第292話 乙女の強さ
◇ ◇ ◇
コーヴァは『
確か魔族の中でも別格の力を持つ
そんな化け物も、シキンにかかれば簡単に倒されるのだと、改めて驚いたものだ。
それがどうだ。
(なんでこの人の中に入ってんだ? それとも同化的なやつか)
死んだはずの
冗談だと笑いたいが、その魔力を見ては否定することもできない。
「魔族ってのは、どいつもこいつもふざけたやつばっかりかよ」
「やはり、名乗りは大切ですね。私が陽向紫であると同時に私であると、はっきりと認識できました」
「そっすか。何言ってのかよく分かんねーけど」
「分からなくていいですよ。あなたもすぐに死にますから」
トアレの魔力がさらに膨れ上がる。
しかし魔力量がどれだけ大きかろうが、関係ない。
コーヴァはナイフを両手に構え、前に駆け出した。同時に数本のナイフを投擲。
相手の動きを予測し、それに合わせて攻撃を入れる。
どういうカラクリかは知らないが、元は陽向の体だ。一般人の肉体で、コーヴァの速度には追いつけない。
もう一回殺してやるよ、死に損ない。
その瞬間、コーヴァはトアレを見失った。
「は?」
ズンッ‼︎ と拳がコーヴァの腹に突き刺さる。
「ぅご──⁉︎」
内臓が悲鳴を上げ、身体がくの字に折れ曲がる。
身体強化しているコーヴァにダメージを入れるパワーも驚きだが、何よりその
投擲したナイフが弾かれたわけではない。
真正面から、ナイフを避けて突っ込んできたのである。
「この!」
コーヴァは痛みを耐えながら急所へとナイフを振った。
しかし、遅い。
パァン! と空気の破裂する音と共に、視界が吹っ飛ぶ。
真下から顎を蹴り上げられたのだと気づいた時には、既にコーヴァは空に浮かんでいた。
「でい、え──まり、ん」
トアレが何かを喋ったようだが、頭が揺れるコーヴァには聞き取れなかった。
「遅いですね。まだ終わりませんよ」
トアレは浮いたコーヴァの体に、拳を叩き込む。
一発ごとに筋肉が裂け、骨が砕ける。
吹き飛ぶコーヴァを更なる速度で追い、更なる打撃。もはや彼は人間ピンボールと化し、空を跳ねた。
「『
最後の踵落としが、コーヴァを地面に叩きつけ、周囲を
圧倒的な力で、トアレはコーヴァを粉砕した。
彼女の使う魔術は、『
その力は、
恋する人に並び立ちたいと思えば、その人と同じだけの身体能力を得られる『
「‥‥」
トアレは身体の調子を確かめるように、拳を開け閉めする。
彼女の魔術は、ある意味で魔術の極地にある。
想いの強さが、そのまま力に直結する。器になっている陽向の肉体が脆弱であっても、障害にはならない。
「ぐ、かはっ‥‥」
トアレの見下ろす先で、地面に叩きつけられたコーヴァが芋虫のように動き、血を吐き出した。
(おいおい、こんなの聞いてないぞ。シキンさんが倒した時は、それなりの相手としか言ってなかったろ)
強すぎる。
「『
「がっ──⁉︎」
うごめいていたコーヴァを、何かが踏み潰した。
地面に埋まり、指の一本さえ動かせなくなる。
重力を操る魔術。あれだけの身体強化を持ちながら、これがこいつの魔術の正体か。
「潰され死んでしまう前に、一つだけ聞かせてください。あなたたちの目的はなんでしょう。ここは、懐かしい香りと知らない香りが混ざりすぎています」
「は‥‥、答えると、思うか‥‥?」
「そうですか」
「ぅグォっ!」
重圧はより強くなり、内臓が悲鳴をあげる。
本当にこのままでは殺される。この女には、それを躊躇しない凄みがあった。
こんなところで使う予定はなかったが、仕方ない。
どちらにせよ計画は失敗だ。ここで不確定要素は、排除する。
「くそ、起きろ! どうなっても知らねーけどな!」
叫びと共に、コーヴァから魔力が溢れ出した。
「‥‥」
コーヴァの魔力とは全く違う。それどころか、人や魔族が扱うものとも、違う。
『
「あーはははははは‼︎ いくぜ、『
強大な魔力の脈動。
黒い腕が、強引に重圧を振り払った。
「何かの召喚ですか?」
『
腕はただ黒いだけではない。何本もの腕が絡み合うかのような太さ。そしてその隙間から覗く黄色い眼球。
「趣味が悪いですね」
トアレの言う通り、その見た目は生理的嫌悪を起こさせる。
「これは正真正銘、悪魔の腕だ。俺の生まれはくそでね。色々と犠牲にして、今はここに住んでる」
「別に理由までは聞いてませんよ。興味ないですし」
「‥‥そうっすか」
右腕が持ち上がる。そこに存在するだけで空間を
悪魔の腕というのは、あながち嘘ではなさそうだった。
「さ、ラウンド2と行きますか」
悪魔の腕がうねった。
腕は瞬きする間にトアレに到達し、身体を掴もうとする。
トアレは軽く地面を蹴って、腕を避けた。
「無駄だ!」
悪魔の腕は止まらない。太い腕がバラけたかと思えば、何十本という右腕に分かれてトアレを追う。
少し触れただけでも、あれはまずい。
得体の知れない圧が、『
「『
トアレの周囲で、桜色の炎が燃え上がった。それは迫り来る右腕を捉え、灰すら残さず焼き尽くす。
「おいおい、嘘だろ」
そして、踏み込む。
慌てて逃げようとするコーヴァは、自分の身体が動かないことに気づいた。
「『
桜色の鎖が、全身を
『
ゴッ‼︎ と蹴りコーヴァの横っ面を叩き、吹き飛ばす。
更なる追撃をしようとした時、トアレはあることに気づいた。
魔力が削れている。
首筋に手を当てる。おそらく、そこに『
もしも魔力を身に纏っていなければ、削られていたのは命だっただろう。
「あー、いってぇえええ! ‥‥でも、その様子じゃ気づいたみたいだな」
「‥‥」
「俺の右腕は、あらゆる生命を
その言葉通り、悪魔の右腕はより
『
魔力は生命エネルギー。あの右腕は魔術師にとって天敵だ。
しかも厄介なことがある。
「あんた、いくら魔術が凶悪でも、身体の方は一般人だろ。あと数分も動けば、ガタがくる。分かるよ、俺も変なもん身体に泊めてるせいで、そういうのはよく分かる」
コーヴァの言う通りだった。
トアレの『
陽向の身体を壊すわけにはいかない。
トアレは髪を払いながら、なんてことのないように言った。
「それが事実であれ、結果は変わりません。あなたを殺すのは、数秒あれば事足りる」
「本当にできるか、試してみるか?」
トアレは無言で自分の小指と小指を絡ませた。
時間をかける意味はない、一瞬で
荒ぶっていた魔力が静かに、強い力で引き、身体の中に圧縮される。
最強の魔術を使うことに気づいたのだろう、悪魔の右腕もまた激しく隆起し、竜の前足のように巨大化した。
そして。
「『そこまでだ』」
右腕は、コーヴァの肩からずれ、落ちた。
あまりにも鮮やかな一閃だった。
「なっ──⁉︎」
「ッ──」
一触即発の空気をあっけなく斬り伏せた銀の騎士は、トアレだけを見た。
「『迎えに来たぞ、陽向。いや、今はノワか』」
世界を超えて再会を望んだ人。魔族すら受け入れるほどに、恋した人。
山本勇輔が、そこにいた。
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