第47話 いわゆる、説明会的な

 一通り話終わり、緑茶を手に取ると随分ぬるくなってしまっていた。


 たった数日の話だというのに、こうして語ってみると案外長くなる。考えてみれば、濃密な時間を過ごしたもんだ。


 気付けば夜も更けてきたらしく、店内の人影も少なくなってきていた。


「‥‥まさか、勇者様が異界から召喚されたお方だったとは」


 呆然とした様子でテーブルを見ていたカナミが徐に言った。


「そんなに衝撃的だったか?」


 結構長い間フリーズしていたけど。


「衝撃に決まっていますわ!」

「うぉっ」


 ダンッ! と目の前でカナミが両手をテーブルについて身を乗り出す。


「勇者様はあの神魔大戦における人類の旗頭はたがしら、最強のつるぎ! 多くの戦士、英傑えいけつたちがあなた様の背をに、暗泥あんでいのごとき闇の中を進んでいったのでございますわ! それが、それが‥‥」


 カナミの視線が揺れる。まるで俺の姿の向こう側に、在りし日の光景を見つめるように。


「それが、私たちの世界の人間ですらなかったなんて‥‥」

「‥‥」


 静かに喉を震わせる彼女に、なんと声をかけていいか、分からなかった。


 神魔大戦が終わればお払い箱。俺は自分自身をそういう存在だと割り切っていたし、事実、神魔大戦が終われば多くの人からうとまれた。


 使い道のない兵器は、ただそこにあるだけで争いの火種になる。そんな簡単な事実を知ったのは全てが終わった後だったのだ。


 けれど、こうしてカナミを見ていると、偽りなく心から勇者を慕っていた人たちもいたんだなと実感する。今となっては、あの苛烈かれつな戦いを切り抜けた勇者が、本当にこの俺だったのか、疑問すら覚えるが。


 カナミはハッと我に返った様子で座り、それから息を整える。


「申し訳ありません、取り乱しましたわ」

「いや、それは別にいいんだが。なんか悪かったな」


 勇者の実物がこんなんで。


 俺の正体を明かした時、これまでも幾度となく失望の眼を向けられてきた。そういった扱いにも慣れている。


 そう思っていたのだが、カナミはぶんぶんと首を横に振った。それはもう、頭が取れそうな勢いで。


「何を仰るのですか! たとえあなた様がアステリスの人間でなかったとしても、それであなた様の為した偉業が曇ることはありません! わたくしが浅はかな偏見を持ってしまっていた、ただそれだけのことなのでございます!」


 お‥‥おおぅ‥‥?


 困惑する俺を余所に、カナミは頭を深々と下げる。それはもう、机がなければ土下座になっていただろう。


「申し訳ございませんでした、このカナミ・レントーア・シス・ファドル。勇者様を侮辱するような態度を取るなどこの身にあるまじき末代までの恥でございますわ、神魔大戦が終わった暁には、この不出来な頭、即刻撃ち抜き――」

「待て待て待て待て」


 思わずカナミの肩を掴んで頭を上げさせる。店内にいた僅かな客と店員の冷ややかな視線が向けられるが、それどころではない。


 この子、マジの顔だったぞ。侍かなんかか、おのれは。


 顔を上げたカナミの口は真一文字に結ばれ、目は確固たる意志をもって俺を見つめ返してくる。ヤバい、本気だこいつ。


 忘れていた、こういう事態は初めてじゃない。昔、俺が貴族の家に呼ばれた時、鎧姿の俺に対して粗相そそうをしたメイドがいたのだ。粗相そそうと言っても、紅茶を置くときに俺に零してしまった程度の、気にもならないものだ。


 けれど、その場で当主は激高し、メイドを打ち据えようとした。その場では共にいたエリスが取りなしてくれたから大事にはならなかったものの、勇者の俺を相手にミスをするということは、最悪退職か奴隷に落とされる場合もあると後で聞いた。


 ふざけた話だが、アステリスの人間にとって勇者とはそれ程までに大きい存在なのである。俺自身ではなく、長い年月をかけて勇者という称号自体が神格化されているのだ。


 そしてカナミもその例に漏れず、というか戦士だからかその傾向がより強い。


 こういった手合いには、慰めの言葉は逆効果だ。


 ならここは、俺も勇者らしく相手をしてやろうじゃないか。見せてやる、俺が四年間かけて身に着けた、メッキの勇者様像を。


 カナミの肩に手を置いたまま、心の中で深呼吸をすると、あの頃の自分を思い出す。鬼気に変ずる戦意とは見せるものではない、秘めるものだ。炎の闘志を氷の冷静に押し込めて、魔力を循環させる。


