第417話 選定の勇者

    ◇   ◇   ◇




 小さな村の小さな家に、跳ねるように男の子が飛び込んだ。


「お母さん‼」


「はいはい、なあに?」


 家で料理をしていた女性は、手を止めて息子に聞いた。


 ここはセントライズ王国の端にある開拓村だ。過去の神魔大戦で壊滅的な被害を受け、ようやく最近になって戻ってくることができた。


 失った物も、壊れてしまった物も多い。


 それでも人々は活気に満ち、よりよい村にしようと日々仕事に精を出している。


 息子は村の人たちに差し入れに行っていたはずだ。


「どうしたの、見つからなかった?」


「違うよ、違う! 聞こえたんだよ!」


「聞こえた‥‥?」


 何を言っているのか分からなかった。息子はもう九歳になる。何が起こったのか説明ができる歳だ。


「何が聞こえたの? 魔物の声?」


「違う! お母さんは聞こえなかったの⁉」


 興奮した様子で言う息子の言葉に、女性は耳を澄ませようとした。


 その時、被せるように息子が言った。


「勇者様の声だよ‼」


 それを聞いた時、まさかと思い、あり得ないと断じた。


 勇者白銀シロガネは、先の神魔大戦で女性と息子を救ってくれた。こんな辺境の小さな村が襲われていると聞き、助けに来てくれたのだ。


 あれは奇跡だった。


 そして勇者は神界に招かれたと聞いた。


 もうこの村に来ることも、声を届けることもない。


「そうね、勇者様は、ずっと私たちを見守ってくれているわ」


 息子の言葉を肯定するように、頭を撫でる。


 瞬間、女性の耳にもはっきりと声が聞こえた。


「っ――⁉」


 顔を上げる。


 そこには当然誰もいない。それでも、確かに聞こえた。


 あの絶望の中で聞こえた希望の光が、頭の中に差し込んだ。


「‥‥お母さん、泣いているの?」


「‥‥ええ、そうね。そう‥‥こんな日が来るなんて、思っていなかったから」


 女性はそのまま息子を抱きしめる。


 どうか、小さなこの二人の想いが、あの方の下に届きますようにと願いながら。






「王様‼ 大変です、姫様がご乱心ですよ‼」


 ここは魔族との領域から遠く離れた場所に領土を有する小国、『エントリア王国』。


 領土のほとんどが山岳地帯であり、背には海を構えている。


 豊富な水資源と、斜面を利用した農業や、漁業が盛んな国だ。


 牧歌的で穏やかな気風の国民が多い中で、エントリアの姫君はお転婆てんばで有名だった。


 それでもとある事情から淑女らしい落ち着きを身に付け始めていたところ、今回の事件が起きた。


 王はペンを置いて、入ってきた老婆ろうばを見た。


「‥‥何かね、マルシャ」


「何かねではありません! お稽古を放り出して街に繰り出し、国民を巻き込んで踊り出したそうですよ。お転婆では済まされません!」


 マルシャと呼ばれた使用人の老婆は、古くからこの家に使える乳母うばだった。


 簡素な執務室で腰かける王もまた、この乳母に育てられた。


 だから護衛の騎士も何も言わないのだ。


 マルシャは苦々しい口調で続けた。


「しかも『勇者様からお言葉を頂戴ちょうだいした』などと声高こわだかに歌っているそうです。ただでさえ婿様を探すのに難儀しているというのに‥‥」


 エントリアの姫君の勇者への想いは有名な話だ。元々武勇伝に魅了されていたが、実際に勇者がこの国に来て、海を荒していた魔物を倒してもらってからは、目も当てられない恋の病をわずらってしまった。


 噂は諸外国にも知れ渡り、婿が見つからないのである。


 そこにこんな話が重なれば、姫は一生独り身だとマルシャは嘆く。


 王は立ち上がると、後ろの窓から外を眺めた。この城の執務室からは、城下町の様子がよく見える。


 王はふっと小さく笑った。


「今日は許してやれマルシャ」


「‥‥何かの記念日でしたか?」


「違うさ。またあのお人好しの勇者様が、何かやろうとしているらしい」


「それは――」


 その言葉にマルシャは言葉を失った。


 王は優し気に目を細める。国民を巻き込み、喜び勇んで祈りをささげる愛娘まなむすめの姿が見えるようだった。

 





