第173話 『 愛してますよ/俺もだ 』


 わずかに緊張しながら息を整えれば、数秒後に耳朶に声が響いた。


『もしもし、どうした?』

「あ、よかった。出てくれた」


 ホッと安堵すれば、電話越しから呆れた声が聞こえてくる。


『なんで俺が出ないと思ったんだよ』

「てっきり執筆してるのかと思って」

「する訳ないだろ。今何時だと思ってる」


 くすくすと笑えば、電話の相手――夫の晴は嘆息した。

 久しぶりに聞いた彼の声にはにかめば、美月は夜空に浮かぶ星を見上げながら訪ねた。


『今は何してましたか?』

『少しだけプロット作ってた』

「むぅぅ。やっぱり仕事してたじゃないですか」


 嘘を吐いた晴に頬を膨らませれば、電話越しから言い訳が返ってくる。


『お前が言ったのは執筆してるかどうかだろ。プロットは執筆じゃない』

「設定づくりだって立派な執筆で仕事です。さては私がいない数日、ずっと執筆してましたね」


 ジト目になりながら追及すれば、晴は『いや』と返す。


『休む時はちゃんと休んでたぞ。エクレアに構ってたりもしてたから、わりと息抜きは多くやってた気がする』

「エクレアは貴方にとっていい緩衝材ですねぇ」


 晴の執筆に集中し過ぎてしまう癖を、どうやらエクレアが構って攻撃で妨害していたらしい。普段は美月に懐かず晴にデレデレな憎い飼い猫だが、この時ばかりはナイス、と親指を立てる。


 まぁ、本人はただ晴との時間を満喫したくて構って欲しかったのだろうが。


「貴方がしっかり休息を入れている、ということでひとまず安心です」

『何様なんだ』

「貴方の奥様ですよ」


 そうだったな、と苦笑が聞こえた。

 美月もふふ、と微笑を溢しながら、晴との話を続ける。


『どうだ、修学旅行満喫してるか?』

「はい。皆と一緒に、とても充実した休息をもらってます」

『悪かったな。いつも苦労をかけて』


 少しだけイジワルに言えば、晴は申し訳なさそうに謝った。

 晴の世話を尽くす日々も楽しいのは事実だが、しょんぼりとしている晴が可愛いので黙っておくことにした。


「帰ったらたくさん思い出話してあげますので、しっかり私との時間を作っておいてくださいね」

『なら執筆頑張らないとな』

「無茶もほどほどに。貴方は頑張りすぎるのが良い所であり悪い所ですよ」

『分かってるよ。しっかりペース考えてやる』


 本当ですか? と追及すれば、晴は呆れ交じりに『本当だ』と返した。


「ふふ。なら貴方の言葉を信じることにしましょう」

『そうしてくれ』

「お仕事、頑張ってくださいね」


 おう、と淡泊な返事。いつものことだから、それで十分だった。

 こういう会話は夫婦っぽいな、と少し嬉しさを覚えていると、晴が何か思い出したように声を上げた。


『そうそう。おかず、作っておいてくれてありがとな。助かったわ』


 そんな事か、と思いながらも、美月はわざとらしく言った。


「そうでしょう。きっと貴方はコンビニ弁当かカップ麺ばかりの食事になると思ったので、事前に用意しておいて正解でした」

『一応昨日と今日の晩飯は自分で作ったぞ』

「あら意外。晴さんが執筆以外でやる気をみせるなんて」


 晴の言葉に目を丸くすれば、電話越しから『悪かったな』と不貞腐れた声が返ってくる。


『たまにはお前の苦労を味わおうと思ってな。でも、意外と料理も楽しいもんだ』


 久しく忘れてた、と言った晴に、美月は口許を綻ばせながら言う。


「ふふ。料理が楽しいなんて、私がいない数日に何があったんですか?」

『お前がいることのありがたみをひしひしと感じてた』

「貴方は私がいないと本当に死ぬ気がしますねぇ」


 日に日に美月依存症になっていく旦那。そんな晴のことを愛しいと思ってしまう美月はもっとダメダメだった。


 声を聞くたびに、早く晴に会いたいと思ってしまう。

 そんな気持ちが溢れるように、足をパタパタとさせて。


「あと少しで帰りますから、もう少し妻の帰りを待っていてください」

『あぁ。明日を楽しみにしてるよ。お前が帰ってきたら美味いメシが待ってる』

「えぇ。家に帰ったら休みたいです」


 拗ねた子どもみたく言えば、晴は『そうか』と悄然としてしまった。

 その反応はズルいなぁ、と苦笑しながら、


「嘘ですよ。お家に帰ったら、沖縄そば作ってあげます。民泊の時に教えてもらったので。スープも既に買ってありますので」

『マジか。超期待してる』

「でもその代わり肩もみしてくださいね」


 超やる、と食の為なら労力を厭わない狡猾な旦那だ。

 ひょっとしたら自分よりもご飯を楽しみにしているのでは、と思惟が過ると、途端に不服に感じて。

 ワガママとは分かっているものの、もう一つおねだりしたくなってしまった。


「あと、お家に帰ったらたっぷり私を甘やかしてください」

『それは別に構わん』

「言質取りましたからね。物凄いこと要求しても文句なしですよ」

『それはお前が耐えられるかによるが』

「……えっち」

『それはどっちだ』


 どっちもだろう。


 お互いに好きあっているから、甘えたくて甘えさせてしまう。晴は求めれば応じてくれる。だから美月も呼応するようにそうしてしまって、お互い愛情をたっぷりと注いでしまうのだ。


 苦笑と微笑み。そのどちらも唇に浮かべて、美月は最愛の人の名前を呼ぶ。


「晴さん」

『なんだ?』

「愛してますよ」

『そうか。俺もだ』

「ふぐっ」

『照れるなら言うなよ』


 電話越しでも破壊力は凄まじかった。


 晴のことを不意打ちで照れさせるつもりが逆に美月が胸を鷲掴みにされてしまって、心臓が大きく鼓動を鳴らす。


 ドキドキする心臓を抑えながら、美月は別れを切りし出した。


「そ、そろそろ私の心臓が持ちそうにないので電話切りますね」

『最後は完璧にお前の自爆だったが、まぁ、残りも怪我しないように楽しめよ』


 名残惜しく感じていると、晴から最後にそんな言葉をもらった。


「はい。ちゃんと怪我しないように、最後まで沖縄楽しんできますね」

『ん。じゃあ切るぞ』


 はい、と返事してスマホが耳から離れる直前だった。


『美月』


 不意に名前を呼ばれて、美月は眉根を寄せながら手を止めた。

 何かな、とじっと待っていれば、次の瞬間。


『おやすみ』

「――っ。はい。おやすみなさい」


 見上げれば、満天の星空。

 その美しい夜空の下に、綺麗な三日月が重なって――。

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