 ここは死蔓延はびこる戦場だ。たった一欠片の命さえも這いつくばって手の中に収めようとしたあの時を、俺は忘れない。


『「――カナミ、よく聞け」』

「ふぁ、は、はいっ!」

『「俺の剣は魔族を殺すために振るわれるのではない。数多くの命を救うために振るうものである」』

「‥‥その通りでございます」

『「俺の前で命を無碍むげにすることは許さぬ。恥辱も罪も、全て生きてあがなえ。人類のために貴様の命を使え」』

「――はい、承ったのでございます」


 よし、これでなんとかなった。


 なんかカナミの顔が泥酔した時の月子とかエリスみたいになっているのが気になるが、とりあえず命が保障されたからよしとしよう。


 気絶されたり自害されそうになったり、いろいろと衝撃的な出会いだったなあ。


     ◇ ◆ ◇


 俺が再びドリンクバーを取ってくる頃には、カナミも大分まともな状態に戻っていた。


「お、お恥ずかしいところをお見せしましたわ」


 恥ずかしいというか、衝撃的だったわ。なんだか乙女チックな反応だけど、君がやろうとしてたのって、武士チックな切腹だからね。赤面どころか顔が青くなりましたよ。


「まあ、それはいいんだが‥‥。一個、カナミに聞いておきたいことがあったんだよな」

「なんでございましょう?」

「今までどこにいたんだ? リーシャとははぐれたって聞いてるけど」


 そう、実はずっと気になってたんだ。


 守護者としての任を受けた英雄が、そうそう護衛対象を見失うとは思えない。


 カナミはスッと表情を引き締めると、口を開いた。


「その話をする前に、勇者様は今回の神魔大戦について、どれ程のことを御存じですか?」

「俺か? 俺が知ってるのは、『鍵』を人間が守って、魔族がそれを全員殺すことで終わるってことと、あとは」


 そこで、俺はあの夜のことを思い出した。


 ジルザック・ルイードと戦い、決着をつけたときのことを。


「『鍵』が死ねば、その分アステリスからこの世界に魔族と人族から英雄が転移することができることと、魔族もこの世界の人間を無作為に殺すことは出来ないってことだな」


 そう言うと、カナミは意外そうに目を丸くした。


「随分と、詳しいところまでご存じでございますわね。リーシャにはそこまで伝えていなかったのですが」

「まあな。さっき魔族と戦ったって言っただろ」

「ええ。ですが、それは勇者様が斬り捨ててしまったのでは?」

「それなんだがな――」


 あの夜、確かに俺は極剣アンカルナムによってルイードを斬った。しかし流石魔王の身体を触媒にしていたというべきか、それでもルイードは生きていたのだ。


 もはや全身は生きていることさえ不思議な程にボロボロ。そのうえ、限界を超えて魔王の身体という劇薬を触媒にしたことで、魔術回路も無惨な状態だったが。


 それでも、生きていた。




     ◇   ◇   ◇




 全ての赤が消え失せ、静寂を取り戻した夜の中で、襤褸切ぼろきれのような男が転がっている。


 白髪が乱雑に路上に広がり、血に塗れた身体は呼吸のために微かに上下していた。


 ただそれでも、唯一残った目には意思の光が宿っていた。ジルザック・ルイードは死の淵にありながら唇の端を歪め、不敵な笑みを浮かべながら口を開いた。


「‥‥くくく、流石勇者と言うべきか。鈍っていてもその剣筋と魔術、魔王様を殺したというのは嘘ではなかったらしい」

『「答えよ聞きたいことがある」』

「この死にぞこないに何を聞こうというのだ。悪いが、私も神魔大戦に参加している魔族については知らんぞ」


 俺もはなから仲間の情報を聞けるとは思っていない。魔族とは絶対的な個人主義。人族を殺すという目標のために同じ方向を向いているに過ぎず、仲間意識が極端に薄いのだ。


 知らないと言う以上は、本当に知らないのだろう。


 俺が聞きたいのはそこじゃなかった。


『「何故彼女たちを殺さなかった?」』

「なに?」


 ジルザック・ルイードは強い。


 それこそ、最初から殺す気で戦えば月子たちは今ごろ灰すら残ってはいまい。そもそも一般人に全く被害が出ていないこと自体不思議なのだ。


 人族と見れば皆殺し、というのが魔族だ。いや、人族と魔族は双方が双方共に殺さずにはいられない、そういう関係なのである。


 だからまだ月子たちが生きていることが不思議だった。


 一方で、ルイードもまた不思議そうに眉根を寄せた。


「‥‥まさか、勇者がこの神魔大戦のシステムを理解していないとはな。どういった事情あってのことかは知らんが。まあいい。私たちが人族を無為に殺さないのは、単にそれがルールだからだ」

