第353話 『 妻には死ぬまで支えてもらいたい 』
――二日目。
「おぉ、間近で見ると余計に大きく感じるな」
「樹齢二千百年以上ですからね。記事によればまだ成長を続けているみたいですよ」
巨大な木――大楠を見上げる二人は現在、日本屈指と呼ばれる来宮神社に訪れていた。
「この木に比べれば俺たちなんてちっぽけな存在に思えるな」
「ですね。自分の悩み事が小さく感じてしまいます」
「悩みとかあるのか?」
と視線だけくれて問えば、美月は「んー」と顎に一指し指を置いて、
「今は、特にないですかね。進路もほとんど決まっていますし、それなりに充実した毎日を送れていますから」
「幸せな奴だな」
おかげ様で、と美月は晴に微笑みを向けてくる。
「晴さんこそ悩みないんですか?」
「どうだろうな。いつもご飯が美味しくて太り始めたという下らない悩みはあるが、それは自分の努力次第でどうにでもなるし、適度に運動もしてるからな」
他に悩み事、と考えるも、美月と同じく特に思いつかない。
「強いて言えば、想像力が溢れて止まらないくらいか」
「贅沢な悩みですね」
「創作意欲はいくらあってもいいからな」
「それで無茶しないように」
「分かってる。その為にお前がいるんだしな」
ぽん、と頭に手を置けば、美月はむぅ、と拗ねた風に頬を膨らませた。
「まるで私をストッパーみたいに」
「事実そうだろ。執筆ばかの俺を止められるのはこの世でお前しかいない」
「なんだかいいように丸め込まれてるみたいで釈然としませんね」
「それだけ頼りにしてるってことで」
仕方がありません、と今回は納得してくれた美月に感謝しつつ、
「そういえばこの大楠には、色々な言い伝えがあるんだったな」
大楠を一廻りすると一年寿命が延びるとか、願い事を誰にも言わずに一廻りすると願いが叶うだとか。
そういうスピリチュアル的なことを信じない晴だが、今回は記念に廻っていこうと美月に尋ねる。
美月からも「廻りましょうか」と承諾を得たので、早速夫婦で大楠を廻っていく。
「晴さんは十周くらいした方がよさそうですね」
「なんでだよ」
「私がいるとはいえ、短命な気がするので」
失礼だな奴だな、と思いながらも、意外とその通りな気がして言い返せなかった。
クリエイターとは、命を削って何かを創り出す生き物だ。晴も当然その一人で、命を削って物語を生み出している。
まぁ、今は命を削るというよりは〝命を注ぐ〟生み出し方をしているが。
「晴さんには長生きして欲しいです」
「長生きするさ。先に死ぬとお前が悲しむだろうし」
それに、と継いで、
「年老いても綺麗な妻の姿を見たいからな」
期待と興味。それを声に乗せて告げれば、紫紺の瞳が大きく揺れる。
「……どうして断言できるんですか」
「できるだろ。だってお前は綺麗だ」
「分からないですよ。まだ十代だからってだけで、晴さんの歳の頃には激太りしてるかもしれません」
お前が? と鼻で笑って一蹴する。
「ないな。お前は俺の傍にいようと常に努力しているのを知ってる」
「女の子ですから」
毎夜肌の手入れを欠かさず、スタイルを維持するべくストレッチしていることを知っている。
それは美月が晴に可愛い、綺麗、と思われたいからこそ欠かさない日課だ。そして、習慣化させたそれを怠るような怠慢な性格ではない事を、晴は知っている。
「難儀な性格だよな、お前って」
「ものすごく貶されてる気分です」
「褒めてるんだよ」
晴にはできない努力を当然のように淡々とこなす妻に感服と敬意を忘れたことはない。
そんな妻に晴ができることはせいぜい、彼女の望む「可愛い」と「綺麗」を言ってあげることくらい。
美月はそれを胸の内を素直に吐露しているだけと思っているらしいが、晴にとっては美月への敬意を伝える大事な賞賛だった。
可愛いは、簡単には作れない。
綺麗は、一朝一夕には成せない。
妻がそれを維持する努力をしているのを知っているから、晴もそれに応えねばと思ってしまう。
「長生きする努力はするから、お前も十周廻れよ」
「えぇ、私も同伴するんですか」
「当たり前だろ。一緒に長生きして、俺がどれだけ小説を創ったか見届けてもらないといけないんだから」
「重責じゃないですか」
「死ぬまで書いてやる」
「晴さんなら本当に死ぬまで書きそう」
くつくつと笑う妻を見て、晴も笑みを浮かべる。
本当に呆れるくらい執筆ばかなんですから、ともはや定型文となったお叱りをもらって、美月は手を握りなおした。
「晴さんが長生きできるよう、一緒に廻ってあげます。でも、途中でバテないでくださいね?」
「歩きだから余裕、と言いたいが、十周は疲れるかもしれないな。五周じゃダメ?」
「ダメ。きちんと十周してください」
これは終わったら死んでるな、と辟易しながらも、晴は妻の言う通り大楠を十周するのだった。
――美月と共に長生きできますように。
そんな願いは、口にせず胸に秘めておいて。
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