第259話 シキンの正体

 千里に見えたのは、剣閃の残光だけだ。


 勇輔の剣が、シキンの乱打を弾いている。豪雨を超える速度と量で振るわれる拳を、全て千里の前で防いでいるのだ。


 ただの一発も、攻撃は千里に届かない。


 先ほどまでの戦いとは違う。勇輔はシキンだけではなく、後ろにいる千里も気にかけなければいけない。ほんの少し攻撃を受け損なえば、千里は死ぬ。


 今勇輔にかかっている重圧は、想像をはるかに超えるもののはずだ。


 更にいえば、勇輔の身体は既に満身創痍まんしんそういと言っていいレベル。剣を振るどころか、立っていることさえ辛いだろう。


 それでも剣は輝きを失わず、むしろ時間を経るごとに鋭さを増してシキンの拳を弾いていく。


 ――これなら行けるかもしれない。


 そんな慢心まんしんまねいたのか、あるいはその油断を見逃さなかったのか。


雲雷鼓掣電うんらいくせいでん


 ダンッ‼ と乾いた炸裂音が鼓膜を打つと同時、勇輔が横に吹き飛ばされた。


 誰も気づかない、鮮やかな静と動の変転。


 ひょうの間を駆け抜ける雷撃の一閃は、勇輔をして受けきることはできなかった。


「‥‥」


 すぐ近くでシキンが千里を見ていた。


 彼女が望んだ間合いに、自ら踏み込んできたのだ。


 しかし千里の方がその展開についていけていなかった。千里がシキンに奥の手を打ち込むためには、彼女自身が踏み込んで仕掛ける他ない。


 シキンの腕が優しささえ感じるほど自然に千里へ伸ばされた。


「『夢幻霆剣レイギルヴ』」


 今度はシキンが千里の視界から消えた。


 一直線に残る翡翠ひすいの火花だけが、勇輔が何か技を使ったのだということを教えてくれる。


 双方ともに無茶苦茶だ。怪異としての力を完全に開放した千里をして、何が起きているのかさっぱり分からない。


「『四辻、合わせろ。次で動きを止める』」

「わ、分かったよ」


 攻撃を受けるだけでも精一杯のはずなのに、どうやって動きを止めるのか。千里には勇輔に何が見えているのか理解できなかったが、頷いた。


 どちらにせよ、彼に賭ける他ないのだ。


「よき一撃だ! 我の不意を突くほどの速さとは!」


 歓喜の声を上げるシキンに向けて、勇輔は剣を構える。右手にはバスタードソードを、左手には魔力の剣を。翡翠の光が螺旋となって腕に巻き付き、銀の刀身に翡翠の模様が走る。


