第48話 異変
寝ぼけた意識の中で、不思議な感覚がした。
ジュー、ジュー、と軽やかに油の跳ねる音がする。コポコポと聞こえるのは、何かが煮立つ音だろうか。
ほどなくいい香りもしてきて、すきっ腹も音を鳴らし始める。
こうなったらもう寝てもいられない。俺はまぶたを持ち上げた。懐かしいな、まだ実家にいた頃は、こうやって朝食ができる音で目が覚めた。
‥‥ん?
いや待て、おかしいぞ。今この家にいるのは俺とリーシャだけ。リーシャは心意気はともかく、料理の腕は包丁を持たせるのも危険なレベルだ。
俺はカーペットに横たえていた身体を起こす。
そこで、キッチンに誰が立っているのか気付いた。
俺が貸した白いシャツに、リーシャ用に買っておいたロングのフレアスカートを着た女性。菫色の髪が、白の中でよく映える。
「‥‥あー、おはようございます?」
「あら、おはようございますわ、ユースケ様」
クルリとこちらを振り返ったのは、リーシャ用に買ったエプロンを
見た目が異世界異世界している割に、エプロン姿が妙に似合うな。
「朝ごはん、作ってもらっちゃったのか。悪いな」
仮にもお客さんに作らせてしまうとは、申し訳ない限りだ。
ちなみにお客さんから居候にジョブチェンジした聖女様は、未だにベッドで寝ている。そろそろ働かざる者食うべからずという言葉を奴に教えた方がいいかもしれない。
カナミは鍋の中身をお玉でかき混ぜながら答えた。
「いえ、ユースケ様のお力を借りるばかりか、寝床もお世話になっている身ですから、出来ることはさせてくださいませ」
「‥‥やっぱり、そのユースケ様っていうの、やめないか?」
一応、昨日頼んで勇者様呼びは止めてもらったんだけど、様づけだけは止めてくれない。そしてやはり、思い虚しくカナミは首を横に振った。
「そういうわけにはいきませんわ。私たちにとって、貴方様は希望と栄光の象徴。それを粗雑にお呼びしては、この身に流れる血に顔向けできないというものですわ」
「んな大袈裟な」
「そう思うのであれば、リーシャにもその正体をお明かしになられては?」
「む‥‥」
リーシャなら俺の正体を知っても大して気にしなさそうけど、それは俺の希望的観測だ。出来ることなら今の心地よい関係は崩したくない。
「分かったよ、俺の負けだ」
「勝負をしていたつもりはありませんが。そろそろ朝ごはんにいたしましょうか、お口にあうとよろしいのですけれど」
「なら、あの寝ぼすけ聖女も起こすかな」
あと、ご飯の前に顔位は洗っておかないと。
ちなみにリーシャの名誉のために言っておくが、リーシャは修道女なので、基本的に朝は早い。今日の寝起きの遅さは、単純にカナミにかけられた魔術のせいだ。
さてと、昨日カナミに言われたことも気がかりではあるが、日常は待ってはくれない。とりあえず、朝食を食べながら作戦会議といこう。
◇ ◆ ◇
「今この近辺に潜んでいる魔族は、
エプロンを取って座ったカナミが、第一声でそう言い放った。
ちなみにテーブルに並んでいるのは、カリッカリに焼かれたベーコンにオムレツ、彩のよいサラダに野菜スープ、そして買い置きのパンはトースターできつね色に焼かれている。
オーソドックスな洋風の朝食だが、オーソドックスだからこそカナミの料理スキルの高さが窺える。少なくともオムレツを作ろうとして卵焼きだかスクランブルエッグだか分からないものになる俺とは大違いだ。
「へっ? 魔族ですか‥‥?」
今まさに野菜スープに口を付けようとしていたリーシャが、スプーンをもったまま俺とカナミの顔を見る。
とりあえずスプーン置きなさい、大事な話だから。
「はい、そもそも私があなたとはぐれた後、すぐに探し出せなかったのは、その魔族と交戦していたからですわ」
そこまで言われてようやく話の流れを理解したのか、リーシャが慌てて姿勢を正す。まあいきなりこんな話されても混乱するわな。
俺自身、昨夜聞いていなければ相当に驚いていたことだろう。
時系列としては、ルイードに襲われたはずみで、リーシャとカナミがはぐれ、リーシャはそのまま逃亡し、カナミはそれを追いかけようとしたが、別の魔族の妨害にあって断念ということになる。
それにしても、
直接戦闘能力が高いってイメージはそんなにないけど。
「カナミの言いぶりだと、まだ倒してはいないんだよな」
「ええ、恥ずかしながら。混の魔族が使う魔術は、自身の分体を作り出すことができるのですが、人に化けた分体ばかりを相手にさせられて、中々本命にたどり着かないのですわ」
「‥‥人に化けられるのか」
だとすれば、結構面倒だな。俺の魔術は発動さえすれば生半可な変装や隠蔽ぐらいは見破れるが、普段の状態だと難しい。
けれどカナミは首を横に振った。
「人に化けるくらいは大した問題ではないのですわ。私の眼を欺くことは絶対にできませんから」
「凄い自信だな」
「ユースケ様を超える隠蔽魔術は見たことがありませんわね」
「‥‥そりゃどうも」
考えてみれば、俺の正体を見破っている時点でシャイカの眼の性能は相当なものだ。
「あの、なんのお話でしょうか」
「なんでもないよ」
目を白黒させているリーシャに俺は適当に手を振っておく。
雑な扱いを受けているというのに、リーシャは胸に手を置くと、ほっと一息ついた。
「どうかしたのですか?」
「‥‥いえ、てっきりあまりにも役立たずだから見捨てられてしまったのかと、少しだけ思っていたので」
はにかみながら、けれど守られているという立場故の無力感が、見え隠れする。
その言葉に、カナミはなんとも言えない表情で唇を歪めた。そして、リーシャの金色の頭に手を置くと、優しく撫でる。
「私の役目は貴方を護ること。この命ある限り、その使命を投げ出すようなことはしませんわ」
「カナミさん‥‥」
「たとえ、貴方がどれだけポンコツ迷子聖女であったとしても」
「カナミさん!?」
リーシャが驚きの声をあげるけど、それについては否定し辛い。どことなくポンコツ感が拭えないんだよなあ。あらゆる面で高スペックなはずなんだけど。
ところで、美女が美少女を撫でている場面って、最高に百合百合しくて朝から耽美な雰囲気がヤバい。俺の部屋が突然フローラル。
ピンクの空間を堪能している時、あることに気付いた。
「ん、でもカナミの言い方だと、他に問題があるみたいな感じだな」
リーシャの柔らかそうなほっぺたをこねくり回していたカナミがこちらを向く。なにそれ、俺もやりたい。いくら出せばいいの。
カナミはリーシャをあうあう言わせながら、口を開いた。
「ええ、そうですわね。実は一つ、面倒な問題が――」
その言葉が最後まで続けられることはなかった。
爆発するような意識の切り替えが起こり、魔力が全身を駆け巡る。
けたたましい音とともに、俺は『我が真銘』を発動し、カナミはリーシャを部屋の隅に突き飛ばして立ち上がる。
部屋の窓が砕け、外から誰かが飛び込んできたのは、ほぼ同時のことだった。
衝撃に料理がテーブルごと吹き飛び、カーテンが千切れんばかりにはためく。粉々になったガラス片の中に浮かぶのは、天使と見紛う女性だった。
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