第100話 黒き剣舞
束の間の沈黙を破り捨てたのは鬼の
だがそんな常人の理屈は怪異に通らない。
鬼はその場で抜刀し、刀を振り切った。牡丹が鮮やかに
それに対し是澤と月子は全力で身を伏せる。ほぼ同時、黒い円弧が頭上を恐ろしい勢いで通過した。
斬撃が
それ自体はさっき見ている。間合いの概念をぶち壊すような技だが、攻撃の軌跡をなぞるように飛んでくるのであれば、避けるのは難しくない。
月子はしゃがんだ状態から前へ踏み出した。更に腰のフォルダーから三本の針を引き抜いて魔力を流すと、鬼に向かって投擲する。
『飛雷針』の魔術によって針は弾丸すら超える速度を得た。三本はそれぞれ別の軌道を描いて標的に向かった。
鬼は振り切った太刀を両手で持ちながら切り返す。
その時月子を不可思議な感覚が襲った。鬼の魔力から声が脳に響いてきたのだ。
――『
それが如何な現象であるのか考える余裕もなく、月子は進行方向を変えて跳んだ。無茶な動きに脚の筋肉が悲鳴を上げ、内臓が振り回される感覚に吐き気がする。
それでもその判断は正しかった。
ゾンッ! と鬼から黒い旋風がいくつも放たれ、あらゆるものを刻みながら吹き荒れたのだ。
飛雷針も枝葉と共に巻き込まれ、微塵に切り刻まれた。当然の如く月子がいた場所にも旋風は牙を剥く。
少しでも回避が遅れていれば、あれに捉えられていただろう。
(今のは、鬼の声?)
突然頭に響いてきた声。老若男女の区別もつかない無機質なそれは、この空間に満ちる魔力の揺らぎから伝わってきた。
(多分意図的なものじゃない。この領域を維持しているせいで魔力から意識が流れてしまっているのね)
だとすればこの怪異には自我に近いものがある。それが果たして想念の残滓なのか明確な自我なのかは分からないが、相手の意識が読めれば戦いが有利に進められる。
月子は周囲の魔力の揺らぎを見逃さないよう、より集中力を高めた。
金雷槍の間合いまではあと数歩だ。生半可な魔術を使っては手痛い反撃を受ける羽目になる。
「‥‥」
故にここからは小細工なしに押し通る。
月子は鬼を見据えて地面を蹴った。
当然鬼は迎撃に野太刀を振るう。一歩の間に目前へと迫る黒の格子。いくつもの斬撃が重なったそれは、少しでも受けに回れば手数で叩き潰される。
脚を止めるわけにはいかない。
月子は勢いを殺さず格子へと飛び込んだ。身体を捻り、小さな隙間を通り抜ける。斬られた服の破片を後に、次は手をついて縦に回転。
絶え間なく襲い掛かる斬撃を紙一重で避けながら前へ進んだ。
そして入る。
「ようやく捉えたわ」
金雷槍が最も威力を発揮する、月子の間合いだ。
時間を与えるつもりはなかった。間合いに入った勢いのまま踏み込み、鳩尾へと突きを放つ。
二又の穂先は牙のように金雷を光らせ、獰猛な唸りを上げて鬼へと迫った。
それに対し鬼は半歩脚を引きながら、槍を切り払う。
鬼が振るうのは長大な野太刀。槍の間合いを維持し続ければ、刺突の方が圧倒的に速い。
受けに回った鬼を月子は
鬼の脅威は圧倒的な攻撃力。とにかく刀を振るわせなければ、優位を維持できる。
その作戦は決して間違っていなかった。
誤算だったのは、鬼の技量。
月子は知る由もない、この鬼の出自がなんであるか。恐るべき復讐心と執念で鍛錬を続け、数多の実戦を経て研ぎ澄まされた本物の殺人剣というものが。
ぶつかり合う穂先と刃。その瞬間、これまでは弾く一辺倒だった鬼が、槍を受け流しながら距離を詰めてきた。反射的に退いて間合いを保とうとする月子だが、鬼はその隙を見逃さない。
腹の中心に突き刺さる鋭い蹴り。
「ぁがっ‥‥!」
華奢な体が浮き上がり、
それでも距離を取れば黒い斬撃の餌食だ。
なんとかその場に踏ん張り、月子は顔を上げた。
――いない?
あり得るはずがなかった。あれ程の長身、目立つ牡丹の着物。見失うはずがない。だが現実として鬼は追撃するどころか忽然とその場から姿を消していた。
その驚愕が月子を一瞬停止させる。
まるで煙か霞か、鬼は月子の斜め後ろに滑り込んでいた。魔術でもなんでもない、純粋な歩法。
月子を蹴ると同時に音もなく回り込んだのだ。動から静への滑らかな切り替えは、容易く相手を置き去りにする。
戦場で相手を見失えば、もはやまな板の上の鯉も同然だ。
後は悠々と月子の首を切り落とす。
もしこれが一対一の決闘であれば、それで決着だっただろう。
しかし後ろにいた男がそれを許さなかった。
「咲け、『
是澤の魔力がすんでのところで鬼と月子の間に割り込んだ。地中を割って現れたのは、細い幹とそこに吊るされたいくつかの実。それは瞬く間に膨れ上がり、激しい音を立てて爆散した。
中から散弾銃のように飛び出した種子に対し、鬼は左手を上げると、掌から黒い波動を打った。剣閃のような鋭さはなく、波動は壁となって地面ごと是澤の魔術を吹き飛ばした。
まともなダメージにはならない。
けれど一連の攻防によって月子も鬼の存在に気付いた。
後ろに回り込まれたことに驚愕しながらも槍を鬼に向ける。
(魔術の気配は感じなかった、純粋な体術で後ろを取られたっていうの?)
指先まで走る戦慄。魔術でも体術でも上をいかれていたら、勝てる道理はない。
そんな弱気な考えを月子は魔力を高めて振り払った。一人で勝つ必要はないのだ。是澤のサポートがあれば必ず隙をつける。
しかしそれを理解したのは、どうやら月子だけではなかったらしい。
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