第250話 蠢く異変

 その時間が本当に訓練と呼べるものであったのかは分からない。


「はっ、はぁ、ぁ」


 床に寝転がって、暴れる肺に呼吸が追い付かない。


 やったことは単純だ。ただひたすらに戦った。


 初めは手合わせとして、後半は本気で倒すつもりで。月子はシャーラに魔術を使い、槍を振るった。


 結果は倒れる月子と、それを息一つ乱さず見下ろすシャーラを見れば、明らかだろう。


 先のフィンやバイズとの戦いで勘違いしていた。彼女は後衛で強力な魔術を使うタイプなのだと。


 違った。


 まったくもってひどい勘違いだ。


 シャーラは、魔術がなくとも圧倒的に格上。魔術も槍も、全てが純粋な剣と体術によってねじ伏せられた。


「あの知恵の輪、私と戦いながらでも外せるようになれば、魔力操作としては合格。戦闘技術は、私に一太刀入れられたら及第点」

「‥‥は、ぁ」


 ふざけた条件だ。全力を尽くして掠りもしなかったというのに、知恵の輪を解きながらそれをしてみせろと。


 できない、無理だ。そんな言葉が喉の奥につっかえて、代わりに出たのは別の言葉だった。


「分かりました」


 魔術なしのシャーラでさえ、ここまで強い。そんな彼女が届かない勇輔は、どれ程の強さなのか。


 そこに届く術が微かでもあるのなら、死ぬ気でそれにしがみつく。


 月子は蛍光灯の眩しさから逃れるように、目を閉じた。




    ◇   ◇   ◇




 『煌夜城』の大広間。そこには勇輔が斬り倒した鵺たちの亡骸なきがらが何体も横たわっていた。勇輔の読み通り、彼らは生物ではなかった。


 同時に怪異と称すのも異なる。


 本来の怪異であれば、勇輔の剣に急所を斬られた段階で存在を霧消する。故に、亡骸が残っている時点でおかしい。


 シキンという目標を前に、勇輔たちはこれを見落とし先に進んでしまった。もしも怪異に詳しい月子がこの場にいれば、あるいは『シャイカの眼』を持つカナミであれば気づいたかもしれない。


 モゾモゾと、肉が這って動き始める。


 首を落とされた鵺が、別の鵺に覆いかぶさり、蠢く。そんな不気味な胎動たいどうが各所で起こり、いずれ一箇所に集まっていく。


うらめしい。


 殺したい。


 悔しい。


 恐れよ。


 声にならない怨嗟えんさの響きが大気を震わせ、灯篭とうろうの火が揺れた。


 薄明かりに照らされて、黒々とした巨体が身を起こす。


 この鵺には、ある特別な絡繰からくりが施されていた。執念と怨念の報復。


 憎しみを力に変える特別な術式だ。


 本来であれば、この奥にいる勇輔たちの元へと駆け出すべきだっただろう。しかし鵺はそうしなかった。


 そこにはこの城の主がいる。もしも自分が場をわきまえず横槍を入れれば、即座に殺される。


 そうでなかったとしても、あの騎士には勝てない。怨念に囚われて尚、鵺の中には明確な恐怖と上下関係が刻まれていた。ひらめく白銀の剣を思い出すだけで、脚がすくむ。


 一瞬気を引くことはできるかもしれないが、それが限界。


 それでは駄目だ。それではこの怨みは晴れない。


 鵺は考え、決めた。


 騎士に付いていた匂いは覚えた。そこへ向かえば、騎士の大切なものがあるはずだ。


 それを壊せば、いくら強い者であろうとも、絶望するだろう。嘆くだろう。


 鵺は新しく生えた頭に深い笑みを浮かべ、床を蹴った。


 目指すは人の住まう街。少女たちが帰りを待つ家だ。


 戦争の思惑から外れた獣の狂気が、大地を切り裂いて駆けた。

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