第132話 『 美味しいカレー作りますか! 』


 仮釈放された慎。

 心の安らぎはわずかだが、気分転換には丁度よかった。


「一時間以内と帰らないと殺されるとして……」


 もはやぶん殴られることに抵抗がなくなっている自分に驚きつつ、慎は近くのスーパーへ向かう。


 その道中だった。


「あ、慎だ」

「……晴」


 そうそう出くわす事はないだろうと思っていなかった友人とばったり遭遇して、二人揃って目を瞬く。


 相変わらず死んだような目をした晴の顔を見た途端、不思議と胸に安堵が広がり、


「晴ぅぅぅぅぅぅ!」

「うわ気持ち悪っ……急に抱きついて来るな」


 詩織の家で奴隷としてこき使われていた反動なのか、友人と会えた感動がドキュメンタリー番組さながらに劇的に感じた。


 晴は必死に抱きつく慎を引き剥しながら、


「なに、お前なんで泣いてんの?」

「ついさっきまで馬車馬のように働いてたからだよぉぉぉぉ!」

「おぉ、お前が泣くなんて珍しい。とりあえず離してくれ、それから帰るから」


 この友人はどこまでも冷酷だった。


「そこは泣いてる訳を聞くのが常識だろ!」

「お生憎様、俺はそんな常識は持ち合わせていない。なんか関わると面倒だと察知したから距離を置くに限る」


 この友人はやはり鋭い。


 ただ、泣いている友人を放っておくなんて非道をさせる気は毛頭ないので、慎は晴にしがみつきながら懇願した。


「お願い! 一時でいいから、俺の心の安寧になって!」

「いつもなってあげてるだろ」

「どこがだよ⁉ いつも面倒だとか言って逃げるくせに!」


 適当にあしらう晴が舌打ちした。


「事実面倒だ。俺だって用事があんの忙しいの。要件はコール音の後にお願いします」

「プルル! はい鳴った!」

「子どもかっ」

「なんでもいいから! いや本当に今回だけは話を聞いて! というか付き合って! 俺はお前なしじゃ生きていけない体になっちゃったの⁉」

「往来で何言ってんだ⁉」


 周囲から変な目で見られるも、冷静ではない慎にそれは届かないし眼中にも入ってない。


「大体、用事ってなんだお前! どうせ美月ちゃんにお使い頼まれただけだろ!」

「実際それで悪かったな。だからお前に付き合うことはできないっ。離せ」

「離すもんか! ……安心しろ晴。俺もこれから買い物に行くんだ! だから一緒に行こう!」

「買い物に行く顔じゃないだろ」

「お前に言われたくないわ! 万年死んだような顔しやがって!」

「あー、傷ついた。心にズサリと慎くんの思いやりのない言葉が突き刺さりましたー。そういう訳で本日は帰らせていただきます」

「行かせるかっ」

「いつにも増してうぜぇな! 離せ!」

「絶対に離さない!」


 そうして往来の場にも関わらず数分間格闘していると、先に体力の限界が訪れた晴が荒い息を繰り返しながら白旗を挙げた。


「はぁはぁ……もう疲れた。こんなクソ暑い外で馬鹿げたやり取りするのも不毛だ」

「ようやく気付いたか……ぜぇぜぇ」

「買い物行くなら付き合ってやる。話に付き合うかは気分次第だがな」

「なんでもいいよ。俺、今誰かと話さないと死ぬかもしれない」


 ようやく頷いてくれた晴に感謝しつつ、慎は「やべ」と声を上げた。


「こんな無駄な時間過ごす暇なんかなかった。早く買い物して帰らないと詩織ちゃんに殺される」

「こ、ころ? 聞き間違いか」


 平然のようにそう言って歩き出せば、晴は困惑しながら付いて来るのだった。


 △▼△▼△▼▼



 そんな訳で近くのスーパーに買い出しに来た慎と晴。

 カゴを持つ慎を初めて見る晴は驚きを表情に浮かべながら聞いてきた。


「そんで何があったんだ?」

「んー、何が?」

「いや切羽詰まってただろお前」


 そういえば晴を半ば強引に誘った事を思い出して、


「話、聞いてくれるのか?」

「暇だしな」


 淡泊に言った晴。根は良い奴なんだよな、と微笑がこぼして慎は言った。


「切羽詰まってた訳ではないよ。ただ、ずっと詩織ちゃんと同じ空間にいるのが耐え切れなくてね」


