも、神魔大戦は間違いなく進行してる」

「‥‥そうね」


 当然、二人は第二次神魔大戦が起こっているのを知っていた。ただ、どういった理由か今回は選ばれなかったというだけだ。


 しかし、だからといって関係がないわけではなかった。その事実を、コウは告げる。


「エリス、お前も気付いてんだろ。『鍵』が一人殺された。今回の神魔大戦のシステムは、『鍵』が死ねば死んだ分だけ異界とこの世を繋ぐ扉が開いていく仕組みだ。その度に、魔族と人族から新たな戦力が参加できるようになる」

「まさか、また神魔大戦に参加するつもり?」


 エリスの問いに、コウは「はん」と鼻で笑った。


「人族の運命を決める戦いに参加しないわけにはいかねーだろ。‥‥なにより、今回の戦場はこの世じゃないどこかだ」

「だから、何が言いたいのかしら?」

「とぼけるなよ、エリス。女神はあいつを異界から召喚した。そんな幾つも幾つも、別の世界があるとは考えにくい」


 その言葉に、エリスは視線を落して黙り込んだ。


 目を逸らしていた事実を突きつけられ、胸からじんわりと痛みが広がっていく。


 それは希望と絶望の入り混じった、残酷な可能性だった。


 コウの言葉が続いた。


「これは肩を並べた仲間としての忠告だ、エリス。シャーラの奴はとっくに神魔大戦に参加するために動いてるはずだ。お前がどんな選択をしようと自由だが、あいつに会えるチャンスはそう多くねーぞ」


 いつの間にか、エリスはドレスのスカートを握り込んでいた。


 様々な思いが混ざり合って、重く心の中に沈んでいくようだった。


「‥‥随分、優しいじゃない。狂獣も丸くなったものね」

「は、その腑抜けた面見てるとイライラするんでな。ちったあマシな面構えになるよう、考えとけよ」


 コウはそれを最後に、言いたいことは言ったとばかりに窓枠から飛び降りる。


 人が一人城に侵入していたとういうのに、騒ぎになる気配はない。まるではじめから夢だったかのように、彼は欠片の痕跡も残さず去っていった。


 部屋に取り残されたエリスは暫くの間座り続けると、徐に立ち上がり、ジャックをソファに寝かせて部屋を出た。


「姫様、どちらに行かれるのですか?」

「ちょっとね。悪いけど、帽子と上着を取ってきてもらえるかしら?」

「は、はい。承りました」


 近くを通りがかったエリス付きのメイドに帽子と上着を取ってきてもらうと、そのままエリスはお供の一人も連れずに城を出た。ただの護衛では、エリスにとっては足手まといだから、その姫らしからぬ行動を誰も咎めることはできない。


 エリスが向かうのは、城下町の広場だった。


「‥‥」


 辿り着いた広場は、国民たちで賑わっていた。


 この広場を中心に大量の店が立ち並び、多くの人が行き交っている。


 しかし、エリスが見に来たのはその光景ではなかった。


 エリスの視線が向かうのは、広場の中心に建つ、一体の銅像。


 魔術によって白銀の輝きを宿した銅像は、陽の光を受けて輝いている。


 魔王を倒し、第一次神魔大戦に終止符を打った正真正銘の英雄、先代勇者の銅像は静かに人々を見守っていた。


 それは誰もが見惚れる、騎士の姿。


 けれど、道行く人々は誰も知らない。あの鎧の下にどんな人がいたのかを。彼がどんな思いで戦い続けたのかを。


 この銅像は、彼を取り巻く虚飾の栄光を象徴するものだ。


 そして同時に、


「ユースケ‥‥」


 エリスの胸を貫き罪を糾弾する、銀の杭だった。

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