第41話 そこには男の夢が詰まっている

「まあ、それが妥当だろうな」

「ですね」

「‥‥いいんじゃないか」

「‥‥」


 周りを見ても、全員が頷いている。こやつら‥‥。というか会長はまだダメージ抜けきってないんですか、メンタル豆腐か、あの人。


 とっくりを揺らしながら、陽向がやけに艶めいた声で言う。


「リーシャちゃんの保護者は今のところ先輩なわけですし、罰ゲームも先輩が受けるのは妥当でしょう。それとも松田さんに任せますか?」

「む‥‥そう言われると」

「僕は全然ウェルカムだよ!」

「分かった、俺が受けもとう」


 たとえ罰ゲームといえど、リーシャの何かを松田に肩代わりさせるわけにはいかない。なんというか、ただそれだけでリーシャが汚れた気分になる。聖女と勇者を相手にここまで危機感を抱かせるとは、こいつ実は魔王の生まれ変わりなんじゃなかろうか。


「それじゃ、リーシャも入れてもう一回だな。ミスった勇輔からだ」


 新しく頼んだ俺のビールも届き、総司の言葉で全員が身構える。一度飲んで逆に目が覚めた。たとえ酒の席であっても、勝負事は勝ってなんぼだ。


「それじゃ行くぞ。古今東西! お題は『読めない名字』!」 


 パンパン!


「一」


 パンパン!


「山本ユースケさん!」


 パンパン!


「小鳥遊」


 パンパン!


「‥‥指宿」


 パンパン!


「東雲!」


 パンパン!


「雲母!」


 パンパン!


「四月一日」


 こいつら、流石に手慣れてるな。相当難易度の高いお題だというのに、強いぞ。


 パンパン!


「百目鬼」


 そろそろ俺もストックが怪しい。あと一周したら場合によっては答えられんぞ。どうするかな。次はリーシャの番だ。


 パンパン!


「松田むめ‥‥むねの、むねのりさん!」


 おっふ。


 全員の手拍子が止まり、テーブルには静寂が舞い落りる。


 「あ、あれ、私なにか失敗しましたか?」というリーシャの声がその中でやけに鮮明に響いた。


「あー、リーシャ」

「ゆ、ユースケさん、な、なにかマズいことをしてしまったでしょうか」

「悪いことはなんもないんだが、このゲームは噛んだり止まったりすると、ミスになるんだよ」


 リズムに乗るのが大事なゲームだから、少しでもそれを滞らせたらアウトだ。


 固まっているリーシャに、陽向が苦笑いしながら声をかけた。


「今のはしょうがないですね、リーシャちゃん、普段から先輩もユースケさんって呼んでますし」


 そうだな、リーシャが日本語堪能なのは間違いなく女神の加護だろうが、それでも名前に関しては呼びにくいらしい。


 なので場合悪かったのはリーシャではなく、


「呼びにくい名前してる松田が悪いな」

「そうだな、松田が悪い」

「そうですね、松田さんが悪いと思います」

「なんて謂れのない誹謗中傷! 突然なんのご褒美だい!?」


 ほらな、松田が悪い。


 そうして皆で頷いていると、満面の笑みを浮かべた会長が俺のビールのグラスを掲げていた。


「勇輔、女の子のミスをカバーするなんて最高にかっこいいじゃないか」


 ファック。



     ◇ ◆ ◇



「よし、十回目だいくぞぉ!!」

「先輩、もうグロッキーに見えるんですけど大丈夫ですか?」

「こんらもん屁でもねえわ! 山本勇輔をらめんじゃねえぞ!」

「‥‥もう大分駄目そうですね」


 勇輔は真っ赤な顔で頭を左右に揺らしながら、呂律の回らない口調で陽向に「なんだとぉ」と絡む。


 あれから数度ゲームを行い、酔いの回り始めていた勇輔は結構な頻度で負けた。元々酒に大して強くないということもあり、ほぼ泥酔状態である。


「だから僕はアダルトグッズの鞭なんかじゃ物足りないって言ったのに‥‥」


 その対面では勇輔に狙い撃ちにされた松田も机に突っ伏していた。古今東西はお題を『信号機の色』、『日本の首都』など答えの数が限定されたものにすることで、特定の相手を狙い撃ちでアウトにすることが出来る。