 そう答えれば、晴は眉尻を下げた。


「お前でもカノジョの家が居づらいとかあるんだな」

「あはは。普段は全く思わないけどね」


 ただ、と一拍置いて、


「詩織ちゃんは特殊だから」

「いったい詩織さんに何があるんだよ」


 光のない目を向けながら答えれば、晴は訳が分からないと首を捻る。


 これは打ち明けていいのかと一瞬戸惑ったが、伝えなければ話が進まないことに気付く。


 一拍、息を整えてから、慎は晴に明かした。


「詩織ちゃん。仕事の納期とかコスプレ用の衣装づくりがギリギリになると毎回凶戦士状態バーサーカーになるんだよ」

「なんだそれ」


 ハッ、と鼻で笑う晴。

 慎は知らない奴は暢気でいいな、と胸中で悪態を吐きながら続けた。


「その状態だと詩織ちゃんは凄く攻撃的になるんだよ。口調も荒々しくなるし、平気で殴ってくる」

「それってDVじゃ……」

「大丈夫。暴力と言っても愛のあるものだから」

「お前の思考回路、いつの間にかヤバイ方向に進んでるな。ひょっとしてドMか? それともマゾなのか?」


 友人があらぬ疑いを掛けてきた。

 心外だ、と嘆息して、


「俺の性癖は至ってノーマルだ。詩織ちゃんにぶたれるのも正直痛いから止めて欲しいと思ってる」

「にしては別れる気配はないよな」

「当たり前だろ。好きなんだから」


 晴の言葉に、慎は躊躇いなくそう返した。

 目を丸くする晴に、慎は脳裏に詩織の顔を浮かべながら吐露した。


「ぶたれても、理不尽にブチ切れられても、なんでか詩織ちゃんとは別れたいと思わない」

「お前やっぱマゾだろ。それとも開花したか」

「何度も言わせるな。俺は至ってノーマルだ。まぁ、詩織ちゃんは例外な気がするけど」


 あの晴が「うわぁ」と引いていた。

 慎は誤魔化すようにコホンッ、と咳払いすると、詩織に対する愛情を告げた。


「それだけ詩織ちゃんが好きってことだ。明るい性格も、切羽詰まると凶戦士状態バーサーカーになる詩織ちゃんも両方――これはつまり愛なのでは⁉」

「一人で盛り上がるのは勝手だし、愛情の形も色々あるから口出しもしないが……なんかお前はいつも大変そうだな」

「おい、そんな目で俺を見るな。俺はこの生活に満足してるんだぞ⁉」

「本当か?」


 晴が憐れむような目で見てきて、慎は必死に抵抗した。

 それから晴は「まっ」と吐息すると、


「お前が好きな人と一緒に居られて、それで満足してるならいいんじゃないか」

「おぉ、前の晴なら絶対言わないであろう発言だな。成長したね」

「心外だ、と言いたいが、存外美月と出会って変わった気がするのは確かだな」


 微笑みを向ければ、晴は居心地悪そうに顔をしかめた。

 それから、晴は「良かったな」と前置きして、


「俺をお世話したおかげで、こうして詩織さんのレイヤー活動を支えられてる訳だ」

「なんで俺にお世話されてたのに上から目線なの?」


 ねえ、と追及すれば、しつこいと理不尽に腕を叩かれた。詩織の時とは真逆の感情を抱けば、慎はお返しに晴の腕を叩く。


 これも愛の差か、と理解すれば、失われていた気力が戻って来た気がした。


「さ、愛しの恋人の為に美味しいカレー作りますか!」

「ガンバレー」

「もっと気合を込めて応援してくれよ」


 無気力な声援に慎は思わず苦笑がこぼれる。


 相変わらず淡泊な奴はもう放っておくとして、慎はグッ、とカゴを強く握り締めた。


  買い物再開、と強く呼気を吐いた後、慎は「あ」と声を上げて、


「そうそう。晴、美月ちゃんに連絡取れる?」

「出来るが……」


 ぎこちなく頷いた晴がスマホを操作し始めて、慎はほっと胸を撫で下ろした。


「俺、今日美味しいスイーツ買ってこないと詩織ちゃんに殴られるんだ」

「さらっとバイオレンスなこと言うなお前。本当にどういう関係なんだお前と詩織さんは」

「仲の良いカップルだよ」


 爽やかな笑みで答えれば、晴は「まったく理解できん」と首を捻るだった。

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