第353話 お守りと後悔と

     ◇   ◇   ◇




 それからエリスとはたくさんの話をした。


 アステリスのこと、地球のこと。離れていた時は自分が想像した以上の長さで、話題は尽きることなく出てきた。


 自分でも忘れていたような出来事が、彼女を前にするとたくさん躍り出てくる。


 アステリスにいた時、「エリスに聞かせてあげたいな」って思いながら生活していたから、その名残だったのかもしれない。


 驚いたことに、どうやら俺は神界に行ったことになっているらしい。何それ、神話かよ。そのうち星座とかにされたら恥ずかしすぎて死んでしまうのでやめてほしい。


 それでも俺たちはお互いに踏み込むのをためらった。


 見えないけれど、確かに線がそこには引かれていて、超えてはならないと、境界線で話を続けた。


 一度壊れてしまった関係は、わだかまりがなくなかったからといって、完全には元には戻らない。


 会わない間にも、確かに時間を積み重ねてきたのだから。


 何より、今は戦いの最中だ。


 俺たちが話すべきことは、他にいくらでもあったのだ。


 最後に彼女はたった一つだけ、ある願いを俺に伝えた。


「‥‥あの、こんなことを言うのも変な話なんだけど」

「どうした?」

「あなたが置いていったものを、預かっていたというか、持っていたというか」

「俺が置いていったって、何だ」


 ぶっちゃけ置いていったものが多すぎるけど、パッと思いついたものが一つあった。


 エリスは視線を合わせようとせず、小さなバッグからあるものを取り出した。


 それは赤い花弁を織り合わせたアイリスの花のペンダント。


 懐かしい。


 昔エリスが俺に作ってくれたアステリスのお守り、ヒューミルだ。地球に帰る時に手紙と一緒に置いていったのだ。


 彼女が俺との繋がりを断つことが望むなら、持ってはいけないと、手放した。


「これを‥‥」


 もう一度受け取ってもいいのか?


 これをまた手に取るのは、あまりに身勝手に思えた。


 しかしエリスは、蚊の鳴くような声で言った。


「もういらないのなら私が処分するから。ただもし、もし‥‥」


 その後は言葉が続かなかった。


 エリスがどういうつもりでこれをまた渡してくれるのか、俺には分からない。それでも俺は自然とヒューミルを受け取っていた。


「‥‥」


 その時、泣きそうな顔で俺の手にヒューミルを置く、冴えない少年が、俺を見て笑った。


 何もかもをあそこで手放した、あの時の俺だ。


 ──そうだよな。


 お前は頑張ったよ。結果的には失敗だったかもしれないけれど、こうしてまた俺とエリスは再会することができた。大分だいぶ時間はかかったけどさ。


 だからお前はあの時、本当にできることをしたんだ。




     ◇   ◇   ◇




「‥‥少し、外に出てくるわ」

「え、ええ‥‥」


 月子の声にぎこちなく頷きながら、やっちまったと思った。


 加賀見綾香は二十数年の人生の中で、ここまで自分の選択を呪ったことは他にない。


 駄目だと分かっていながら、少しでも妹分の助けになればと思ってしたことが、まさか致命傷を与えることになるとは思っていなかった。


 勇輔とエリスの会話を盗み見していた綾香たちだったが、二人の会話は想像以上の重さと厚みをもって、画面越しから衝撃を叩きつけてきた。


 元々異世界で魔王を相手に戦っていたという話は聞いていたが、綾香は勇輔とエリスの関係性を正しく認識していなかった。


 正確には、昔の恋仲くらいかなには思っていたが、一度は終わった関係だと甘く見ていた。勇輔は仮にも月子と一度付き合っていたわけだし、元カノとは言っても、最近まで近くにいた月子に分があると踏んだのだ。