 もちろんそれが許される場で、相手でなければいけないが。


 結果的にこの場は勇輔と松田のダブルノックアウト。ゲームの続行をする流れでもない。


「あ、すいません。お冷頂いてもいいですか。二つ」


 陽向は近くにいた店員を呼び止めると、二人用のお冷を頼んだ。とりあえず酒に酔った時はチェイサーを流し込んでアルコールを薄めるしかない。


 大してお酒に強くもないのに、調子に乗るからこういうことになるのだ。


 陽向は店員からお冷を受け取ると、ぐったりし始めた勇輔に声をかけた。ちなみにもう一つのお冷は適当に松田の近くに置いておいた。


「ほら先輩、お水頼みましたから飲んでください」

「みずぅ?」

「はい、飲まないと倒れちゃいますよ」

「ばっかお前、向うにいた頃はもっと飲まされてたんだからなぁ、こんなんで倒れるわけないだろぅ」

「分かりましたから、ほら口開けてください」


 未だブツブツと何かを呟く勇輔の口に、陽向は強引にグラスを押し当てて水を飲ませた。口の端から水の滴が零れ落ちるが、気にせずに飲ませる。


 向うって、なんの話だろうなと思いながら水を全て飲ませると、今度はおしぼりで勇輔の口周りを拭いてやった。


 大学に入ってから三か月程度、酔っ払いの介護も随分うまくなった。陽向が飲み会に誘われる回数が異様に高いというのも理由の一つだろう。


 もう一杯ぐらい水を頼んどこうかと店員を目で探していると、リーシャが心配そうな目で陽向を見てきた。


「どうかした、リーシャちゃん?」

「あの、ユースケさんは大丈夫なのでしょうか。こんなにグッタリしてしまって‥‥」


 紅い瞳に宿る、不安そうな輝き。リーシャと勇輔が出会ったのだってつい最近のはずなのに、本当にリーシャに頼りにされていることがよく分かる。


 それが嬉しいようなもどかしいような、複雑な気持ちだ。


 女ったらしめ、と口の中で呟きながら、陽向はリーシャに笑いかけた。


「大丈夫大丈夫、意識失ってないし、水も飲んだから、あとはゆっくり休んでればすぐ元に戻るよ。先輩、お酒弱いけど抜けるのも早いから」

「そ、そうなのですか」


 はじめて見た人はびっくりするかもしれないが、意外とこの程度の酔いであれば、数時間もすれば酔いも醒める。


 私も慣れるまでは心配だったなあ、と陽向が昔を思い出して微笑ましい気分になっていると、次の瞬間、リーシャの取った行動に目を見開いて固まった。


「ユースケさん、こっち来てください」

「んあ、リーシャ?」

「ほら、少し休んだ方がいいみたいです」


 あろうことか、リーシャは勇輔の腕を取ると、そのまま彼の身体を横たえたのだ。


 リーシャと勇輔が座るのは壁際の長椅子部分なのでそれ自体は問題ないが、問題なのはその体勢である。


 リーシャはなんの躊躇いもなく勇輔の頭を自らの太腿に乗せたのだ。リーシャの柔らかそうな脚に勇輔の後頭部が乗り、細く白い手が火照った頬を抑える。


 いわゆる、膝枕。


 家族でなければ、恋人のように親密な関係でなければ行われない特別な体勢。


「え、あ、え」

「? どうかしましたか、陽向さん?」


 あまりに突然の事態に言葉が出ない陽向に対し、リーシャは首を傾げた。自分の行いに微塵の疑いもない純粋な瞳だ。


 とても間接キスで声を荒げていた少女と同一人物とは思えない豪胆さに、陽向は何も返すことが出来なかった。


 勘違いしてはいけないのが、リーシャにとってこれは決して男女の親愛的行為ではないという点だ。あくまで治療行為であり、やましいことは何一つないのである。


 故に、慈愛に満ちた表情で勇輔の髪の毛を撫でる行為にも邪な思いは一切なく、それを見ておかしな考えを浮かべる方が悪い。


 陽向にもそれはなんとなく分かっている。分かってはいるのだが、


「その、リーシャ、先輩重くない? よかったら私が」

「え、大丈夫ですよ。ユースケさん、最近は疲れて眠ってしまうことも多いので、よくこうしているんです」

「よくっ!?」


 程よく回っていた酔いが吹っ飛んだ気がした。


 ――よく膝枕するような関係って、それもう恋人なんじゃないの? 恋人なんじゃないの!?


 グルグルと頭の中で色々な考えが渦を巻き、最終的に結論の出せなくなった陽向は、絞り出すように喉を動かした。


「そ、そうなん‥‥だ‥‥」

「はい、私にできることは少ないので、これくらいはしないと」


 そ、そっかーあはははは。


 陽向は言葉を返そうとしたが、既に乾いた笑いさえ出なかった。


 鳶に油揚げを攫われる、そんなことわざが脳裏を過ぎる。


 実際は久々に魔術を全力発動した反動で激しい筋肉痛と疲労に襲われた勇輔を、リーシャが介抱していただけなのだが、そんな事情陽向が知る由もない。


 ただ優しく勇輔の額に手を置くリーシャの姿を見て、勘違いするなという方が無理だろう。そこに恋愛すらも超えた強く固い絆が結ばれている等、分かるはずがないのだ。


 ゴン、と音が鳴ったと思ったら、自分の額と机とがぶつかった音だった。


(馬鹿か、私は)


 月子と勇輔が別れたと聞いた時、早いところ行動していればよかったのだ。


 いや、失恋話をサークル内に広めるという交渉材料を用い、デートの約束までは取り付けることが出来た。方法はどうあれ、決して動きとしては遅くなかったはずなのだ。


 だというのに、月子と復縁するならともかく、こんな短期間で、こんな――、


「‥‥」


 チラリと横目に見れば、そこには誰もが見惚れる美しい少女がいる。陽向は自分がそれなりに見れる容姿だと思っているが、この少女とは比べる気にもなれない。


 ――なんでこんな美少女ばっかり引っ掛けてくるんですかね。


 月子といい、リーシャといい。陽向が自信をもって勝てると言える部分が無さ過ぎる。


「はぁ‥‥」

「なーにため息ついてんだ、陽向」


 突然上からかけられた声に顔を上げれば、そこにはいつの間に頼んだのか焼酎の酒瓶を片手に持った女性がいた。

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