「『根競べだ、シキン』」


 もはや悲鳴にも似た魔力の高鳴り。


 剣が振るわれ、翡翠の嵐がシキンを飲み込んだ。


「『封陣嵐剣ラエミカティア‼』」


 風が、シキンの肉体をつかんだ。


 本来なら比喩表現でしかありえない事象だが、千里の目には確かにそう見えた。風神の手とでも呼ぶべき巨腕きょわんが、シキンを捕らえたのである。


「ぬ、これは動けんな」


 シキンが身体を動かそうとするが、風の圧はそれを許さない。指の一本に至るまで風は入り込み、その動きを縛り続ける。


 千里は知るよしもないが、本来この『封陣嵐剣ラエミカティア』は、広範囲を殲滅する嵐剣ミカティアを、一か所に集中、操作し続けるという技である。


 本来なら、捕らえられた相手は動くこともできぬまま、細かな斬撃の群れに皮膚から削られていき、血飛沫ちしぶきと共に霧散むさんする。


 無窮錬を発動するシキンだからこそ、動けないだけで済んでいるのだ。


 あの怪物をもがんじがらめにする斬撃の牢獄。確かに強力な技だ。


「でも、これじゃ僕も近づけない‥‥!」


 千里は歯噛みした。


 勇輔の封陣嵐剣ラエミカティアは、圧縮された嵐そのもの。千里では近付いただけで文字通り粉々になってしまう。


 勇輔とて、そんなことは百も承知だった。


「『チャンスは一瞬だ。技が破れる一瞬だけ、あいつに踏み込む隙が生まれる』」


 話している間にも、勇輔の身体は残像を残して剣を振るい続けていた。あのシキンを止めるのだから、少したりとも気は抜けない。


「‥‥」


 千里は喉を鳴らして頷いた。


 恐らく、機会はこの一度きりだ。その一瞬をものにできなければ、千里は二度とシキンに近づけない。


「『はぁぁああああああああああ――‼』」


 剣を振るう速度が上がる。


 更に上がる。


 限界を超え、加速する。


 嵐の腕は捕らえたシキンを握り潰さんと隆起りゅうきし、そして圧縮されていった。


 このまま千年という時間ごと潰してしまうのではないか。


 そう思わずにはいられない気迫と魔力の高まりだった。


 しかし嵐の奥から、紫紺しこんの光が透けて見え始めた。光は徐々に濃くなり、最後には嵐を切り裂いて輝く。


 そして勇輔の言った通り、その時は来た。


 シキンが封陣嵐剣ラエミカティアを強引に打ち破ったのだ。


 魔力と魔力が反発し、凄まじい爆発が起きた。翡翠の嵐と紫紺の鬼たちは、互いに食らい合いながら拡散する。


 衝撃に床板がめくれ上がり、部屋そのものが崩落するのではないかという揺れに襲われた。


 その中で、勇輔とシキンは相手へと踏み込み、剣と拳を振るっていた。


 千里の力では、近づくどころか、衝撃に吹き飛ばされていただろう。


「――!」


 しかし千里の目には、確かにシキンへと至る道が見えていた。


 わずかに残った翡翠の光が開いた、希望への道筋。


 千里は考える間もなく、その道を駆けた。


 そしてついに辿たどり着く。


 千里は指に挟んだ一枚のカードを、シキンの額へと当てた。彼女の魔術では、シキンに傷を与えることはできない。


 それでも人である以上、絶対に通る技がある。


 それは、真実という名のやいばだ。


 ――シキン、あなたは遠き過去、仙道の道を命を懸けて歩んだはずだ。そんな人間が目的を変えるためには、それこそ生まれ変わるか、初めからそうだった・・・・・・・・・と思いこむ他ない。


 つまり仙道と無窮錬むきゅうれんの両立を成しえている秘密とは、強力な暗示あんじ


 長寿の術も、それまでに積み重ねた全ての修練も、初めからあるじのためだったと思い込むことで、『無窮錬』という魔術の形に落とし込んだのだ。


 勇輔は沁霊の気配を感じなかったと言ったが、それで当然。何故ならシキン自身が、自らを偽っているのだから。


 目的を見失った、死にぞこない。


 千里がそうシキンを称したのは、そういう理由だった。空の悟りという目的を見失い、かといって死という道も選べず、生に執着した。


 今ここに、あなたが隠した真実を暴き立てる。


かい‼」


 カードに込められた真実の言霊ことだまが、シキンの頭を貫いた。


 魔術とも呼べない、原始的な言葉の力だ。


 もしも千里の予想が外れていれば、この一撃は何の意味も持たず、シキンに殺されるだろう。


 しかし千里にはどこか確信があった。


 この部屋の内装、シキンの言葉の節々に現れる、悔恨かいこん


 飄々ひょうひょうとした物腰ではあったが、シキンは間違いなく何かを背負っていた。人生観ががらりと変わるほどの、何かを。


「‥‥」

「『‥‥』」


 世界が停止していた。


 勇輔も千里も、先ほどまでの激戦が嘘のように、ゆっくりと腕を下ろす。


「――――」


 その視線の先で、シキンが動きを止めていた。 


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