第87話 黒井さんのお土産

 海水浴から帰ってきた文芸部の面々は、性懲りもなく飲み会を始めていた。


 まるで合宿の終わりを惜しむように、最後の炎を燃やし尽くすように、全力で飲んで騒ぐ。


 いつもの俺ならそこに参加して総司や松田と飲んだくれているところだが、どうにも今日はそんな気分になれなかった。


 理由は明白である。陽向のあの目が忘れられない。


 怖がられることなんて慣れ切ったと思っていたのに、陽向から向けられた視線は想像以上に心を揺さぶった。


 俺がいては陽向も心から楽しむことができないだろう。


 そんなしょうもない理由をこねくり回し、俺は一人部屋で外を眺めていた。


 戸を叩く音が聞こえたのは、淹れたお茶がすっかり冷めた頃だった。


「はいはい、開いてますよー」


 わざわざノックをするということは、リーシャかカナミかな。


 心配して見に来てくれたのだろうか。


 そう思っていたら、入ってきたのは全く予期せぬ人物だった。


「すいません夜分に。お邪魔します」


 そこにいたのは、浴衣を着た黒井さんだった。


「あ、ああ。どうぞ」


 いつもの黒一色の服装ではなく、浴衣だったので誰か一瞬分からなかった。というか、この子が俺の部屋を訪ねてくること自体が予想外だった。


「どうしたんだ? まだ飲み会続いてるだろ」

「はい、まだまだ皆さん終わりそうにはありませんね」

「じゃあなんで俺のところに?」


 聞くと、黒井さんは困ったような笑みを浮かべた。


「なんだかひなさんも山本さんも様子がおかしかったので、あの時何かあったんじゃないかと‥‥」


 そういうことか。よく見てるな、黒井さん。


 しかし俺の一存で今日の一件を話すわけにはいかない。


「ちょっといろいろとな。別に喧嘩しているわけじゃないから、そんな心配しなくても大丈夫だぞ」

「そうだったんですね。それならよかったです」

「ありがとう、そこまで気にかけてくれて」


 きっと陽向から何となくの事情は聞いてるんだろう。それで俺のことも気を遣って見に来てくれたに違いない。ホラーが絡まなければ本当にいい子だ。


「それならこれも必要なかったですね」

「これ?」


 何の話かと思っていると、黒井さんはずっと後ろ手に隠し持っていたらしい物を前に出した。


 流石にたまげた。


 黒井さんが隠していたのは、鞘に覆われた日本刀だったのである。


 それも随分な年代物で、柄は擦り切れ、金具はほとんどが錆び付いている。これでは抜くこともできまい。


「‥‥何これ?」

「いえ、もしも山本さんの元気がないようでしたら、これを見て元気を出していただきたいなと思いまして」

「これで?」

「はい」


 ちょっと意味が分からない。


 善意なのはよく分かるけど、こんな錆びた刀を見てテンションが上がると思われているのは、何とも言えない気分だ。


「どうしたのこれ?」


 明らかに文芸部の合宿で出てくるような代物じゃない。年季が入り過ぎているし、妙な威圧感がある。もしかしてこれ模造刀じゃなくて本物か?


