第390話 聖女と魔将の星

 ユリアス・ローデストの正体は、リィラの記憶の中で彼女の側付きをしていたアイリスだった。


 それだけを聞くとなんのこっちゃだが、こうして目の前でアイリスの姿を見せられれば、納得せざるを得ない。


 いろいろと聞きたいことが多すぎるが、とりあえずこれだけは言っておこう。


「お前、女の子になってたのかよ‥‥」


 勇者時代のラスボスが可憐な女の子に転生していたというのは、そこはかとなくショックだ。


 ユリアスは鈴を転がすような声で笑った。


「そうか、君はそういう見方をするんだね。心配しなくても、私にとっては性別も肉体も、さして重要なものではない。私たち魔術師にとって、最も大切なものは魂だからね」


 そう言って軽く髪を払うと、次の瞬間には先ほどまでと同じユリアスの身体に戻っていた。


 そっちの方が話しやすくて助かる。


 ユリアスは窓の外に広がる街並みを見下ろした。風が部屋に入ってきて、彼の髪が揺れる。


「さっきも言った通り、私が生まれたのは遥か古代。人々が街を作り、国をおこし、文明を築いた時代だ。そして同時に、魔術が生まれた時代でもある」


「現代の魔術は、そこから始まったのか」


「いや、それは少し違う。君も知っての通り、現代の魔術は起源のそれに比べて劣る。何故なら起源の魔術師たちのほとんどが、その技術を継承することもできず、多くが迫害によって殺されたからだ」


「殺され‥‥?」


 現代の科学兵器を持った兵士ならともかく、その時代の人々が魔術師を殺せるとは思えない。


 しかも起源の魔術師たちは現代の魔術師よりも遥かに強力だったんだろう。


 それなら力関係は逆のはずだ。


 ユリアスは寂しげな笑みを浮かべた。


「人族と魔族の力関係のようなものだよ。魔術師として大成する者の多くは、自分の世界観を持つ、究極の主我主義者エゴイストだ。いくら強かろうと、個であればいずれ集によってすり潰される」


「それはそうかもしれなけど、そこまで一方的にはならないだろ」


「敵がただの人間であればそうだったかもしれない」


 ユリアスはそう言って、空を指さした。


 いつの間にか空は暗く、夜に変わっていた。そこには現代の都会では見ることのできない、満天の星空が広がっていた。


「古代の地球はアステリスほどではないが、エーテルが濃かった。人々は強力な個である魔術師を相手にするために、あるものを作り出した」


「あるもの?」


「神だよ」


 ユリアスは端的に答えた。


 星空が、美しく瞬く。


「人々は神を創り出し、それが魔術であると認識しないまま、神の奇跡として力を行使した。まさしく神の軍勢だ。信じられるかい? それこそ勇者や魔王のような、神に選ばれた英雄が何人も存在したんだ」


「魔術師が魔術師を迫害したのか?」


「彼らには自分が魔術を使っているなんて意識はないさ。どんな超常の力も、それは神のものであり、正義の力なんだ。現代でも場所によっては、魔術の多くが神の奇跡として信じられている」


 その言葉を聞いて、俺はふとシャーラを連れてきてくれた人を思い出した。確か彼はキリスト教の十字軍に所属していると言っていた。その時は大して気にも留めなかったが、あれは古代から受け継がれてきた、魔術を奇跡として扱う文化の延長線上のものだったのか。


「そうして多くの魔術師が追われる身となった」


 ユリアスの言葉に従うように、星空が姿を変える。星々が意志を持つかのように動き、一枚の絵を描き出した。


 それは多数の人々によって追われ、殺される少数の姿。


 星は動く。


 矢が降り注ぎ、槍が貫き、剣が斬った。


 あの輝きの向こう側には、生々しく流れる血の河が流れていたのだと思うと、胸が痛い。


「もちろん魔術師たちも抵抗したが、神の軍勢は強かった。集団による信仰こそが、彼らの強さの根幹だ。その恩恵はすさまじく、個人では決して対抗することはできなかった」


 魔術とは感情の励起れいき、言ってしまえば思いの力だ。


 信仰ほど強い思いもそうそうない。


「魔術師は数を減らし、消え去る運命にあった」


 圧倒的な暴力から逃げる人々が、一か所に固まっていく。


 その中から、一際輝く星が二つ現れた。


 金と、赤の星だ。


「その時だよ。周囲の運命をも捻じ曲げる、強大な力を持った二人の魔術師が現れた」


 星が、向かい合う二人の男女を描く。


 それを見なくても、誰なのかは分かった。


「聖女リィラと、魔将ましょうグレン・ローデスト。二人の登場によって、戦況は一変した」


 圧倒的な多を誇る軍勢を、少数が打ち破る。


 剣や槍に対して振るわれる炎や水、雷などの超常現象が、軍勢を壊滅させる。そして四方八方から浴びせられる攻撃は、全て途中で止まってしまった。


「聖女リィラの守護は、あらゆる悪意から人々を守り、生活を安定させた。そして魔将グレン・ローデストの魔術は、無敵だった神の軍勢を容易く壊滅させた」


 夜空のスクリーンに映し出されるのは、魔術師たちの快進撃だった。


 逃げるしかなかった敵を、逆に追い立て、多くの人々を殺していった。


 嫌になるほど、見た光景だ。


 そんな光景を、ユリアスは自嘲じちょうするかのような薄ら笑いで見ていた。


「戦いは膠着こうちゃく状態におちいった。いくらグレン・ローデストが強くても、多数を相手取るには限界があったんだ。だから彼らは求めた。自分たちが自分たちとして過ごすことができる新天地を」


