第299話 本当にこの人たちは話を聞かない

 とりあえず俺が家に入ると、ジト目だった月子は目を見開いて小さく悲鳴を上げた。


「っ! 来なさい!」

「へ?」


 月子は俺をお姫様抱っこの体勢で抱え上げると、慌てて部屋の中に連れて行く。


 え、俺の体重結構重いと思うんだけど、こんな細い腕でどうやって持ち上げてんの?


「ユースケさん、おかえりな──」

「リーシャさん、回復の術符じゅふを! そこの戸棚に入っているから!」

「は、ははははい!」

「カナミさん、清潔なタオルとお湯を!」

「いや、そんな大袈裟な」

「黙って!」


 月子は俺をソファに寝かせると、慎重な手つきでお腹に触る。


 今の俺は着ていた服は原型も残さずコゲ落ち、よく見れば肌の広範囲が炭化している。昼間であれば通報救急待ったなしの状態だ。


 陽向の身体とはいえ、魔将ロードの一撃を生身で食らったのだから、この程度で済んでよかったと思うべきだろう。


 もしもノワが本気で殺すつもりで魔術を使っていたら、今頃俺は灰だ。


 お腹に触れていた月子が、怪訝な顔をした。


「──傷が、塞がってる?」

「ごめん、心配させたな。本当に大丈夫だよ」


 俺は月子の手を優しく掴んでどかすと、体を起こす。そこに救急箱を持ったリーシャとお湯を持ったカナミが慌てた様子でやってきた。


「大丈夫って、ユースケさんすごい傷ですよ‥‥」

「そうですわ。一刻も早く回復の術式をしませんと」

「焦げてるのは表面だけで、中身はほとんど回復しているから平気、だと思う」

「思うって‥‥」


 明るい部屋に入るとよく分かるが、見た目は衝撃的だ。実際、直撃受けた直後はやばかった。


 しかし今はもう回復している。火傷した肌も、しばらくしたら戻るだろう。


 心配そうに俺を見る三人に対して、シャーラだけはいつも通りの無表情で言った。


「ユースケは、そういう身体。この程度なら舐めておけば治る」

「人を化け物みたいに言うな。まあ、確かに最近回復も早くなってきたけど」

「舐めてあげる」

「おいやめろふざけんな」


 昔冗談だと思って笑っていたら、この女ガチで舐め始めて、キレたエリスによって更なる傷を負うことになった。余波だけでダメージが来るのよ。


 それにしても、ようやく魔力が身体に馴染み始めたのか、回復速度は全盛期に近い。


 月子はなんとか状況を飲み込んだらしく、苦々しい顔で言った。


「それならいいのだけれど、何が起こったの? あなたにそれだけの傷を負わせるなんて、一体どんな敵だったのよ」

「それなんだけどな──」


 どこから説明しようかと口を開いた時、俺の言葉を遮る声があった。




「私がやりました」




 振り返ると、陽向が立っていた。


 淡々と、部屋にいるみんなを見下ろして、陽向はそう言った。


「陽向さん、あなたが──」

「そんな、嘘です!」


 答えたのは月子とリーシャだった。


 二人は陽向のことをよく知っている。魔術とは縁遠い一般人だと理解しているからこそ、信じられなかったのだろう。


「私が先輩を傷つけました」


 陽向がそう言った直後、月子とカナミが動いた。


 月子の周囲でバチバチと放電音が鳴り、火花が瞬く。カナミの手にはフェルガーが握られ、その銃口は陽向に向けられた。


「おい、やめろ! 陽向は何も悪くない‼︎」

「ですがユースケ様。本当でしたら、見過ごすわけにはいきませんわ」

「勇輔は黙っていて。傷にさわるわ」


 俺が止めても、二人は臨戦体制を崩さなかった。


 割って入ろうにも、回復にリソースを使っているせいで、魔術の発動に手間どる。


 そうしてる間にも、緊張感は一気に高まっていく。


 もう一度言葉で制止しようとした瞬間、陽向が先に口を開いた。