 その予想自体は正しくもあり、間違ってもいた。


 勇輔とエリスの間にあるものが、単純な恋愛感情であったなら、月子もここまで重いダメージは負わなかっただろう。


 しかし二人の間にあったのは、話を聞くだけでも想像を超える、巨大な何かであった。


(ちょ、ちょっと勇輔君⁉ どうするのよこの空気は‼)


 明らかに全力で地雷を踏みに行ったのは綾香の方だが、そんな事実は棚上げして、勇輔に文句を叫ぶ。


 部屋の中の空気は完全に死んでいた。


 コウガルゥと陽向は、まあそうだろうなという顔でモニターを見つめている。


 コウガルゥは言わずもがな、ノワール・トアレを内に宿す陽向も、勇輔とエリスの関係をきちんと理解していたのだろう。


 月子も予想はしていたはずだ。二人の関係性が、自分が思うよりも遥かに深く複雑なものであると。


 それでも予想と事実は違う。


 勇輔とエリスは愛を囁き合ったわけでも、触れ合ったわけでもない。ただ自分が伝えるべき言葉を必死に伝えた。


 だからこそ、辛い。そのやりとりで、二人が二人をどれだけ深く想っていたのか、理解してしまったから。


 月子は途中から下を向き、二人の話を聞いていた。


 そして耐えきれなくなったように部屋を出ていったのだ。


 綾香もできることなら退出してしまいたかったが、企画した立場上、そうもいかない。


 何よりこの部屋にあと二人、無視できない存在がいるのだ。


 リーシャとカナミだ。


 カナミの方は、一見いつも通りだ。特に取り乱しているようには見えない。


 しかしさっきから、ティーカップに触れた指が離れることなく震え続け、カチャカチャと小さな音が鳴っている。


 普段のカナミならあり得ない所作だ。


 大人びて見えるが、彼女もまだ十六歳の少女だ。


 カナミが実際勇輔にどのような思いを抱いているのか、綾香は知らない。


 それでも、この様子を見るだけで、ただの憧れでないことくらいは察せられた。


 一方リーシャの反応は、ある意味他の誰よりも顕著だった。


「‥‥」


 下を向き、一言も発しない。テーブルの下ではスカートを握りしめているのだろう。小さな肩は微かに震えていた。


 綾香は何と声を掛けてよいか考えたが、言葉は何も見つからなかった。


 魔術師である綾香は言葉の持つ力を痛い程に知っている。同時にこういう時思い知らされるのだ。言葉というものの無力さを。


「リーシャちゃん‥‥」


 勇輔と会ったのは、ほんの半年前だと聞いている。


 綾香はその時からずっと二人を見守ってきた。勇輔はまさしく兄のような存在で、リーシャをとても大切にしているのが伝わってきた。


 そしてリーシャはそんな勇輔に全幅の信頼を寄せていた。


 きっと勇輔に他意はなかったのだろう。窮地にいる年下の女の子を見捨てるような人間ではない。


 何より、そんな彼だからこそ勇者と呼ばれたに違いない。


 けれど勇輔は気付かなかった。勇者としての名声を背負い、山本勇輔を押し殺した世界で生き続けた彼は、そんな自分の行動が、恋を知らない少女にどう映るのか。


 ピンチの時に必ず駆け付けてくれて、助けてくれる絶対のヒーロー。


(そりゃ、惚れるわよね)


 何せあの気難しい月子が好きになった相手だ。本人が気付いていないだけで、多くの女性から心を寄せられていたに違いない。


 彼女たちが勇輔と共に居られるのは、あとひと月もない。


 誰もが納得できる結末なんてありはしないだろう。


 それでも彼ならば。綾香の予想をことごとく飛び越えてきた勇輔なら、どうにかしてしまうのではないかと。彼女たち全員が幸せになれる、そんな未来を選べるのではないかと。


 そう思ってしまうのは、あまりに無責任な願いだろうか。


 それでも綾香は、この過酷な戦いの果てにあるべき未来が、真昼の晴天のように輝いていてほしいと、思ってしまうのだった。

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