第227話 第五勢力

 カラカラン、とドアベルの音が響く。


 扉の方を向くと、目立つ赤髪の男性が店内に入ってくるところだった。

さほど混雑しているわけでもない。金剛総司こんごうそうじもこちらに気付き、歩いてくる。


「悪い、待たせたか」

「いえ私もさっき来たところです」


 陽向紫ひなたゆかりは首を横に振って答えた。実際に数分前に来たところで、先ほど頼んだアイスティーもまだ来ていない。


 そんな二人を、一番初めに来た松田宗徳まつだむねのりがによによと笑いかけた。


「まったく、皆時間にルーズだねえ。僕みたいに余裕をもって来ないと」

「余裕のある奴が必死にここでレポート書いてんじゃねえよ」

「優先順位というものだよ総司」


 松田は開いていたタブレットPCを閉じた。


「まだ講義の再開まで時間がかかりそうだけど、レポートの提出だけってのは味気ねえよな。一回生も似たようなもんか?」

「そうですね、私たちもそんな感じです」


 三人が通う崇城大学は現在閉校中だ。講義ができないため、教授によってはレポート提出の課題が出されている。


 それは少し前に起こったある出来事が原因だった。


 崇城大学が誇る文化祭、『崇天祭』の三日目に起こった集団昏倒事件。公式には熱中症として公表されているが、その場にいた人間なら分かる。あれはそんな言葉で片付けられない異常な出来事だった。


 幸いにも三人の近しい人で倒れた人間はいなかったが、友人の友人まで輪を広げれば、その被害は容易く知ることができた。


 だが今日三人が集まったのは、それとは別の理由だった。


「それで、二人は勇輔と伊澄さんのこと、どう思う?」


 陽向のアイスティーが届き、総司がコーヒーを注文したところで、松田が言った。


 つい昨日のことだ。山本勇輔から三人あてに連絡が来たのである。


 その内容は、


「『しばらく実家に帰るから、大学は休学することになる』って、どう考えても不自然だよな」

「しかも一人じゃないからね」


 勇輔一人でも驚きだったが、この連絡をしてきたのは勇輔だけではなかった。時を同じくして伊澄月子からも、同様の連絡が来たのである。


 流石に違和感があり、こうして集まったのだ。


 総司が言った。


「まあ状況からして、何かがあったんだろうな。あいつのことだから、俺たちに言わないってことはそれなりに大事な要件なんだろうよ」

「月子さんに関係することですか?」

「どうだろうな。あいつら最近は接点なかったし、あんまり思いつかねーけど」

「駆け落ちとか?」


 ぽん、と言い放った松田の言葉に、陽向の笑顔が固まった。


「あんまり適当なこと言うなよ‥‥」

「適当でもないと思うけどなー。あの二人、文化祭の三日目は一緒にいたみたいだし。伊澄さんが別れたのも事情ありそうだったじゃん。元鞘に収まる可能性高くない?」


 カラカラカラ、と陽向はうつむいてアイスティーを高速でかき回した。氷同士がぶつかり、音を立てる。


 そんな彼女の様子を横目に見ながら、総司は返した。


「より戻すにしても、わざわざ駆け落ちする必要がないだろ」

「実家が名家で、恋愛が認められてないとかかな。それだったら伊澄さんから振ったのも納得がいくし、二人で愛の逃避行だよ」


 シャラシャラシャラ! と遠心力による臨界を迎えたアイスティーの雫が、飛び散る。


 それを知ってか知らずか、松田は得意げに語る。


「もしかしたら今頃どこか遠いホテルで身を寄せあっちゃったりしてるかもしれないね。‥‥あれ、でもそうするとリーシャちゃんたちはどうするんだろう。まさか一緒にいるわけもないし」


 この場に勇輔がいれば、「己の目は千里眼か、妖怪退散!」と叫んだだろう。


 ダンっ! と大きな音が響き渡った。


「松田さん」

「‥‥な、何かな陽向ちゃん?」


 そこで彼は気づいた。ついつい面白さに流され、乙女の地雷原でタップダンスを踊っていたことに。


 松田は変態だが馬鹿ではない。愚かだが鈍くはない。当然のように、陽向が山本勇輔に好意を持っていることも、文化祭の二日目に二人でデートしていたことも知っている。


 陽向がメニューを机に広げ、こちらを見ていた。顔は笑っているが、その視線は凍えそうなほどに冷たい。


「私、ケーキ食べたくなっちゃいました。頼んでいいですか・・・・・・・・?」


 後輩の女子がその言葉をわざわざ使うのには、意味がある。本来、お金を払って欲求を満たすというのは彼の美学に反するのだが、いつも飄々と男を手玉に取る陽向が、こんな感情剥き出しの姿を見せることはほぼない。


