第352話 『 可愛い妻と混浴は欲情が煽られるんだ 』
さていよいよお待ちかねの露天風呂の時間がやってきた訳だが、
「……し、失礼しまーす」
「なんで緊張してんの?」
遅れて入室してきた美月に問いかければ、彼女は「だって」と恥じらいを見せながら答えた。
「い、一緒に入ることには慣れてますけど、でも今日は普段と違うので」
混浴自体は頻繁にするものの、やはり旅行先となると話が違うらしい。
「むしろ晴さんは自然体過ぎます」
「いい湯だからな。つい気が緩んでしまう」
「むぅ、それだと温泉に負けた気がします」
と羞恥心を見せていた美月だが、晴の言葉に拗ねた風に頬を膨らませた。
美月は、表情はそのままにサッとかけ湯で体を清めれば、晴と対面する形で湯船に入ってきた。
そして顔を半分湯船に沈めながら晴に近づいてくる。
やがて数十センチもないほどまで距離が近づくと、
「えい」
「急に抱き着いてどうした?」
「いいでしょう。二人きりなんですから」
忍者みたいな行動から一転、今度は大胆に抱き着いてきた美月に戸惑う。
そんな晴を余所に、美月は胸に顔を当てると、
「口ではああいいながら、実は緊張してるかなと思ったんですけど……ふふ、やっぱり緊張してるんじゃないですか」
「…………」
心臓の音を聞かれてしまっては、言い逃れはできない。
少し恥ずかしいなと思いながら、晴は降参と手を上げる。
「悪かったな嘘吐いて。俺だって普段とは違うシチュエーションに戸惑ったりする」
「別に謝って欲しい訳じゃないですよ。ただ、ちょっと嬉しいです」
何が、と眉根を寄せれば、美月は微笑みを浮かべながら見上げてきて、
「今、貴方と同じ気持ちでいられることが、私のことを意識してくれていることが嬉しいんです」
真っ直ぐに気持ちをぶつけられると、むず痒くなってつい視線を逸らしてしまう。
「そりゃ意識するだろ。お前は胸大きいしスタイルもいい、それに美人で可愛いし、こうして密着されると男としての欲情が煽られる」
「温泉を汚しちゃダメですよ」
そう言いながら豊満な胸を押し付けてくる美月に、性の悪さを感じた。
桜色の唇が小悪魔のような笑みを浮かべていて、ジッと見つめてくる紫紺の瞳に生唾を飲み込まずにはいられない。
温泉とはまた違う、人の温もりが地肌に伝わる。それも美月の体温だから、襲いたくなる衝動を必死に堪える。
「それでももし、というなら、方法はありますけど?」
「いや今日は我慢する。温泉堪能したいし、それに……」
一度言葉を区切れば、美月は不思議そうに小首を傾げる――そんな無防備な妻を、前から徐に抱きしめた。
「こうしてるだけで、心地いいものだ」
「ふふ、どうですか、妻の抱き心地は」
「ぶっちゃけ今すぐ抱きたいくらい心地いい」
柔らかな肌。圧迫してくる豊満な胸。彼女の熱が余すことなく晴の地肌に触れて、そして鼓動の速さを伝えてくる。
きっと美月にも、自分の鼓動の速さが伝わっている。
「……いつまでも抱きしめてるとのぼせてしまいそうだな」
「あはは。そうですね。でも、もう少しこのままでも悪くありません」
「それだと俺が耐えられないんだけど」
「ならあと一分だけ」
「それなら、なんとか理性は保てそう」
「頑張って保ってくださいね」
「約束しかねる」
布が一枚でもあればまた違ったのだろうが、やはり裸体同士で密着しているとどうしても欲情を抑えきれない。
悶々する晴の耳元で、くすくすと笑い声が聞こえて。
「今日はお預けですけど、明日はもう、私を好きにしていいですから」
「なんだそれ。ご褒美のつもりか」
「はい。ご褒美のつもりです。だから今日は、二人でまったり、温泉を楽しみましょう」
それは、美月からの懇願だ。
二人で愛し合うのは何時でもできるから、今日という特別な日はただ一緒に楽しい一時を過ごしていたいという――切なる願い。
