第167話 売り子はやめましょう

「っ⁉」


 反応は劇的だった。


 袴田はかまださんは慌てた様子できびすを返し、百均を出ていく。手に持っていた商品が床に散らばった。


「待っ! ‥‥ったく」


 判断が速すぎるだろ。戦場でも戦っていけちゃうぞ、それ。


 近づいて気付いたけど、袴田さんは魔法のコインを持っていた。それも一枚や二枚じゃない。明確な魔力を感じる程の枚数だ。十枚を超えるかもしれない。


 ただ収集しているだけならまだいいが。多分そうじゃないだろうな。


 だとしたらこのまま彼女を行かせるのは危険だ。


 俺は商品を拾って棚に戻すと、店内を探し、見付けたリーシャに声を掛ける。


「悪いリーシャ、少し外す。カナミの傍を離れるな、何かあったらすぐ連絡するんだぞ!」

「え? あ、はい分かりました!」


 俺は店を出ながら片耳にイヤホンのようなものを着けた。これはカナミが通信用に作ってくれた魔道具で、同じものを着けていれば連絡が取れる。


 同時に魔力で聴覚を強化し、周囲の音を拾った。


 袴田さんはまだ遠くに行っていない。


 もう少しだけ様子を見るか。俺は見失わないように小走りで彼女を追い始めた。




     ◇   ◇   ◇




 何で何で。そんな考えばかりが頭をぐるぐる回る。


 心臓が破裂しそうな程に激しく鼓動し、喉が酸素を求めてあえぐ。


 それでも袴田千穂は走る脚を止めなかった。


 お気に入りのサンダルが重くて走りづらい。折角巻いた髪が汗に濡れて頬にへばりつく。


 それもこれも百均であった山本勇輔とかいうおかしな男が原因だった。


 幼馴染の高山章太と一緒にいたから、声を掛けてみた。もしかしたら何か崇天祭の情報が手に入るかもしれない。そんな淡い期待もあった。


 山本勇輔は特徴のない男だった。お洒落でもないし、三白眼が妙に鋭くて睨まれているような印象を受ける。


 きっとモテないんだろうなあ、なんて失礼な考えが頭を過ったのも、無理からぬことだった。


 しかしそんな安穏とした考えもすぐに吹き飛ぶことになる。


「その魔法のコイン・・・・・・、どこで手に入れたんだ?」


 そう聞かれた瞬間、頭の中が沸騰して、代わりとばかりに血の気が引いた。


 気付いた時には制止の声を無視して走り出してた。


 何で、何で知ってるの⁉


 確かに袴田は多くの魔法のコインを持っていた。それは自分が使う用ではない。とある仕事のために渡されたものだった。


 彼女だって馬鹿じゃない。それが真っ当な仕事ではないことくらい薄々分かっていた。それでも積み上げられた報酬に目が眩んだ。


 誰にもバレないようにやっていたはずだ。だというのに、あいつは一目見た瞬間に聞いてきたのだ。意味が分からない。


 とにかく今は距離を取りたかった。直視しなければ、今の出会いはなかったことにできると、袴田はそう信じていた。そう、信じたかった。


 どれ程走っただろうか。


 いくら呼吸をしても肺が酸素を取り込んでくれない。脚はがくがくで、生まれたての小鹿のようだ。サンダルですれた肌が痛む。


 こんなことなら、走りやすいスニーカーを履いてくるべきだった。

 それでも、ここまで来れば大丈夫だろう。落ち着いたら一度家に帰ってバッグを置いてしまおう。


 そんなことを考えていた彼女の頭上に、影がかかった。


「やあ、そんなに急いでどうしたんだい?」

「え、あ」


 顔を上げると、そこにいたのは中年の男だった。年齢はまだ三十代後半だろうが、ボサボサの白髪が混じった頭と、深いくまが刻まれた顔は老人のようだ。


 男を見た瞬間、袴田は血の気が引いていく音を聞いた。


 この男こそ袴田に『魔法のコイン』の取引を持ちかけた男だった。


 その怪しい風体に反比例するように、魔法のコインは魅力的に見えてしまった。きっとこれなら、私でも売れると。


「あの、別に急いでたわけじゃ」

「誰かに魔法のコインをかぎつけられたかな?」

「っ⁉︎」


