第76話 生意気な新人

 何とか気持ちを立て直し説明会の部屋に入った瞬間、敵意剥き出しの視線が叩きつけられた。


 月子は目を細めてその視線の主を見返した。


 そこにいたのは黒髪に紫のメッシュを入れた猫目の少女だった。年は月子よりも更に下だろう。派手な化粧で分かり辛いが、明らかに幼い顔立ち。恐らく十代半ばだろう。


 この年齢でここにいるということは、十中八九新人研修の参加者。見覚えがないので会ったことはないはずだが、月子に向ける視線は槍のように鋭い。


 何故こんな敵意を向けられているのかは分からないが、さっきの柔和な眼に比べれば感じる圧は比べるべくもない。竜の目前にいた人間が、今更山猫の威嚇程度で動揺しろという方が無理がある。


 少女の隣にはこれまた若い少年少女たちが四人。恐らくこの五人が参加者。部屋にはほかに二人の男性が座っていた。壮年の男性と、まだ青年と言って差し支えない男性だ。


 月子は少女の視線に反応することなく、上座に陣取る壮年の方を向いた。


「失礼します、三条支部の伊澄月子です。本日はよろしくお願いいたします」

「やあ、伊澄さん。今日はわざわざすまないね。どうぞ、こちらに」


 男は土御門同様笑みを浮かべて伊澄を迎えた。どこにでもいるサラリーマンといった様子で、とても魔術師には見えない。


 しかし侮ってはならない。この対魔特戦本部で生き残っているということは、煮ても焼いても食えない古狸である。


 この場で何か交渉があるとは思えないが、毅然とした姿を崩すことはできない。


 気を引き締めて月子は席に座った。


 そして間もなく、新人研修の説明会が始まった。


「場所は長野県の大園山おおぞのやま。篠藤幸助さんの私有地で、普段は人が入らない場所なのですが、春から山菜を取りに不法侵入した人が怪我をして出てくる事態が起きています。怪我人の傷口はほとんどが切り傷、どれも軽傷で済んでいますが、傷を負って死んでいる小動物なども発見されています」


 男の説明が滔々と流れる。


 スクリーンには怪我を負った人の写真や死んだ小動物の写真などが写し出された。どれも確かに切り傷だが、鋭利というには鈍い傷口だ。まるで刃毀れした刃で無理やり切り裂いたような傷。


「事前の調査では微かな霊障が確認されており、特戦本部では今回の霊災を『丙一種』として認定。今回の任務ではその実態の調査をしてください。状況によっては、現場での判断で禊も行ってもらいます」


 月子は話を聞きながら手元の資料をめくって目を通した。彼女は引率者として選抜されているため、このあたりの情報は事前に綾香から聞いている。


 こういった怪異による災害は『霊災』と呼ばれ、その規模によって甲乙丙丁を更に一種、二種に分けて分類される。最も規模の大きい霊災が甲一種。広範囲に渡って甚大な被害をもたらし、復興に相当の時間を要するレベルであり、それこそ龍や土地神といった天災に等しい怪物たちによる霊災だ。


 一方で今回の霊災は丙一種。複数の人間に対して実害をもたらすレベルでありながら、生命の危機には値しないものとされている。


 分類としては真ん中よりも下だが、田舎でこういったことが起こるのは珍しい。


 そもそも科学技術によって夜と神秘が駆逐された現代において、霊災の質は大きく変わってきている。


 都会のような人が集まる場所において、悪しき想念が入り混じって生み出される蟲毒の虫。現代の霊災の多くはそれだ。


「篠藤さんによれば、買った時から山の中には小さな社があり、その社だけは決して壊さないようにという話を元の持ち主から聞かされていたそうです。恐らく今回の霊災はその社が原因と目されています。では次に調査の日程について――」


 男の話が続く。


 触れてはならない社。ということは古くから存在する悪霊か妖か。大体の場合は長い年月で人々から存在を忘れられ、中身を空ければもぬけの殻というのがよくある話だが、実害をもたらすレベルで力を残しているとすれば、それは果たして丙種で収まるか。


