第363話 眠り姫は王子のキスで目覚めるって相場が決まっている

     ◇   ◇   ◇




「――さん」


 声が聞こえる。


 懐かしい、何度も聞いた声だ。


 アイリスが起こしに来たのか? もう少し寝ていたいのに、あの子は真面目だから――。


「ユースケさん!」

「はっ⁉」


 きょろきょろと周囲を見回す。


 そこは俺たちが今住んでいる部屋の中だった。


 すぐ近くで、リーシャが俺の顔を覗き込んでいた。


 リィラでもアイリスでもない。リーシャだ。


 ‥‥やばい。たいして長い時間あそこにいたわけじゃないのに、記憶が混同している。それだけ膨大な情報量を見たということなのか、あるいは時差ぼけに近いなにかなのか。


「ユースケさん、大丈夫ですか?」

「あ、ああ。悪い、ちょっと立ちくらんだだけだ」


 ここで俺が見た光景について話しても仕方ない。


 またあとで、みんながいるところで話そう。


 それよりも、大切なことがある。


「ベルティナ‥‥ベルティナ‥‥‼」


 ベルティナさんの手を握って、ネストが名前を読んでいた。


 まだ、起きないのか。


 彼女に巣食っていた呪いは斬ったはずだ。でも、あれが魔族の呪いであった保証も、それによって彼女が目覚めるという確信もどこにもないのだ。


 それでも、ネストは懸命に呼び続けた。


 俺も良く知っている。どれだけ死のふちにいても、大切な人の名前は魂に届く。


 そしてその声を聞いてしまったら、のうのうと眠ってはいられないのだ。


「――」


 眠り姫のまぶたが、ゆっくりと持ち上がった。


「ベルティナ‼」


 ネストが喜色の声を上げ、ベルティナさんに覆いかぶさるように、その身体を抱きしめた。


「わっ」

「‥‥」


 リーシャが手を口でおさえ、ユネアの目をイリアルさんが手で隠す。


 いやぁ、青春ですな。


 昔ならリア充爆発しろ! と魔力を込めた視線を送っていたものだが、この年になると、ほほえましい気分で見ていられるから不思議だ。自分の恋愛はうまくいったことないのにね、ほんと不思議。


 しばらくは二人にさせてあげるか。


 俺がリーシャの肩を叩いて移動しようとした時、


「うっとおし‼」


 ドゴッ! という音を響かせて、ネストが後ろにひっくり返った。


 それはもう、昭和のコメディ漫画で出てくるような、見事なひっくり返りっぷりだ。


 そんなネストを、箱から立ち上がったベルティナさんが見下ろす。


「男のくせにびーびーとやかましい‼ あと髭はれと散々言ってるだろうが‼」

「べ、ベルティナ‥‥」

「なよなよするな気色悪い。まったく、起こすにしてももう少しやり方が‥‥」


 頬を赤らめながら髪をかきあげるベルティナさんが、俺たちに気付いた。


 それから部屋の中を見回し、自分の足元に視線を落とし、ここが二人の住んでいた森ではないことを確認した。


「これは――どういう状況?」


 ははあん。そういうタイプね。




「この度は、本当にご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした‼」


 ネストから事情を聞いたベルティナさんは、見事な土下座をかました。


 隣でネストも土下座で、ダブルダイナミック土下座、DDDである。


 俺とリーシャは、今回の功労者であるユネアを見た。


 ユネアは「私ですか⁉」と言わんばかりの表情で、口をぱくぱくと開け閉めする。可愛い。


 まあ、実質的に助けたのはユネアだし、俺たちが口を出すのもおかしいだろ。


 ユネアはイリアルさんを見上げ、シスコンの姉も助けてくれないことを察したのか、おずおずと言った。


「あの、頭をあげてください」

「‥‥」


 ベルティナさんが顔を上げる。


「感謝をしてくださるのであれば、私ではなく、ネストさんにしてあげてください。私は、ネストさんの思いに背中を押されたにすぎません」


 ユネアがそう言うと、ベルティナさんは隣のネストを見た。


 ちょうどネストも顔を上げたところで、二人の視線がかち合う。


「‥‥ありがとう」

「いや、いい。元は俺が守れなかったのが原因だ」

「‥‥こういう時は、素直に受け取るもんなんだよ」

「何か言ったか?」


 ベルティナさんの小さな声に、ネストがきょとんとした顔で聞き返す。そっぽを向いた彼女の顔は俺とリーシャには丸見えで、頬が真っ赤になっているのが分かった。


 いやあ。青春ですなあ。


 ところでネストは何? 鈍感系主人公なの? 俺そういうの嫌いなんだけど。男ならシャキッと決めるところ決めろよ。


「それよりもベルティナさん、まだ呪いがなくなっただけで、回復したわけではないはずです。まずはゆっくり休んでください」


 ユネアの言う通り、ベルティナさんの顔は、さっきよりも大分血色がよくなったが、疲労が見て取れる。


「それでしたら、私の部屋を」

「いや、ネストと二人で俺の部屋を使ってくれ。元々同じ家に住んでたんだろ。二人で話したいこともあるだろうし」


 リーシャの言葉をさえぎって、俺はそう言った。


 リーシャの部屋はカナミも使っているし、それが妥当なところだ。


 そうしてしばらくの間、ネストとベルティナさんの居候いそうろうが決まったのである。

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