 ――(気持ち)いい視線、いただきました。


 松田は清々しく笑った。


「もちろん、いくら頼んでもいいよ!」

「松田‥‥いや、今のはお前が悪いからいいんだけどさ。俺は払わねーからな」

「当たり前でしょ。後輩の女子から蔑みの視線を向けられながらお金をむしり取られるなんて、ゾクゾクしちゃうね」


 歓喜に体を震わせる松田を、陽向と総司はドン引きした目で見た。


「や、やっぱりケーキはいいです。悪いですし、というか気持ち悪いですし」

「なぜ⁉︎」

「理由言いましたよ?」


 崩れ落ちる松田を他所に、陽向は深いため息をついた。


 実際問題、駆け落ちというのは割とありえる話だった。そうすると二人同時に休むのも納得がいく。


 松田は冗談で言ったのかもしれないが、月子が上流階級の生まれなのは、見ればすぐに分かった。陽向は小学校から私立の女子校に通っていた。そういう学校だったので、本物のお嬢様というのもよくいるのである。


 月子はそういった人たちと同じオーラを纏っている。


 勇輔と月子が手を取り合っている様子を想像して、落ち込む。


 昔ならそこで諦めていただろう。自分では月子に勝てる要素はないと。


 しかしもうそれでは引けない。どんな理由にせよ、一度は勇輔を手放した人だ。私なら、一度繋いだ手を離したりはしない。


 けれど会えないのではどうしようもない。連絡を取るだけでは限界がある。まさか、本当に月子が勇輔の近くにいたとしたら、戦局は絶望的だ。


「仕方ねえな」

「どうするんですか?」

「よく分からないままってのも気持ち悪いし、聞くのが手っ取り早いだろ。これで病気でした、とかなら喝を入れに行く必要があるしな」

「そう、ですね」


 問題はそれだ。駆け落ちもそうだが、何よりその可能性が頭に引っかかって、昨日はよく眠れなかった。


 総司は携帯を取り出し、止める間も無く勇輔へと電話をかけた。怖い気持ちと、真相を明らかにしたい気持ちとがぶつかりあう。


『総司か。悪いな、連絡できなくて』


 しばらくすると、スピーカーモードになった携帯から勇輔の声が聞こえた。


「今忙しかったか?」

『忙しいには忙しいけど、とりあえず大丈夫だ』

「それで、結局あの連絡はなんだったんだよ。」

『悪い、ちょっと事情がややこしくて説明できなかったんだ。とにかく、しばらく学校に行けなさそうだから、会長には謝っといてくれ』


 スピーカの向こう側から、ドタドタという音と、リーシャたちの声がうっすら聞こえた。どうやらリーシャやカナミとは一緒にいるらしい。


『とにかくごめん。しばらくこっちから連絡をするのも難しくなると思う。迷惑かけるけど、年明けには戻ってくるから』

「それはいいんだけどよ。お前の方は大丈夫なのか?」

『特に怪我とか病気ではないから問題ないぞ』


 陽向はホッと胸を撫で下ろした。


 その瞬間、何かが倒れるような音と、驚くべき声が携帯から聞こえた。


『ユースケ、暇』

『っ! おいシャーラ、入ってくるなって言ったよな!』

『私は問題ない』

『俺が問題あるから言っておいたんですけど⁉︎』


「「「‥‥」」」


 三人の目が点になった。


 今聞こえた声は、初めて聞くものだった。携帯越しながら、聞いているだけでその美しい見た目が浮かび上がるような、澄んだ女性の声だった。


 その衝撃に畳み掛けるように、さらに声が割り込んできた。


『いったい‥‥』


 小さな声だったが、それが皆がよく知る人物――伊澄月子のものだと、全員が気づいた。驚いたのは三人だけではなかったようで、勇輔が震えた声で言った。


『なんで月子まで‥‥』

『私はシャーラさんを止めようとして――』


 そこまで聞こえて、電話が繋ぎっぱなしなことに気づいたんだろう。


『わ、悪い。もう電話は厳しそうだ! 例の奴らが攻めてきやがった!』

「‥‥いや、例の奴らっていうか、一人は既に判明していた気がするんだが」

『なんのことだ⁉︎ ちょっと戦いが始まるから切るぞ!』

『戦いって、敵? 私は感じないけど』

『‥‥』

『じゃあな!』


 周りの声をかき消すように、勇輔は大きく言って電話を切った。


 しばらくの間誰も何も言わず、言いにくそうに総司が口を開いた。


「‥‥あー、とりあえず駆け落ちでは、なさそうだな」

「もっと酷い状況になってましたけど⁉︎」


 陽向の悲痛な叫び声に、総司も松田もそっと目を伏せた。案の定、第五勢力出現である。

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