 ついさっきの土御門の言葉が頭の中でリフレインする。


 やはり毒だ、たった一つの言葉が確実に頭を蝕んでいるのが分かった。


「では次に今回の研修に参加する人員の紹介に移りたいと思います。まずは引率者としてお二人、よろしくお願いします」


 男の言葉に月子ともう一人、男性が立ち上がった。


「是澤蓮台です。実力は第三位階で、あまり戦闘は得意ではありませんが、皆さんの円滑な研修のためにサポートをしていきますので、よろしくお願いします」


 そう自己紹介したのは、眼鏡をかけた青年だ。名前を聞き思い出した、彼は月子も知っている人だ。確か綾香の同期で、若年ながら本部勤めになった英才。


 初めから月子に引率者としての仕事など求めていないということだろう。是澤が事実上の引率者というわけだ。


 ちなみに位階は魔術師としての腕を評価したものであり、対魔官の役職とは異なる。


 零れそうになるため息をこらえ、次は月子の番だ。


「伊澄月子です、魔術師としては第二位階。引率者の経験は浅いですが、よろしくお願いします」


 言い終わり頭を下げると座っていた新人たちは驚きの声を出しながら会釈を返した。こんな新人研修に有名な第二位階が参加するとは思っていなかったのだろう。そんな中、唯一紫頭の少女だけは顎を上げて傲岸不遜に視線を寄越してきた。


 なるほど、舐められてる。


 しかしここで分からせる程月子は子供じゃない。こう見えて負けず嫌いで喧嘩っ早い月子だが、見るからに二十歳にも満たない小娘を相手に激昂する等言語道断。


 彼女は清楚で淑やかな淑女なのである。故に髪が静電気で微かに逆立っているのも、指先の間で火花が散るのも、冷房で乾燥した部屋のせいだった。


「では次に、参加者の方から挨拶をしてもらいましょうか」


 月子が座ると同時に、男が言った。


 すると五人の新人が立ち上がり、一人ずつ自己紹介を始めた。その中で月子が目を止めたのは、三人目に挨拶をした少年。


右藤真理うどうしんりです。十七の高校三年。あんまりこういう経験はしたことないんで、今回のをいい経験にしたいと思います。よろしくお願いします」


 その名、正確には苗字に聞き覚えがあった。


 右藤家は確か、対魔術師に特化した家。犯罪を犯した違法魔術師を取り締まる対魔官の中でも異質な存在。


 右藤真理は金髪に染めた髪、耳にいくつもピアスをつけた不良少年といった風体である。敬語もどこか取って付けたような無理矢理感を感じる。


 大学入ったばかりの総司に似ているなーと月子は昔を思い出しながら彼を見ていた。軽薄そうに見えて隙の無い立ち姿もよく似ている。少なくともこの新人の中では頭一つ抜けた実力者だ。


 そして最後、問題の少女の番が来た。


「‥‥」


 少女ははじめ、自分の番が来ても黙して月子を見るだけだった。足を肩幅に開き、腕を組み仁王立ちは明らかに新人の態度ではない。


「軋条さん?」


 進行を務めていた男性が訝し気に問いかけると、少女は悠々とした足取りで一歩を踏み出した。そして、明らかに敵対心剥き出しの眼で月子を睨みつけながら、尊大な口調で言い放った。




「軋条家長女、軋条紗姫きしじょうさき。あんた、天才だか姫だか言われてるみたいだけど、本当の天才、魔術に愛された存在はこの私よ。それをこの任務で分からせてあげるわ」




 ――は?


 思わず飛び出そうになるドスの利いた声を、月子はすんでのところで押しとどめた。ここが対魔特戦本部ではなく、周りの目がなければ即座に返しの言葉で殴りつけていたことだろう。


 一方紗姫と名乗った少女は満足そうに座る月子を見下ろしていた。


 かくて波乱の新人研修が幕を上げたのだった。

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