 どうして、という言葉が喉でつっかえた。


 男が目の前に現れた瞬間から、なんとなく予想はしていた。そうでなければ、今袴田に会いに来る必要がない。


 彼は優しい笑みを浮かべると、穏やかな口調で続けた。


「何、別に責めているわけじゃない。続けていればそういうこともあるだろう」

「は、はい」

「しかしね、最近犬どもがこの辺りを嗅ぎ回っているんだ。君たちは非常に優秀な売り子だったが、足跡はできるだけ消しておきたい」

「は‥‥は?」


 何を言っているのかよく分からない。ただ優しい笑みの中で、嫌な予感がチクチク肌を刺した。


「愚鈍は時に美徳になる。豚は屠殺される瞬間まで恐怖を感じない。君は愚かな頭に生まれたことを感謝すべきだ」

「何を、言ってるんですか‥‥」

「それが愚鈍だと言うのだよ」


 男がこれ以上語ることはないとばかりに手を上げた。顔を掴むように迫る手を前に、袴田は動けなかった。逃げなきゃと分かっているのに、体が動かない。


 きっとこの手が体に触れたら、大変なことになる。


 誰か、助けて──。


 願いは言葉にすらならなかった。


「ぶぐぉあっ⁉」


 瞬間、男の姿が消えた。


「え」


 違う、後ろから走ってきた誰かが、男を蹴り飛ばしたのだ。


 今まで聞いた事のない、骨身に染みる鈍い音。袴田は思わず体をすくめていた。


「おいセクハラじじい。女子大生に手出そうとしてるんじゃねーよ」


 男を蹴り飛ばしたのは、ついさっきまで袴田が逃げていた山本勇輔だった。


 勇輔は袴田を守るように一歩前に出る。


 男もまた立ち上がり、蹴られた腹を押さえながら睨みつけてきた。


「貴様‥‥、こんなことしてただで済むと思うなよ」


 言葉と同じくして、男の周囲で不穏な空気が立ち上る。袴田にはそれが何か分からなかったが、危険だということだけは本能が叫んでいた。


 しかし勇輔はそれに気付いているのかいないのか、前に歩き始めた。




     ◇   ◇   ◇



 男が魔力を放出し始めた。


 袴田さんを追っていたら、予想を裏切らず目的の奴に接触できた。


 彼女に魔法のコインを渡し、バイヤーに売り子に仕立て上げた人間。想像通り、こいつは魔術師だ。加賀見さんの言っていた魔術結社とやらの所属だろうな。


「何をしようとしているのか知らんが、黙って捕まった方が痛い目見なくて済むぞ」

「ははっ、学校というものは本当に無意味な代物だ。この歳まで学習させたところで、貴様らのように己の力を勘違いした無知な輩しか作り上げない。真の探求とは、己で進む先にしかないのだよ!」


 男は叫びながら懐に手を入れた。


「危ない!」


 袴田さんの声が響いた。


 魔術結社の人間ってのがどういう魔術を使うのか見てみたい気はしたが、


「御託が長い」

「ぶごぁ!」


 踏み込み、顔面をぶん殴る。研究職魔術師あるある、近接戦闘能力がない。アステリスでは魔術を用いた戦闘が長い年月をかけて研鑽されている。ただ魔術が強いだけで戦士になれるほど、やわな世界じゃないんだよ。


 まともに強化の魔術も使っていない男は、縦に一回転する勢いで地面に叩きつけられた。男の手からカードのようなものが散らばった。


 男は這いつくばったまま呻く。


「な、貴様、何も」

「お前の言う通り、モラトリアム満喫中の駄目大学生だよ。ちょっとばかし喧嘩に慣れてるって、それだけだ」

「そんな、ことが」


 男はそこまで言って意識を失った。


 こいつを調べたところで大元まで辿り着けるとは思えないが、多少は情報になるだろう。さっさと加賀見さんに連絡して回収してもらうか。


 あとは。


「袴田さん、だっけ?」

「ひゃ、ひゃい!」


 知ろうが知るまいが、売り子をやっていて、関係なかったでは済まされない。


 少しばかり彼女には協力してもらおうか。

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