魅入ってしまうような紫紺の瞳に見つめられながら、晴は深い吐息をこぼすと、
「そうだな。今日は、お前と温泉を満喫しよう。ただし、明日は今日のお預け分容赦しないからな」
「どうぞご存分に私を召し上がってください」
「それじゃあ、これはその予約ということで」
そう言った瞬間、晴は目を瞬かせる妻の唇を奪った。
力強くはなく、ただ触れ合うような口づけ。
唐突のキスに驚く美月に、晴は重ねた唇に指を当てて、
「このくらいはいいだろ?」
「もう、いきなりするのは反則ですよ」
仕方がない。
だって、眼前の妻があまりに愛しいのだから。
約束の為とはただの口実で、本音はただこの胸の奥から込み上がってくる感情を抑えきれなかったから。
照れる妻をぎゅっと抱き寄せると、晴は微笑を浮かべて、
「愛してるぞ、美月」
「――っ! ……ふふ。知ってますよ」
温泉とは違う温かさに浸りながら、晴と美月の夜は更けていくのだった。
▼△▼△▼▼
露天風呂を堪能した後、午前中での約束通りライトアップされたサンビーチを見に行った晴と美月。
軽い散歩とわずかな休息を経て就寝しようとすれば、
「当然のように俺のベッドに入って来るな」
「これも日課でしょう」
ベッドは二つあるのに、同じベッドで寝るのが当たり前のように美月が侵入してきた。
そんな美月を追い払おうこともせずに平然と迎え入れようとする自分も自分かと呆れながら、
「今日は最高だったな」
ぽつりと呟くように言えば、美月は「そうですね」と頷いた。
「サンビーチに熱海城、他の観光名所にもたくさん行きましたね」
「おかげで足が痛い」
「あはは。私もです」
今日は歩き疲れたから、きっとぐっすり眠れるはずだ。
「明日は来宮神社と銀座町だっけ?」
「はい。有名なプリンと海鮮丼食べましょうね」
「太んなよ?」
「それを言うなら晴さんだって」
む、と睨み合って、そして可笑しくなって破顔。
「本当に、幸せの一言に尽きます」
「俺もだ。こんな風に、同じ布団で明日の予定を楽しむなんて少し前の俺は想像もしてなかっただろうな」
「同じです。私も、こうして好きな人と同じ布団で眠りに就くなんて、想像もしてなかったはずですよ」
不思議な感覚。でも、これは夢ではなく現実なんだと、互いの顔を見つめて実感する。
触れば、その感覚はより強くなって。
「お前の肌はすべすべしてんな」
「温泉効果というやつですかね」
「触ってて飽きがこない」
「心行くまでご堪能ください」
触られるの好きですから、と美月は微笑む。
少しずつ、微睡が襲ってくる。それに抗いつつ、妻ともう少しだけ会話を重ねる。
「明日も楽しみだな」
「ふふ。まさか晴さんからそんな言葉が出てくるとは」
「いいだろ。たまには」
「ですね。それだけ旅行を楽しんでいるということで」
「お前とだから楽しいんだけどな」
「あらあら。もう半分寝ぼけてますね」
「寝ぼけてなんか、ない」
本当に寝ぼけている訳ではない。ただ、意識が朦朧としてきたせいか、或いは今日の高揚がまだ残っているせいなのか、思った事がいつも以上に口から出てしまっていた。
「美月」
「はい、なんですか」
「好きだ」
「ふふ。知ってますよ」
「愛してる」
「それも、体感済みです」
「一生傍にいてくれ」
「言われなくとも、ずっと晴さんの傍にいますよ」
「……美月」
「はい。なんですか」
「俺と結婚してくれて、ありがとう」
「――――」
それを口にした晴の意識は、もう残っていなかった。
微かな意識、あと一回でも瞼を落とせば眠りに就く瞬間に、無意識に零れ落ちた美月への感謝。
それを聞いた美月は、紫紺の瞳を愛し気に細めて、
「おやすみなさい、晴さん」
眠りに就く夫の額に、愛と感謝を伝えるように唇を押し付けたのだった。
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