『「ルールだと?」』

「ここはアステリスではない、別の世界だ。そこで異世界の私たちが人を殺し過ぎれば、世界のバランスを保つためにシステムが動き、私たちは次元の狭間にでも飛ばされる。魔神様の御威光も、遠い世界までは照らし切れないらしい」

『「随分、不敬な言い様だな」』

「くはは、長く生きれば信心との付き合い方も変わる。しかし、私たちが人を殺さないと思ったら大間違いだ」

『「なんだと?」』

「『鍵』を殺せば殺した分だけ、アステリスとこの世界を繋ぐ通路パスが広がる。そうなれば我らが神々の力も十分に介入できることになるはずだ。世界の防衛システムなど気にならない程の、な」

『「‥‥」』

「既に狩られた『鍵』も出てきている。これからは私よりも強力な英雄たちがこの世界に来るだろう、戦いはより激しくなる」


 そう言って、ルイードは笑った。


 そういうからくりだったのか。女神は俺一人を召喚するのに相当な力を必要としていたから、多数の人間や魔族を転移させる神魔大戦の在り方自体不思議だったのだが、ようやく分かった。


 大戦のシステムそのものが一つの魔術として機能しているのか。


 納得する俺を他所に、語ることは終えたとばかりにルイードは目を閉じた。


「さあ、もはや用はあるまい。殺せ」


 そうだな。これ以上の情報が出てくることはないだろうし、こいつは魔族。ただ生きているだけで危険な存在だ。


 俺は剣を持ち上げると、その切っ先をルイードの首にあてがった。


 だが、




『ユースケ、聞いて欲しいことがあるんだ』




 記憶の断片が、雷のように脳を走り抜け、焼いた。


 剣の動きが止まり、俺は兜の下で目を細める。


 それは在りし日の夢のように儚い記憶。物語と物語の間に挿し込まれた、幕間の会話。


 お前は最初からこうなることを、この未来を予見していたのか。あるいは、ただ戯れに言った言葉がこの身を穿うがつ杭となったのか。


 突きつけた切っ先はいくら力を込めようと微動だにせず、まるで誰かが俺の腕を掴んで止めているような気さえする。


 いくら考えようと答えはもう出ない。唯一それを知っていた最強の男は、俺が殺したのだから。


 ルイードが目を開け、俺を見た。


「何故、殺さない。人族如きが、この私に情けをかけるつもりか?」

『「黙れ」』


 こいつには、まだ利用価値がある。この神魔大戦は明らかに不審な点が多い。それを魔族の側から見れるルイードは重要だ。


 既に魔術回路は崩壊寸前で、もはや魔術らしい魔術を行使することもままならないだろう。今のルイードは月子たちでも容易く御せる老人に過ぎない。


 そんな理由を幾つも自分の中でこじつけ、俺はそっと剣を引いた。


 ルイードが驚愕に声を荒げる。


「どういうつもりだ、勇者! 私を、戦士を侮辱するつもりか!」

『「ここはアステリスではない。俺たちの勝手で汚すわけにはいかない」』


 こいつの処遇は、月子たちに任せよう。


 もしその上で人を害すことになるのであれば、その時は俺が必ずこいつの首をねる。


 そう心に決めて、俺はルイードに背を向けたのだった。




     ◇   ◇   ◇




「ということがあってな。今その魔族は魔術師専用の牢獄に捕らえられてる。悪いな、勝手な判断をして」


 そう言って、俺はカナミに頭を下げた。


 守護者である彼女にとっては、到底許せない結末のはずだ。


 しかし、カナミは首を横に振った。


「頭をお上げくださいませ。全ては勇者様の崇高なお考えがあってのこと。私如きが口を挟むことなどありませんわ」

「そ、そうか」


 ごめん、崇高な考えというか、完全に俺の事情なんだけど。


 とりあえず許して貰えたからよしとしようじゃないか、うん。


「では、今度は私ですわね。勇者さま、お耳をこちらに」


 カナミに手招きされ、俺はテーブルに身を乗り出す。するとカナミは真剣な目で俺へと顔を寄せた。


 なにやらいい香りが鼻を満たし、サラサラとした髪が頬に当たって擽ったい。傍から見れば、きっと頬にキスでもしているように見えただろう。


 いや、近いっすカナミさん。ちょっとこういうのは慣れてないのでもう少し離れていただけると嬉しいんですけど。今の状態も十分嬉しいんですけどね?


 と馬鹿なことを考えている間に、耳元でカナミが囁いた。




「既に魔族がこの近辺で暗躍していますわ」




 一難去ってまた一難とは、まさしくこのことだろう。

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