「あなたたちは、ユースケの何ですか? 私がしたことに文句があるのなら、受けて立ちますけど」


 違う。陽向じゃない。


 濃い桜色の髪が波打ち、魔力が渦を巻く。


 ノワが起きたのか。 


 明らかな変化に月子とカナミが息を呑むのが分かった。変化そのものもそうだが、何よりその存在感。


 魔将ロードの前に立つ。ただそれだけで、人は凄まじい精神力が必要とされる。


 俺を守るように、リーシャが横に寄った。ラルカンの気配を間近に感じたことがあるリーシャは、特に強い恐怖を感じたはずだ。


 ノワだけが悠々と恐ろしい笑みを浮かべている。


 いや、もう一人動じていない女がいた。


夢想パラノイズ、やっぱり生きてた。相変わらずしぶとい」

「そういうそちらは幽刻ファントムですか。随分弱体化しているようですけど、澄ました顔をしているから足元をすくわれるんですよ」


 いきなり言葉で切り掛かったシャーラは、反撃を喰らって目を細める。


「呼ばれてもいないのに、こんなところまで追いに来るな。妄執女もうしゅうおんな

「あなたにだけは言われたくありませんね。正妻がいなくなったからと尻尾を振りにきましたか、負け犬」

「‥‥」

「‥‥」


 さっきの比じゃない勢いで空気がピリピリする。もはや震えているとかいう次元ではない。ここだけ乱気流の中かな?


 やばいやばいやばい。さっきまでは月子とカナミがやばかったけど、その二人が蚊帳の外になるレベルでこの組み合わせは最悪だ。犬猿どころではない、規模的には龍虎である。


 今にも殴りかからん勢いに気圧けおされながら、月子がシャーラに聞いた。


「シャーラさん、この人を知っているんですか?」

「魔王からユースケに鞍替くらがえした尻軽。一応魔将ロードの一人」

夢想パラノイズと言っていたので、まさかとは思いましたが‥‥」


 カナミは銃を下ろさないまま驚きの声を上げた。


 ノワは大袈裟に肩をすくめ、悲しげな顔をした。


「ひどい紹介です。あなただって、冥府の神を捨ててユースケに走った浮気者でしょう」

「冥神様との婚姻は形だけ。父のようなもの」

「私だって、魔王様と恋愛関係になったことはありません。憧れのようなものです」

「裏切り者」

「バツイチ」

「‥‥」

「‥‥」


 シャーラとノワは、静かに一歩を踏み出した。


「うぉおおおい‼︎ 待て待て正気かお前ら!」


 家が壊れるわ!


 俺は跳ねるように飛び起き、二人の間に立つ。こいつら、放っておいたら本気でこの場で殴り合いを始めかねない。


「どいて、そいつ斬れない」

「どいてください。殴り倒します」

「どっちも駄目だって言ってんだよいい加減にしろ!」


 ああもう本当に人の言うこと聞かないなこいつら! 


 というか、客観的に考えてみると、この二人絶妙に似てるな。恋に盲目だし、人の言うこと無視するし。あれか、同族嫌悪ってやつなのか。どうか、俺の知らないところでやってほしい。


 シャーラは不満ですと書かれた目で俺を見上げた。


「ユースケはどっちの味方なの?」

「は?」


 すると腕に柔らかい感触。振り向くと、ノワが俺の腕を抱いて上目遣いで俺を見ていた。


「もちろん、私の味方ですよね」

「何言ってんの? 今この状況でいえば、俺は家の味方だけど」


 この家壊したら俺が加賀見さんに殺されるんだぞ、分かってるのか。


 俺はノワの腕を振り解くと、言った。


「いいか、全部説明するからとりあえず座ってくださいお願いします! 俺はシャワーを浴びさせてください!」


 後で掃除することが確定の灰で汚れた床を見ながら、俺は涙ながらに叫んだ。

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