「それが、アステリスだったのか」


「そうなるね」


 ユリアスは頷いた。


 星空が場面を変えた。祈りを捧げる女性と、巨大な船だろうか。帆船と呼ぶには帆がなく、ボートと言うには巨大すぎる。


「あれは‥‥」


「聖女リィラが長い時を掛けて作り出した魔術『方舟ハコブネ』だよ。彼らにとっても未知の領域である空間の渡航。それを成し得たのが、あの魔術なんだ」


「たった一人で、異世界を渡る魔術を作ったのか?」


「その通りだよ。彼女の想像力と魔術は、どこまでも自由だった」


 マジで言ってんのか、考えられないぞ。


 地球からアステリスに渡った俺だからこそ、余計にそう思う。


 そもそも異世界っていう感覚を持つことさえ、普通の人間にとっては不可能だ。たとえ異世界って概念があったとしても、それを心の底から信じている人間なんてそういないだろ。


 古代に一人で宇宙の存在に気づき、ロケットを作って、別の星に辿り着く。


 リィラが行ったのは、つまるところそういうことだ。


 人間じゃねえ。一人NASAかよ。


「ある意味、起源の魔術師だからこそできたことだろうね。常識や固定観念に囚われないからこそ、神秘の幅は無限に広がり続けた」


「だからって限度があるだろ」


「私も驚いたさ。突然、『大発見よ、別の世界が近くにあったわ‼︎』なんて言われて、心臓が口から飛び出ると思ったね」


「そんな昭和のコメディみたいな驚き方ですむ話か?」


 俺なら頭叩いて治らないか試すけど。まあ実際は叩かれるどころか一歩引かれて、頭のおかしい子を見る目で見られるんですけどね。一番心にくるから、やめてほしい。


 ユリアスは笑った。


「聖女リィラは『方舟ハコブネ』を完成させ、魔術師たちは楽園を求めて異世界へと旅立った。そして降り立ったのが、地球よりもはるかにエーテルの濃い世界、『アステリス』だった」


 グレン・ローデストとアイリスの別れを思い出す。


 あれがアステリスへと旅立つ直前のことだったんだろう。


 そして俺が聞くべきなのは、きっとその後のことだ。


 だってここまでの話では、『神魔大戦』なんてものが起きようがない。


 そもそも、人族も、魔族もいない。


 いるのは、地球から楽園へと辿り着いた、人間だけだ。


 星々がぐるぐると回り出す。まるで時の経過を表すように、何回も何回も、目が回るくらいに、円を描く。


 そうして気づいた時、星は二つの陣営に分かれていた。


「ここからは私にとっても予想の話だ。実際に見たわけではないけれど、真実の形に近いと思っている」


 ユリアスの声色は、先ほどまでと明らかに変わっていた。


「地球にいた頃から分かっていたことではあった。街に逃げてきた人々のほとんどは魔術師だったけれど、その力には差があったんだ」


 二つに分かれた陣営の、左側が強く、大きく光を放ち始める。


「そして強力な魔術師ほど我が強い。曲がりなりにも集団として機能していたのは、聖女リィラと魔将グレンがいたこと、そして共通の敵がいたからだ」


 星と星は、光を放ち、線が繋がる。


 それは雷にも、火花にも見えた。


「いずれ決裂は決定的なものになり、世界を渡った魔術師は道を二分した。社会で生きることを選んだ者と、我が道を進むことを選んだ者。そしてその瞬間、リィラとグレンの運命も、対立することになった」


 頭が痛い。呼吸をしているはずなのに、酸素が足りなくて、心臓が激しく動いている。


 ああ。


 本当に、まったく。


 くそったれな話だ。


「人として生きる人族と、魔術師として生きる魔族。二つの種族は、こうして生まれたんだ」


「‥‥」


 たしかに昔から疑問だったんだ。


 人族と魔族は、互いに憎み合う不倶戴天ふぐたいてんの敵であるのに、その容姿はよく似ている。


 魔力や魔術の特性が色濃く反映される魔族の方が特徴的な見目をしているが、異形とまでは言えない。


 そして両者は同じ言語を用いて、意思疎通ができる。


 当たり前の話だったんだ。


 だって、ルーツが同じなんだから。


「聖女リィラは時を操り、魔将グレンは己の体を完全に操ることが可能だった。二人は老化することもなく、二つの陣営は発展を続けた。その最中、大きな問題が起きる」


 ユリアスの言わんとしていることが、すぐに分かった。


「エーテルの枯渇こかつか」


「その通りだよ。エーテルは自然界に満ちるエネルギー、生命が存在する限り、循環を続け、自然と回復していくものだけれど、その最大量は変わらない。魔力を使う人族と魔族の生活は、その最大量を越える消費に至ってしまった」


「だから」


「神魔大戦が始まった」


 二つの陣営から、女性と男性の星座が現れる。


 聖女リィラと魔将グレン・ローデスト。


 二人は向かい合う。


 こんなのあんまりだ。


 誰も、止められなかったのか。


 人々の熱狂は巨大なうねりとなり、二人を戦いへと押し流す。


 星が輝き、ぶつかり、爆ぜた。


 後に残るのは、まばらに残る星座にもなれない、星のかけらだけだった。


「一度目の神魔大戦でリィラもグレンも命を落とし、彼らは人から神になった。神魔大戦という巨大な魔術を維持するための部品として、神にされてしまったんだよ」

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