 黒井さんは顔をパアっと輝かせて、それはそれは楽しそうに話し始めた。


「聞いてください、皆さんとお土産を買いに行った時に骨董屋さんで見つけたんです。室町時代から現存する本物の日本刀だそうなんです!」

「そ、そうなのか」


 室町時代って今から五六百年くらい前? そんな昔の刀が残っているものなんだな。


「黒井さんって刀とか好きだったっけ?」

「刀そのものが好きなわけじゃなくて、この刀、なんでもいわくつきの妖刀らしいんです」


 あ、ああ~。そういうあれね、山本把握。


 ようやく事態を飲み込んだ俺の前で、黒井さんは目をキラキラさせながら饒舌じょうぜつに語り出した。


「刀身を抜いた人は刀に意識を乗っ取られるとか、絶対に折れることがないとか、血を求めて一人でに動き出すとか。それはもうたくさんの逸話が残っているそうなんです!」


 何その呪い詰め合わせセットみたいな内容。絶対騙されてるだろそれ‥‥。


「きっと山本さんならこの浪漫を理解してくれると思ったんです。私は日本刀についてはあまり詳しくありませんが、あれだけ武器に対しても造詣が深い山本さんならと!」

「あ、ありがとう」


 多分黒井さんが言っているのは俺の書いた文章に出てくる武器の描写についてだ。残念なことに詳しいのは異世界の武器についてなので、日本刀は管轄外。


 しかしそれを嬉しそうな黒井さんに言うのもはばかられる。


 というか君、単純に刀について語りたくてここに来たよね。


「まだ試してはいないんですが、こういった刀って私の力でも抜けるものなんでしょうか?」

「それは無理じゃないかなあ」


 普通の刀ならともかく、この刀は明らかに錆で固まっている。これでは黒井さんでなくとも抜くのは厳しいはずだ。


 どうせ抜けないから、日光の木刀みたいなノリで売ってたんだろう。


「そうですか‥‥。意思を乗っ取られるというのも、一度は経験してみたいと思っていたのですが」


 その夢は流石にマニアック過ぎる。


 黒井さんは残念そうに言いながらも、諦めきれないのか柄に手を掛けた。


 そして見るからに非力な手で柄を握ると、力を込める。


 瞬間、驚くべきことに鍔が音を立てた。


「え?」


 それは紛れもなく刃が抜かれた音だった。




 鞘から覗くのは鈍色に光る刀身。そしてそこから溢れ出るのは――魔力の波動。




 驚愕するよりも先に、柄をつかんだままの黒井さんが口を開いた。


「あぁ、こうして感覚を得るのは久方ぶりだのぅ」


 可憐な声色のまま、口調はしわがれた老人のような酷いちぐはぐ感。


 開かれた目は光を失い、華奢な身体には大蛇のように魔力が纏わりつく。 


 明らかに尋常の様子ではない黒井さんは、そのままシャンッ! と刀を全て抜き放った。


 蛍光灯の下露わになった刀身は、至る所が刃毀れしているが、明らかに真剣。それを悠々と片手で振るい、空気を切り裂く。


 おいおい、まさか本当に妖刀だったのか。完全に意識を乗っ取られているぞ。


 刀に操られる黒井さんはそのまま切っ先を俺に向けて言った。


「勘弁しろ小僧。ここで儂と巡り会ったのも己の運命。この女子おなごの身体は返してやる。代わりに小僧、お前が儂を取れ」

「‥‥」


 わざわざ俺の身体に乗り換えたいと。


 知性を持った武器とは珍しい。本体が刀である以上、使い手の身体能力も大切になるわけだ。


「嫌だと言ったら?」

「あまり気は進まんが、少しばかり痛い目を見ることになるぞ」


 切っ先を俺に向けたまま、黒井さんに憑りついた何かは眼光鋭く言い切った。


 纏わりつく魔力は鎧のように黒井さんを覆い、髪を波打たせる。その気配は俺がこれまで地球で見てきた霊や妖怪とは明らかに一線を画していた。


 とりあえず黒井さんに傷をつけるわけにはいかないな。


「分かった。その代わりその子の身体におかしなことをするのはやめろ」

「物分かりがいいのぅ。安心せい、悪いようには使わん」


 妖刀は己の刀身を反転させ、俺の方に柄を向ける。


 これを手に取ったら、俺も黒井さん同様意識を乗っ取られる。


「お前さっき運命がどうのこうの言ってたな」

「何?」


 俺は柄を握る。それと同時に、魔力を燃やして全身へと循環させた。


「なら俺と会ったのがお前の運の尽きだよ」


 やれるもんならやってみたらいい。


 直後、黒井さんに纏わりついていた魔力が刀を伝って俺へと流れ込んでくる。


 まるで血管を逆流して心臓や脳を食らわんとする獣のようだ。


「戯言だ小僧!」


 この魔力量、まさしく妖刀の名に相応しい。一体どんな因果でこんな代物が生まれ、ここにやってきたのか。


 そして魔力から伝わってくるおぞましい程に強大な想念。魔術の力は感情の励起によって変容する。道具にここまでの想いが宿っていることが驚きだ。


 だがしかし、相手が悪かった。


「ッ――‼」


 柄を砕かんばかりに握りしめ、波涛の如く押し寄せる魔力に己の魔力をぶつける。


 翡翠の光が腕を伝って柄の周りで弾け、花火のように散って消える。


 拮抗したのは一瞬だった。


 刀の魔力を翡翠が踏み潰し、蹂躙する。


「なっ、小僧貴様! 一体何を!」


 焦る声すらも飲み込んで翡翠はひた走った。柄を抜け刀身を覆い、相手の全てを征圧していく。


 もはや刀に声を出す余裕はなく、全魔力をもって抵抗しようとするが、悪足掻きであることはお互いにとって自明だった。


 唐突に終わりは訪れる。


 完全に刀の魔力を俺の魔力が抑え込んだ。黒井さんを支配していた魔力も全て使い切り、黒井さんの身体が力を失って崩れ落ちる。


「おっと」


 倒れる寸前で何とか身体を支えられた。


 見た目通りの軽い体重が腕にかかる。顔を確認すると、穏やかに呼吸をしているので、どうやら眠っているだけらしい。


 よかった、あのままじゃスピリチュアル女子大生から刀剣女子大生にジョブチェンジしてしまうところだった。


 取り敢えず黒井さんは部屋の隅に布団を敷いて寝かせる。他の人が来たら、酔って寝てしまったということにしておこう。


 さて、


「後はお前をどうするかだな」


 完全に屈服させられた妖刀は、その問いに答えることなく静かに机に置かれていた。

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