 セントライズ王国の城下町。その外れに作られた広大な修練場で、威勢に満ちた声と、魔術と剣がぶつかり合う音が響き渡っていた。


 王国最強、大陸中にその名を轟かせるセントライズ王国第三騎士団の演習である。


 半数に別れ、実戦さながらに魔術をぶつけ合う様は、圧巻の一言であった。


 一歩間違えれば訓練であっても死ぬ。


 そんな緊張感に満ちた場所で、奇妙なことが起きた。


「――」


「――なあ」


「‥‥おい、まさかな」


 全ての騎士が、同時に手を止めたのである。


 突如として騎士団に降りた静寂のとばりは、すぐにざわめきとなり、瞬く間に歓声へと変わった。


 彼らは知っていた。今自分たちが行けないところで、戦いが起きていることを。


 そしてそこには、セントライズ王国の茨姫いばらひめ、エリス・フィルン・セントライズがいることを。


 高い丘で訓練を見下ろす将たちもまた、顔をほころばせて頷いていた。


「団長‥‥聞こえましたな」


「まったくあ奴らしい」


「当然、会えているのでしょうな」


 口々に将が言う。


「‥‥」


 最後に、第三騎士団をまとめ上げる若き獅子が、空を見上げた。


 グレイブの後を継ぎ、ラルカン・ミニエスを勇輔と共に討った第三騎士団団長、ロイド・ストラ・ヴェネトス。


 勇輔は初めて会った時、どの新兵よりも使い物にならない小僧だった。そこらの使用人に剣を持たせた方が見込みがあるだろう。


 そう思っていた。


 それがいつの間にか剣を切磋琢磨せっさたくまする関係となり、自分を置いて、遥か先に行ってしまった。


 誰よりも高く飛翔する翼が、うらやましくも、ねたましくもあった。


 ずっと待っていた。こんな時が来るのではないかと。来て欲しいと願っていた。


「エリス様のいらっしゃるところに、貴様がいないはずがない」


 ロイドは魔力を込め、全騎士に届く声をとどろかせた。


「総員、抜剣ばっけん‼ 空に我らが誇りを掲げよ‼」


 一糸乱れぬ動きで、騎士たちは剣を天へ突き上げた。


 そして最大の敬意をもって、祈る。




 我ら、いついかなる時も、勇者白銀シロガネと共にあらんと。




 ロイドは笑った。


「いつも言っているだろう、もう少し言葉を尽くすことを覚えろと」


 同時に勇輔らしいとも思う。




『皆、力を貸してくれ』




 その一言があれば、理由を聞く必要などない。


 このアステリスには、その言葉だけで喜んで命を捧げる者がいくらでもいよう。


 自分もその内の一人であるとは決して認めず。


 光を受けて銀に輝く剣は、いつまでも高く掲げられた。




 その時、アステリスのあらゆる場所で、人々が空を見上げた。


 救われた子が。


 共に戦った男が。


 恋をした少女が。


 剣を交えた者が。


 王族が。貴族が。平民が。人族が。魔族が。命が。魂が。


 誰もが空を見て、彼の姿を思い出した。


 白銀はくぎんに輝く鎧を身にまとい、その剣で希望を照らすあの人。


 皆が願い、祈った。


 どうか――――。






 私たちの勇者白銀シロガネに祝福あれ、と。




    ◇   ◇   ◇




 ユリアスは瞠目どうもくした。


 これ程の驚きは六千年間存在しなかった。


 くれないの大樹を背負い、世界を超えて枝を伸ばすその様は、神々しささえ感じた。


 それを見た瞬間、ユリアスは勇輔の魔術を正しく理解した。


 『我が真銘』は、繋がりの魔術だ。


 人と人とを繋ぐ魔術。


 無限の魔力は、繋がりを得た人々から少しずつ与えられたものだ。


 魔術の再現は、魂の力だ。


 そして彼はその力を使い、ある魔術を発動してみせた。ユリアスが六千年を掛けて築き上げてきたものに、あの戦いの財産をもって、並び立つ。




「『灯火リンク――選定の勇者ブレイブフェイス』」




 彼を助け、苦しめてきた、加護であり、呪い。


 勇者というかんむりを、勇輔は自らの意志でいただく。


 紅の大樹が一気に収縮し、勇輔を包んだ。


 そして晴れる。


 ユリアスの前に現れたのは、新たな銀の鎧だった。各所に黄金の精緻な模様が刻まれ、背には紅のマントを羽織っている。それが何かと触れ合うように、ゆらゆらとほのかに揺れていた。


 まさしくそこにいたのは、勇者だった。


 誰しもに認められ、誰しもが願った、最強の勇者。


「――――!」


 勇輔が剣を握る。


 一度は砕けたバスタードソードが、その境目に金の光を宿し、一回り大きく、強靭きょうじんに鍛え上げられる。


 それがそこにるだけで、ユリアスの背に緊張が走った。


 懐かしいな。


 あの時も、同じように向かい合った。


 魔王と勇者として。


「そうか、そういうことだったのか」


 ユリアスは目を見開いて、ひとちた。


 たった一つだけ、この六千年で分からないことがあった。どれだけ調べても、仮説を立てても、分からなかったこと。


 すなわち、何故山本勇輔が勇者として選ばれたのか。


 彼は生粋きっすいの地球人だ。


 聖女や魔将どころか、アステリスに旅立った誰とも関係がない。


 本当に偶然、魔術の素質を持って生まれた人間だ。


 いくら強い素質を持っていたとしても、世界を超えて勇者に選ばれる道理はない。


 では何故山本勇輔が選ばれたのか。


 理由はとても単純だった。


 それは在りし日の思い出。足元に転がったボールを拾い上げた時、少年の小生意気な瞳が自分を見上げていた。




『あなた、お名前は?』

『俺? ゆうすけ。ゆうしゃのゆうだぜ。かっこいいだろ』




 彼がまだ幼かった頃。ユリアスは一度だけ勇輔に会いに行ったことがあった。


 アイリスの姿で、勇輔が放ったボールを渡してあげた。


 あの時だ。


 あの時、山本勇輔とユリアスの間に繋がりが生まれたのだ。


 だから勇輔が呼ばれた。


 魔王としてのユリアス・ローデストに相対する勇者として。


「‥‥なんだ、呼んだのは私だったか」


 もはや疑問はない。


 全ての線が繋がり、ここに至った。


 もしもそれが運命だというのなら、ここから先にそれは存在しない。


 勝者だけが、歩き、語ることができる。


「ずっと待っていたよ、勇者白銀シロガネ


「『ああ。もう一度だけ、お前の夢を終わらせるよユリアス』」


 竜が咆哮ほうこうし、勇輔が剣を構えた。


 再臨の両極星は光輝き、互いに譲ることなくぶつかった。

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